幸せの基準って
幼い頃、視力の弱かった私に「かわいそうに」そう言う大人たちがいました。私は、そう言われることが一番嫌いでした。
何が、幸せなことで、何が不幸なことなのか、そんな基準がどこにあるのでしょうか?誰が決めるのでしょうか?
確かに、私は、この世の中に十分な視力を授かって生まれてくることは出来なかったかもしれません。でも、その文、たくさんのステキな人達と出逢う事もできましたし、他の人にはできないいろいろな経験をすることもできました。それも、立派な幸せなことだと、私は、思います。
今の私の毎日、決まった時間に朝起きて、お弁当を作って、仕事に出かけ、仕事をして、お昼になればお弁当を食べながら雑談の一つもして、仕事が終われば、自宅に帰って家族と夕食を食べ、日記をつけて、家計簿をつけて床に就く、どこにでもあるような平凡な毎日だけど、それは、それで十分幸せなことだと思います。
定期的な病院の通院もあるし、薬も一杯飲みながら、そして、不便なことも一杯あるけれど、私の中の幸せの基準で計ったら、80%以上95%未満は幸せです。
人の数だけ、幸せの基準がある、私的には、そう思っているのですが…