右眼からのメッセージ
全く光を感じなくなった右眼が痛みはじめて何年になるだろう。
最初は、軽めの鎮痛剤でコントロールができていた。しかも、毎日薬を飲まなくてはいけないほどの痛みでは
なかった。
それが、今は、毎日朝夕の食事の後鎮痛剤を飲んでも気休め程度にしか効かず、仕事のときや夜中、どうしても耐えられないときは、やむを得ず座薬を使ったり、頓服の鎮痛剤を飲む。そして、時間が許せば、大学病院の麻酔科で神経ブロックをしてもらう。
特に、右眼自体の炎症疾患はない。ならば、なぜ?
もしかしたら、この右眼の痛みは、私の心の痛みなのかもしれない。ふとそう思うときがある。
もしかしたら、右眼が見えていたことすら忘れてしまいそうな私に対する右眼からのメッセージなのかもしれないと思うときがある。
「私は、今でも貴女の右眼だよ。ここにいるよ」って言っているのかもしれない。
もしも、そうだとしたら、俗にいう心因性の痛みであり、薬やブロックでは解決できない傷みなのかもしれない。ただ、こればかりは、私自身にもわからない。
ただ、私は、この右眼の痛みと向き合うことで、きっと右眼が見えていたことを忘れることはないだろうし、
右眼が、再剥離したときに「もしも、1%でも可能性がるのなら手術をしてほしい」と自ら手術を希望し、そしてそれに応えてくれた先生方の存在を忘れることはないだろう。
結果は、「失明」という同じことだったかもしれない。でも、今私は、後悔はしていない。
もしも、あのとき、手術をしていなかったら、きっと私は、今後悔をしているだろう。きっと一生想い続けていたと想う。「もしも、あの時手術をしていたら光くらい残っていたかもしれない」そう一生想い続けなければならなかったと想う。
私は、大切なのは、結果ではなく、その結果に至るまでの過程だと思っている。
右眼は、視力を失い、そして、今、痛みという形でしか、その存在を知らせることができなくなった。でも、私にとっては、視力の残っている左眼も、視力を失った右眼も、今でも同じくらい大切な私の一部である。そして、そう想うことができるのは、この右眼が、多くの人の優しさや温かさを知っているからだと思う。
私の右眼にとっての最高の幸せは、高校2年生だった私の声にきちんと耳を傾けてくださった病院の先生や私の我侭を聞いてくれた家族、そうした人々のおかげで納得がいくまで治療を受けることのできたことだと今でも思っている。
この痛みと何時まで付き合わなければならないのかはわからない。明日、一ヶ月後、それとも…
鎮痛剤や神経ブロックに頼らなくても良い日が来ることを願わないわけではない。むしろ、一日も早くそんな日がくることを願っている。
ただ、この先痛みという形でしかその存在を主張することができない右眼であっても、私は、ずっとこの右眼を愛おしいと想うだろう。そして、この右眼は、私に教えてくれるだろう。大切なことは、何事からも逃げないこと、結果がすべてではないこと、何時のときも、私は、一人ではなかったこと、たくさんの人の優しさや温かさに包まれていること、そして、両目で、色々なこと物を見ていた時があったことを…