にひきのねこ







 ここに世をすねた、ねこがいた。こげ茶色の、あごだけが白い、やせ細ったねこだった。

 

 ねこは世の中にいいことなどひとつもないとおもっていた。どこに行っても奪い合いや縄張り争い、利害の一致のみの仲間関係、ニンゲンが全てを思うように動かし、そのニンゲンだって自分から見ても、美しい素晴らしい存在だとはとても思えなかった。

 今日もいつもいく公園ににゃんとなく出かける。ある時間になると、食い物をくれる輩が現れるからだ。それだってお互いの利益のため……生きる為、仕方なく足を運ぶのだ。……特にすることがあるでもにゃし。

車の通る危険な道を渡る。なんという危ない交通路だろうか。命がけでわたらなければならない。一瞬の油断でぺしゃんこにされた同族を何十匹と見てきた。その死体も皮か紙みたいになるまで何度もまっ平らにされる。特に行きたくもない場所に行くために、並々ならぬ努力をどこまでも追及されるのだ。こりゃたまらんニイ。

 

 またここに自分とこの世を信じているねこがいた。三毛の体は、傷がいくつかあり、足元は汚れてはいたが、充分に毛づくろいされていたためか、光沢を感じる部分もあった。ねこは自分を信じ、えさも縄張りも、仲間も、自分がなんとかやっていれば、大抵何とかなるものだと思っていた。ニンゲンとのやりとりでさえも、愛嬌を示せば大抵害もなく、危険も少なくなると思っていた。気をつけなければいけないのは大抵雰囲気でわかる。後子供と。車が走る道路でさえ、ねこは自分は絶対ひかれないと思っていた。昼は大抵、よほどひどい道でなければ大丈夫だし、車のほうがよけてくれることもあって、ニンゲンというのも気を遣ったりするものニャンだと知っていた。夜は大変危ないが……ニンゲンは夜眼がきかないらしい。それだけは迷惑なことだとは思っていた。

 

 こげ茶のねこは、三毛のねこを見て思っていた。なんてずるい奴なんだと。あれだけ自分に自信があれば、なんだってできるじゃないかと。きっとあいつは自分が好きで、この世の中ってやつもまんざらではないとおもっているのだろうと。自分が好きというのはまだわかる。誰だって自分は大切なもんだ。だがこの世が好きというのが、自分にはどうやっても理解できなかった。こんな厳しい、恐い、怖ろしい、醜く、弱いと食われ強い奴が魚が食える世の中で、どうしてねこのおまえがそんなにひょうひょうとして生きていけるのかがさっぱり理解できなかった。

 

 三毛のねこはこげ茶のねこを見て思っていた。気の毒な奴だと。ねこの中にはひどい目に会うやつがたくさんいる。自分も痛い目や恐い目にあったからわかる。きっとなにもかも、あのものすごく上にあるお陽さまさえも、アイツは嫌いなんだろうと思っていた。魚も、ニンゲンがくれるキャットフードも、ポカポカ陽気で丸くなるひなたぼっこも、ニャンとも言えずおいしいのに、と。

 

 ある時、こげ茶のねこと三毛のねこはふと顔を合わせた。こげ茶のねこは世の習わしにならいふーーっと喧嘩を売った。三毛のねこもフーーッと喧嘩を買う。とっくみあいの喧嘩になり、二匹のねこは転がりながら、もつれあいながら、爪と牙を立てて戦った。こげ茶のねこはやせっぽちながらも力いっぱい戦った。こんな甘いやつに自分が負けるはずがないと信じ、自分の残った力を全て使って精一杯戦った。三毛のねこは強かったが、この時だけはこげ茶のねこの優勢で、喧嘩の幕は終わった。こげ茶のねこは別に縄張りが欲しいとも思ってなかったので、そのまま世の習わしに従わずに、その場を去った。

 

 ある時、弱ったこげ茶のねこは道に倒れたとき、ニンゲンに介抱を受け、そのままそのニンゲンの家に居つくことになった。ニンゲンの生活になじむうち、ニンゲンも色々と気を遣う生き物なんだということを知り、ニンゲンはニンゲンなりに苦労しているものだということを知った。ニンゲンの布団に無理やり詰め込まれて眠るとき、この世は息苦しいが、暖かいものもあるということを知った。ニンゲンの家で飼われているうちに、縄張りも自然とでき、付き合いのあるねこも出てきた。

 

そのうち、あの三毛のねこが死んだという噂を聞いた。なんでも道のカドで、ぺしゃんこにされたらしい。行ってみると、確かに元は三毛らしい色の紙みたいなものが地面にぴったりと張り付いていた。こげ茶のねこは、精一杯三毛色の紙を舐めてあげた。その内に涙が流れてきた。その時、自分は、こういうねこにずっとこの世に生きていて欲しいと思っていたんだということを知った。その後、三毛のねこの奥さんから、あの人は最後まで自分を信じて精一杯幸せに生きていたと聞かされた。

 

 こげ茶のねこは歳をとり、縁側で膝を抱えて座り、庭を見て思った。生まれ変わったら、あの三毛のねこのように生きてみたいと、よれよれになった足でそう思った。




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