憧葛


シトシトと雨の降り止まぬ梅雨のある日
水の糸の中を 男がひとり歩いてくる
おおきなくろいかさをさして

「やあ、もう3日も雨だ。
かささえあれば、雨糸の中の散歩もいいもんだ。」
・・・男は少し変わった性分だった。

見ると寺の門の軒下に
ひとりの若い女が立っている
雨宿りのようだ

「かさがないのですか?」
気軽に声をかけるおとこ。

愛想良く笑顔でうなづく女。
「どこかへ御用事なら、このかさをお使いなさい。」
男のくろいおおきなかさを差し出す。
「でも、それでは・・・」
「なあに、私の目的地はここです。
雨が止むまで待てばよい話。
止まなくとも、借りれば間に合いますから。」
ちょっと戸惑う女。
「・・・いえ、お気遣いなさらず。」
「しかし、他人の心遣いは受け取るものですぞ。」
ちょっとびっくりして、男を見る。
「ふふ、ありがとうございます。
でも良いのですよ。」
軒下から降りしきる小雨を見上げる女。
「雨を見ているのが、好きなんですよ。」
穏やかな顔で、雨の中に、しろいか細い手を差し出す。
(変わった女だ。)
そうおもいながら、なんとなく微笑む男。

「雨がお好きですか?」
「好きではありませんが、雨の日もあるから、おひさまのありがたみがわかるのではありませんか?
それに晴れの日ばかりでは干からびてしまいますよ。」
「そうですね。」
相槌を打つ男。

二人の後ろで寺の門が開く。
「おい、照潤。なにやってるんだ?
着いたんならさっさと入ればよかろう。
住職がお待ちだ。」
「ああ。」
無粋だなと思いながらも、体よく返事を返す。
「では、お体にさわらぬよう。
かさは、ここに立てかけておきますので、ご自由に。」
頭を軽く下げて、門をくぐる。
ペコリと礼を返す女。

「おい、美人じゃないか。
わるかったなあ 邪魔して。」
まだ声も届くのに、ほん当に無粋な同僚だと思いながら、歩き慣れた石畳をすすむ。

一晩が過ぎて
一時は止んだかに思えた雨が
また・・・

雨の中を走る男
「今日も雨か・・・
雨の日に かさがなければ このとおり と。」
衣服の半分程が濡れたまま 走る男。
道肌の川も増水して激しい
なじみの橋にさしかかったところで
赤いかさをさした女が目に入った。
「昨日のひと・・・」
立ち止まる男。
ずぶぬれの男に気がつく女。
「雨の中をお急ぎですか?
風邪をひかれますよ。」
小さな赤いかさに男をいれる。
「お急ぎのご用件ですか?」
笑いかける女。
「まあ、急ぎではありませんが、ちょっと使いを頼まれて。
下働きの運命ですよ。」
微笑む女。
「あめは体に祟りますよ。」
「そうですね。
気をつけますよ。」
女の顔色をうかがいながら応える男。
「・・・今日はなぜこんな所で?」
「・・・」
「しっかりした橋だからと、安心してはいけない。
御覧の通り川の流れも激しい。
できれば、水のさわらぬ所へ、避難されてはいかがでしょう。」
相変わらず笑顔で答える女。
「・・・いいんですよ。
たまには荒ぶる川をみておくことも。」
「しかし、あなたはなにかを思っているように見受けられる。」
男の目を見る女。
「川に飛び込みそうですか?」
「間違いであればよいですが。」
「ふふっそんな怖いこと、私には無理ですよ。ただ・・・」
「ただ?」
「恋焦がれて身を投げた女性もいたそうで・・・
どのような気持ちでこのような怖い水の中に身を投げたのかなと、想像しようと努力していました。」
「失恋ですか。」
「失った恋ではなく、はじめからなかったのかもしれません。」

笑顔もなく、ただ黙って濁った川の流れを見つめるふたり。

「・・・私も、幼い頃から一緒だった女性が別の男のもとにはしりましてな。」
「そうですか。」
「なんでも、私の感性にズレを感じるそうで。
長年一緒にいても、どこか離れていたそうです。
私はずっと彼女の傍にいたつもりだったので・・・
その感覚からして、ズレていたんでしょうね。」
じっと耳を傾ける女。

