夏の想い出
先ほどまで感じていた夏の暑さが嘘のように吹く風は涼しく感じられた。静かな山奥のトンネル、蝉の鳴き声でさへどこか涼しげに聞こえていた。7月の終わりの夕方近く、私は、あの伊豆の踊り子で知られた旧天城トンネルの前に友人たちと立っていた。
恐る恐るトンネルの中を覗いてみたが、私には、数百メートル先の出口の光など見えようはずもなく、目の前には、ただただトンネルの暗闇が続いていた。
一人の友人の提案で、全長445.5mのトンネルを歩いて通り抜けてみようということになった。観光地として整備され、トンネルの中には灯りが灯されてはいたが、その灯りだけでは足元は見えない。白杖で、一歩一歩確認しながら、前へと進む。湿った空気と天井から垂れる水滴が鬱陶しく感じられたが、吹き抜けてゆく風は、夏とは思えないほど冷たかった。静かなトンネルの中に、地面を叩く白杖の音が響いていた。
時間にすれば、十分余りだがその暗く不気味な空間を、決して一人で歩いて通り抜けようなどという勇気は起こらないだろう。初めての場所、しかも足元も出口も見えないトンネルを、ただ白杖を頼りに歩くことができたのは、同じ障害を持つ友人たちが一緒であったからかもしれない。一人では、踏み出すことのできない一歩を踏み出すこと、歩くことのできない道を歩くこと、仲間と一緒なら踏み出すことも歩くこともできるんだ、ふとそんなことを考えながら通り抜けていた。
その日の夜、何年かぶりに花火を見た。全身に感じる音、夜空に広がる大輪の光の花、幽かではあったが、私の目にもその華やかな美しさが見えたような気がした。
この夏、私は、また一つかけがえのない経験をした。仲間と過ごした時間、暗いトンネルを歩き、夜空の花火を見上げ、遥か彼方にあるであろう水平線を眺めた。燦燦と降り注ぐ太陽の光の下で歩いた砂の上は、とても熱く、頬にあたる潮風は心地よかった。
大切な友人たちと過ごした時間、どこにでもあるような夏の想い出、私にとっては、大切な宝物の一つである