ウォーキングコース





老化は足からと言われておりますので、

私も極力歩くことにしております。

我が家を中心に7コースを設定し、

毎朝30分程度歩いております。

途中、綺麗なと思ったところ、

珍しいなと思ったところなど、

写真に撮っています。

何気なく歩いているところでも、

何かがあるものです。

水車のある風景 酒津配水樋門

中銀本町出張所 黒いポスト

白鳥の親子 有隣荘 阿知の藤

中橋 観龍寺 珍しい看板

白壁の街 倉敷館 ロダンの彫刻


水車のある風景

 最近、昔ながらの水車を見かけることが少なくなりました。

なかでも三重連、四重連と連なっている姿は珍しい光景となりました。

水車が回り始めると田植えの時期が来たなと、

教えてくれるような気がします。

初夏の風物詩と言えるかも・・・・


酒津配水樋門

 高梁川下流の大改修は大正14年に完成いたしました。

この改修によって出来た酒津配水池の配水樋門を

下流から撮ったものです。

工作物というより芸術作品といった感さえいたします。

なお、付近には桜の樹も多く、

最近、親水工事も行われて、

市民の憩いの場ともなっています。 倉敷市の年表


中銀本町出張所

 中銀本町出張所は美観地区の一画にある。

倉敷は江戸時代から天領の町として栄えていたが、

大原孝四郎、孫三郎二代による倉敷銀行は

明治年間から地域の金融を一手にまかない、

倉紡や大原美術館設立にも寄与し、

中銀の源流となった。

現在の建物は大正11年に建てられたもので、

ルネッサンス様式で孫三郎の気宇を窺わせる。

かたわらには旧倉敷銀行跡の石柱も立っている。 


黒いポスト

 この黒いポストは美観地区の旧倉敷町役場の前に立てられております。

昔、「書状集箱」と呼ばれていたもので、

明治4年(1871年)郵便事業創業当時使用されていたものと同型だそうです。

このポストは今でも倉敷郵便局のはからいで、

普通のポストと同じように取り集めが行われております。


白鳥の親子

 大原美術館前の水路にいた白鳥の親子です。

この子達はユウとアイの間に生まれたもので、

生後5日目の愛らしい姿です。

ウォーキングの途中、

このような光景を眺めると自然に顔がほころんできます。


有隣荘

 大原美術館の前、

倉敷川を挟んで建っている。

大正15年、昭和天皇の倉敷訪問を期に、

大原孫三郎が建てたという大原家の別邸である。

黄緑色の屋根瓦から緑御殿とも呼ばれている。


阿知の藤

 美観地区の近くに鶴形山公園があって、

その中に「阿知の藤」があります。

説明文によると、

「樹齢推定300〜500年、幹周り1.5m、根元周囲2.2m、アケボノフジの名木で、

同種の藤としては日本一の巨樹である。」と書かれています。

ちなみに、倉敷市の花は藤になっており、

また、大山名人杯の女流棋士公式タイトル戦も

「藤花戦」と名付けられています。 大山名人


中橋

 美観地区を訪れ、

そのすばらしい景観に感激された方も多いかと思います。

地区の中ほどにアーチ型の 石橋がありますが、

この橋も川面や柳などと一体となって、

美しい景観に溶け込んでいるような気がします。

石橋の親柱の文字はちょっと変わっていることに気が付きました。

何気なく歩いておりますが、

足元にも珍しいものが転がっているものだなと思いました。


観龍寺

 美観地区の近くにある寶壽山観龍寺の写真です。

慶応2年、立石孫一郎率いる長州奇兵隊が

倉敷代官所と総社の浅尾藩を襲撃したことは知られておりますが、

その際、観龍寺に陣屋を設け、物資を調達した。

山門の左側小門鴨居に当時の槍の突き跡があり、

史跡として現在に残されています。 浅尾藩


珍しい看板

 美観地区の土産物店通りにある地酒販売店の看板です。

古めかしく珍しく思い、思わずパチリ。

後でお店の人に尋ねたところ、

あまり古い代物ではないとのことで、

ちょっとガッカリ・・・・


白壁の街

 倉敷の代名詞に「白壁の街」と言うのがあるほど、

なまこ壁の白壁通りが沢山残されております。

特に、美観地区周辺ではよく目に映ります。

この写真もその一つであり、

騒々しい現実から、

一瞬に昔の静けさに帰ったような、

落ち着いた感じにさしてくれます。


倉敷館

 この場所は明治時代から村役場、町役場があった所で、

大正5年(1916年)現在の木造洋風建築に倉敷町役場として新築された。

昭和3年から昭和7年までは市役所として使用されたが、

現在は倉敷館として一般公開されている。


ロダンの彫刻

 大原美術館の玄関両脇に、

ロダン(1840〜1917)の彫刻が立っています。

「洗礼者ヨハネ」(1878)と

「カレーの市民」(1886〜1889)です。

これらは、美術館の絵画と同じく児島虎次郎が蒐集したものです。

太平洋戦争中の金属供出命令を奇跡的に逃れたという

エピソードが残っています。


写真をクリックすると大きく表示されます。

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