障害という言葉
私は、障害者だとか健常者だとかいう言葉が嫌いです。
なぜなら、「障害」という言葉の意味は、「さわり。さまたげ。じゃま(広辞苑)」だからです。
確かに、障害は、障害として認めなければなりません。でも、少なくとも私は、障害は、ハンディキャップではあっても、マイナスではないと思っています。それは、私の自己満足なのかもしれません。日常生活の色々な場面で周囲の人に助けてもらわなければならず、周囲の人からすれば、「ジャマな存在」と思われても仕方がないのかもしれません。ただ、私は、自分自身の存在を自ら否定するようなことはしたくないし、障害があろうとなかろうと、人の命の重さや人間としての尊厳には、なんら変わりはないと思っています。
私が、これまで出逢ってきた多くの人たちは、私に対して一人の障害者としてではなく、一人の人間として接してくれました。そのおかげで、私もまた、障害者としてではなく、一人の人間としての尊厳をもって生きてくることができました。多くの貴重な体験もすることができました。そして、きっとこれから先もそうでしょう。
私に、普通の人とは違うところがあるのは事実です。世間一般の多くの人が、何気なくこなす日常生活の些細なことが、どうにもならないことがあるのも事実です。それを、「障害」というのであれば、否定はしません。
でも、私は、「不自由であっても不幸ではない」と胸をはって言えます。生まれてきてよかったとも思っています。
世の中で「障害」=「個性」という方程式が成り立つまでには、まだまだ時間がかかるのかもしれません。でも、いつか、そんな時が来たらいいなぁと思わずにはいられません