3つの悲しみ
先日、祖母がなくなり、あっという間に通夜と葬儀は終わった。
そして、私には、3つの悲しみだけが残った。
一つ目の悲しみは、祖母の死である。
二つ目の悲しみは、こういうときいつも感じる孤立感、今回の葬儀のときもそうだった。誰もが
私には、何も頼もうとしない。表向きの用事は、すべて、すでに嫁いでいる妹になる。それが、目の
悪い、私に対する親戚の配慮なのか、ただ、対外的な部分以外、親戚うちだけの集まりのときは、
いくらでも仕事をさせてくれるのに、葬儀だとか、そういう時になると、私は、蚊帳の外なのである。
そして、三つ目の悲しみは、そういう風にしか受け止められない自分の心の狭さである。
誰が、どういう分担で何をしようと別に構わないことなのかもしれない。でも、そこに、必要と
されていない自分の存在は、果たしてどこに求めればいいのだろうか。やりきれない疎外感、情け
なさ…
もしも、自分が普通だったら、こういう時、もっと何かができたはず、そんな思いを抱きながら
どうにもならないもどかさを感じているのは、私自身なのである。自分の力量も、自分が一番よく
わかっているつもりである。
ただ、改めて、周囲から露骨にそういう態度をとられることが、どれほど、淋しく、悲しいこと
なのか、果たしてどれだけの人がわかってくれているのだろうか。
普段、綺麗ごとを言っていても、結局、人間は、本音を完全に封印してしまうことはできないようで
ある。結局、こういう時に露骨に現れる。
私は、自分の生きていることを否定したくはない。たとえ、誰からも必要と言ってもらえなくても
私は、自分の命を否定したくない。
もしも、私が、私の生きていることを否定してしまったら、あまりにも淋しすぎるから…