あれから10年

 平成9年3月21日、ちょうど10年前の今日、私の残されていた左眼の
網膜剥離が確認された。
 ちょうど春分の日で一般の医療機関は休みだった。
 やむを得ず、県境を越えてかかりつけの大学病院まで救急搬送となり
搬送先の病院で網膜剥離と告げられたとき、右眼の網膜剥離ですでに視力を
失っていた私にとっては、告げられるまでもなく判っていたこととはいいながらも
かなりのショックだったことを憶えている。
 今の職場に就職して2年目の春、悲しみというよりも、むしろ悔しさが込み上げ
ていた。「どうして…」それが、正直な気持ちだった。
 あれから10年、主治医の先生をはじめとする先生方の的確な診断と懸命な
治療のおかげで、それまでに比べれば、明らかに不自由になった私の生活、失
った左眼の視機能も少なくないが、それでも、私は、今こうして日常生活を送り
毎日仕事も続けることができている。
 10年前の今日、気丈に振舞いながらも、心のどこかで職場復帰をあきらめ
二度とこの世の光を見ることはないかもしれないとあきらめていた。
 この10年、長かったような、短かったような、途中良いときばかりでもないけれ
ど、これ以上積極的な治療も、画期的な回復も見込めないこのj左眼を10年前
と変わりなく、丁寧に診察してくださる先生方の存在に、私は、救われ続けている。
そして、僅かな左眼の視機能もまたそんな先生方によって維持されている。
 再剥離の可能性は、ゼロではない。今から10年後に何の保障があるわけでも
ない。ただ、今の私に言えること、できること、それは、「今を精一杯生きる」という
こと。
 明日から11年目、また新しい私と私の左目の毎日がはじまる。