「でさあ、俺言ってやったのよ。山中、お前の考えは間違ってる。人間は、自分の欲求を止めることはそう簡単にはできないもんだってな」
「そうかもしれないな」

 部活も終わって、唯一の僕らの人生の休息地。
 漫画喫茶で、雑談する僕ら。
「たとえ理性では間違ってると思えても、止めるべきだと思っても、それまで積み重ねてきた行動から生じた人間の欲求は、なかなか止まらないもんだ。止めないほうがいい。それくらい理解しろよな、山中も」
「ああ」

 相棒の話に相槌をうちながら、時折通り過ぎる、ここの住人を把握しておく僕。
 最近の僕の趣味は人間観察。……あまりいい趣味とはいえないかもしれない。

 狭いこの世界を走ってかけていく色あせたシャツを着た少年が持っていたのは、ピ○ノの森。
 おいおい少年こういうところでは、走るなよ。それにしてもいい趣味だ。どういう経緯で手に取ったんだ?
 一巻で挫折するなよ。
 泣くなよ。
 天才になれよ。

「おい、聞いてるのか?」
「ああ、世の中の逆らえない流れには乗っかって、人間周りに迷惑をかけないで生きていけるように、少しずつでも洗練されていかないとな」
「わかってるなあ、おまえは」
「お前も少し声が大きいぞ」
「えへへへ、すまねえなあ」
 いやらしい笑いだ。憎めないやつだが……
 相棒が抱えているのは、ヒストリ○。
 面白いが……なるほど、人間は自分に無いものに憬れるものらしい。

 ちょっとゴメンよ とでもいうふうに小太りのスーツ姿のおじさんが通り過ぎていった。ここでの住人は極力、言葉を発しない。抱えていたのは、昔大流行したらしい○プテン翼数冊。
 おじさん、ワールドカップに乗っかっちゃったのはわかるけど……ボールはトモダチ ですか。おじさん…… 
 ちょっと笑いながら泣けてくる。

 奥のちょっとガッチリしたタンクトップに短髪のニイチャンが読んでいるのは、グラップラー○牙。隣にドラゴンボ○ルも積み上げてある。
 明らかに格闘好きだな。もしここに殴りこみのやくざがきたら、うまくおだてて、あの人に戦ってもらって逃げよう、それにしても……
 あなた絶対かめはめ○撃つ修行したでしょ。そうでしょ。
 空を自在に飛ぼうとしたでしょ、そうでしょ。
 自分の戦闘力を自分で憶測したでしょ、そうでしょ。
 ……スイマセン僕もです。
 心の中でガッチリ漢の握手を交わし格闘の涙を流しながら偉大なる鳥○明さんを思う。

「おい、どうしたんだ?」
「うんにゃ、次はどの本を読もうかと思ってな」
「おう、頼むぜ。お前のオススメはいつも面白いからな」
「ああ」
 僕たちのやりとりを微笑ましそうに見ながら、綺麗なお姉さんが笑いながら会釈して通り過ぎていった。ながれるような黒髪と後に残る気品ある香りが美しい。
 お姉さんが持っていたのはふたつ○スピカ 5巻。僕の心の琴線が鳴る。
 お姉さん、僕とお話ししましょう。その漫画について。朝まで。そして……僕と結婚してください。心の中で、愛の手紙を書き始める。
 しかしお姉さんは勇猛にも会計という、憎むべきこの世界の最も重いルールに真正面から立ち向かおうとしていた。


「あら、鈴木と焔じゃない。なにしてるの?」
 声をかけてきたのは同じクラスの佐藤。別に可愛いわけでもなく、どっちかというとちょっと変な趣味の痛いやつ。

「いや、俺ら、部活の後、いつもここでたむろってンだ」
「ふーん」
 おい、相棒、出番だ口をだせ。
 しかしほんとに頼りんなることで、相棒は、ヒストリ○の世界で冒険中のようだ。ちょうど、村の美人と小粋に交流中らしい。
「私ここは初めて来たけど、品揃えいいねえ。ホラ、こんなレアものまで置いてあったよ」
 ここの本とは思えないほど丁重な扱いを受け、大事そうに彼女の胸と腕の間から出てきたのは……
「うぐっ」
と、僕が思わず声を上げる程の作品。
 昔、昔、のその昔、社会現象にまでなった○流○室。あんまりにもの人間限界の描写に、今の同世代ならひいてしまう作品だ。そんなもん読むなよ。
「これ面白くて、3巻まで読んじゃったんだけどさあ。4巻を誰かが読んでるみたいなんだよね」
 ここの住人を完璧に把握している僕は、知っている。
 それは僕だ。
 僕のうしろ手に、その4巻は握られている。佐藤が気付くのもきっと時間の問題だ。
 きっと僕は、これから今ここで佐藤とこの漫画についての話を咲かすのだろう。もしかしたら話にドス黒い花が咲いて佐藤との距離が近づき、仲良くなるのかもしれない。それはもはやここまできてしまったら、僕の漫画好きの理性では止められない知の洪水。そういう現代の人間関係の距離感の空気に疎い佐藤とでは、明日から、僕らの隠しても隠し切れない血の絆を誰かが敏感に嗅ぎ取って「あいつら微妙に距離が近いけど付き合ってんじゃね?」という思春期の僕たちらしいうわさが広がるだろう。
 助けてくれ焔。

 僕の名は鈴木。