「・・・私も、おまえと一緒にいると、面白くないと言われました。
世の中はドンドン変化していくんだ。
古臭いことばかり見てないで、時代の流れを少しは追いかけろ と。」
「・・・新しいものが好きなひとだったのですね。」
「・・・おまえの憂えた笑い方が、辛気臭いとも言われました。」
女の悲しそうな顔を見る。
「・・・その男は味わいのわからない、無粋もののようですね。
女性のモノを憂えた笑いこそ、人生で見るに足る、唯一の出来事なのに。」
「そんなものですか?」
「そんなもんですよ。」

シトシトと降り続く雨糸。

「それに人間本当に楽しい時は嫌でも笑みがこぼれるものです。
ユーモアも自分で作れない男だったんですな。」
じぶんのことのように憤慨して怒る男。
すこし微笑みを取り戻す女。
ほっと安心する男。
「・・・お急ぎの御用事では?」
「ああ、マズイ。
よくぞ教えて下さった。
幸い雨も小降りになりました。
また走って、いきます。」
「このかさをお持ちに。」
「いえ、それには及びません。
足には自信があるのです。」
「人の心配りは受け取るものでは?」
「それは他人に言うもので、自分に言われたいものではありません。
気持ちだけ受け取ります。」
「勝手なひとですね。」
「では。」
走り出す男。
「お体にさわらぬよう。」
「すぐに風呂につかるから大丈夫ですよお。」
離れたところから返事を返す男。


次の日も雨だった。
雨はふりつづけるものの、晴れ間も見える、変わった空模様。
今日はかさをさして歩く男。
「あのまま別れて、良かったんだろうか。
用事よりも、見送るほうが大事だったのではなかったか?
いや、あの場合・・・」
ひとりで自問自答する男。
男はちょっと変わっていた。
前から昨日の赤いかさが歩いてくる。
かさが上を向くと、昨日の女の顔が微笑んできた。
「やあ、またお会いできましたな。」
「2度もお世話になりました。」
「ちょっとあなたのことを考えていたのですよ。」
「私もあなたにもう一度お会いしたいと思っていました。」
「いや、旧友でも会わないときは何年も会わないのに、こうもお会いする人も世の中にはいるんですな。」
「相変わらず変わったおひと。」
「今日はお互いかさを持って。」
「そうですね。」
笑うふたり。

二人の横を小さな女の子が水をはねながら駆けて来た。
女が声をかける。
「どうしたの?こんな雨の中?風邪をひくわよ。」
「かさがなくなっちゃっただけだよ。
それにこんな雨、なんでもないって。」
元気で活発そうな子だ。
「雨を甘く見ては駄目ですよ。
このかさをお持ちなさい。」
「あんたはどうするの?」
「このひとの大きなかさにいれてもらうから心配しないで。」
ちょっと赤くなる男。
(ふ〜ん。そういうことね。)
ちょっと意地悪そうに笑う女の子。
「じゃあ、そっちの黒いおおきなかさを貸して。」
「え?これは・・・」
「赤いかさは嫌いなのか?」
「そうじゃないけど・・・くろいのがすきなの。
貸して。」
「変わった子だな。」
別に嫌でもないので、自分のかさを渡す男。
「へへ、ありがと。」
「返す時はそこの寺の誰かに渡せばいい。いつでもいいから。」
「わかった。じゃあね〜。」
元気良く駆けていく女の子。
「走ったら濡れるのに・・・」
「元気な女の子。」
残った小さなかさに身を入れるふたり。
「もっと傍に寄らないと濡れますよ。」
「あ、はい。」
昨日のように立ち止まっているわけではない。
身を寄せ合って歩くふたり。
「なんともせまいですなあ。」
「そうですね。」
少し微笑みを浮かべる女。
「そこに茶屋があるんですが、雨宿りでもしていきませんか?」
「いいですよ。」
雨の中、嬉しそうな笑顔を浮かべる女。
男も笑って思う。
「やっぱり人生、雨の日も、悪いもんではないなあ。」




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