先日、病院を受診したときのことだ。
白杖をもっていた私に、いきなり、待合室で隣にいた高齢の女性が声をかけてこられた。
「可哀想にねぇ。気の毒に、手術をしても駄目なの?」
最初は、自分のことだなんて想いもしていなかった私だが、あまりに何度も言われるので
「私のことですか?」
そう思い切って聞いてみた。
「若いのに可哀想にねぇ、大変でしょうねぇ、気の毒にねぇ」
その女性は、そう言って色々と質問してこられた。
「別に、先天的なものですし、仕事もして自分の想うように生きてますし、別に気にはなりませんよ。大変なことは結構ありますけど、別に、普通に生活してますから…」
はじめのうちは、それなりに質問に答えていた私だったが、その女性が、あまりに可哀想だとか、気の毒だとか何度も何度も言われるので、さすがの私もちょっと辟易して、最後には、少々不機嫌にそう答えてしまった。
あそこまで、かわいそうにと何度も繰り返されたのは、久しぶりのことだった。
その女性に悪気はなかったのだろうが、私としては、あまり愉快ではなかった。
障害者は可哀想な人間という考え方の人が、未だ存在しているんだなぁと改めて感じた。
私も、子供の頃は、よく周囲の大人たちから言われていたことを覚えてはいるが、最近は、ほどんどそんなことをいう周囲の人もいなくなり、すっかりそういう意識の存在すら忘れていた。正直、その女性の質問の一つ一つに答えながら、だんだん悲しくなっていく自分を感じた。
日常生活の中では、実際に数え切れないほどの不便はあるけど、自分が、障害者だからという理由で可哀想だと想ったことなどない私にとって、そういう風にみている人がいるということが、たまらなく淋しかった。
その日は、1日どこかやりきれない思いの一日を過ごした。
可哀想の基準がどこにあるのかは、私には、わからないけれど、私自身は、充実した毎日をおくるなかで、十分普通のごくごく平凡な日常をおくっていると想っているのだが…
ノーマライゼーション、バリアフリーなど少しずつ社会も変化してきているのかもしれないが、まだまだ日本の古くからの考え方は根強く残っていることを痛感させられた出来事でもあった。
私からすれば、いつまでも古い考え方にとらわれ続けることを余儀なくされている人の方が
むしろ現代社会においては、気の毒だと想うのだが・・・
ある日の出来事