コンクリート船 武智丸

船  名:武智丸(コンクリート船)
場  所:広島県 呉市 安浦町 安浦漁港
交  通:JR呉線の安浦駅より国道185号線を三原方面へ約500m進むと進行方向の左側に見える漁港。
排水量:2300t
船  長:64m
建造地:兵庫県 高砂市
建造日:昭和19年5月     

[建造の経緯]
第2次大戦で鋼材不足を補う為、舞鶴海軍工廠の 林 邦雄 海軍技術中佐がコンクリート船を設計し研究の結果、本部にて採択され
大阪府にある土木会社の 武智 正次郎 氏により高砂市塩田跡地の造船所にて建造した。
広島県内には安浦町に2隻、音戸町に1隻が現存している。武智丸は昭和19〜20年に掛けて4隻建造され、
うち3隻が就航し瀬戸内海を始め南方にも航海したといわれる。

[安浦漁港に据え付けの経緯]
昭和22年当時、安浦漁港には防波堤が無く台風の都度、漁船に被害が発生するので
当時の漁協共同組合長 菅田 国光 氏の大奔走により武智丸を防波堤として据え付ける事に決定し呉市土木事務所の設計により
事業費800万円(当時)の巨費が投じられた。
海底を掘り下げて深くし、粗朶沈床の上に置換砂を敷き均しコンクリート船を沈設して周辺には船体安定用の捨石が施されている。
昭和48年第5次漁港整備計画で撤去の話も有ったが船が強固な為、保存し引き続いて防波堤の役目をしている。

※この文面は武智丸説明板の原文のままを引用しています。


武智丸の船首側から船尾を望んだ光景で画面左側に写っている手摺りは
同船のモノでは無く、この先(手前側)に在る防波堤先端の灯台への通路を
安全に確保する為の歩行帯で後付けされたものです。
コンクリート船と言われるだけあって甲板部はおろか船体の基本素材も
コンクリート成型されているのが判る。
手前に見える2箇所の穴はアンカーチェーンが通っていたホースパイプで
表面は茶色く腐食(錆び付いて)していますが、現在でも芯はシッカリしていて
不思議な事に朽ちている感じは一切、受けませんでした。
ホースパイプの奥にある小さいコンクリート台座と、その後の四角い鉄板の位置には
おそらく揚錨機(アンカーチェーンを巻き上げる機械)が有ったのでしょう。
船首楼甲板後端には細長い切り込みが2箇所在りますが
これはアンカーチェーンの誘導溝で、その部分は投錨または抜錨時の
チェーンによる船体の削れ防止の為に鉄枠が取り付けられていた様です。
また船首楼甲板の両翼にはボラードが設置されていたと思われる位置には
リング状の台座らしきものが見えます。このボラード跡らしき物を
探してみましたが船首楼以外では見当たりませんでした。
武智丸の船体中央に見える四角い穴は船艙跡で、船体の両舷には
コンクリート製の水抜き穴付きブルワークがあります。
その後の一段高くなっている所が船尾になります。
船尾の壁にある四角い開口部は船室への扉が在ったのでしょう。



同船には2つの船艙が有って手前が1番船艙、奥が2番船艙になっています。
船艙の開口部は大体の目測になりますが長さ5m×幅3m×深さ4m程の大きさです。
ただし深さに関しては内部に堆積物や岩塊が多数敷き詰められていたのと、
海水が溜まっていたので実際、どれ位の深さが有るのかは不明です。
また元々、前後船艙の間には各船艙を区切る隔壁が有ったのか、
それとも建造時(最初)から隔壁が無かったのか今では知る余地も有りません。
現在の武智丸には隔壁は無く前後の船艙は船体内で連結されていて
船艙内には船底から上甲板を支えていたと思われるコンクリート製の支柱が
何本か林立していました。
手前の1番船艙開口部から支柱の一部が確認する事が出来ます。
開口部中央の海水面には別支柱の影が2番船艙開口部から射し込んだ光により
映し出されています。
甲板は素材のコンクリートが剥き出しになっていたので何かを貼っていた形跡を
チェックしてみましたが何も発見出来ませんでした。
武智丸のブルワークも御覧の通りコンクリート製で所々に長方形の穴が開けてあり
その穴の内側には鉄板が貼られていた事から多分、水抜きと接岸係留時に繋留索を
通す役割をしていたと思われます。
(※実際には安全策の為か穴はコンクリートで塞がれています。)
また前後の船艙開口部の囲いに有る四角い穴はハッチカバーの固定用に
使用されたものだと思います。




これは船尾から船首方向を望んだ光景で船首先端に見える赤いポール状の物は
武智丸の船首の先と繋がっている防波堤の先端に在る灯台です。
ここは船橋(ブリッジ)が在った所でコンクリートの骨組みが
縦横の格子状になっているのが判ります。
また、このコンクリートの骨組みの上には御覧の通り無数の朽ちた釘が
今も尚、規則正しく打ち込まれていて、この状態から船橋甲板は
板張りだったのではないか?と推測されます。
画面中央の広めの区画(開口部)の上部には操舵室、下部には機関室への入り口が
在ったのでしょう。
同区画の後部には小さめの四角い別の開口部が見え、
ここには煙路または煙突が在ったものと思います。
しかし内部には長年の風雨に曝された為なのか、コンクリート枠の内部には鉄製の煙突が
通っていたのか、「焦げ」や「煤(スス)」らしき物は確認出来ませんでした。
船首楼の垂直壁部には水密扉が在ったと思われる箇所に扉が無く
内部への入り口が、ポッカリと開いていて室内には色々な備品が
存在していたと推測しますが、現在は完全な空洞になっていました。
画面左側から船首に向けて写っている手摺りは防波堤先端への歩行帯です。










これは安浦漁港内の浮き桟橋から武智丸の側面を撮影したものです。武智丸も大戦後期の急造船の特徴でも有る直線的な船型だった事が
判ると思います。船首はよく見ると色の濃い部分が有りますが、ここには鉄板が貼られていました。
投錨や抜錨時、航海中の波や海水抵抗からコンクリート船首の保護と凌波性の向上を併せ持っていたのかも知れません。
武智丸の船尾には2隻目の武智丸の船首が僅かながら写っています。船体には戦後の時の流れを表すのか、防波堤利用の為に
塗装が剥がされたのか、竣工当時からコンクリートが剥き出しだったのか残念ながら塗装の形跡を確認する事が出来ませんでした。
船首楼甲板上部先端に一見、固定用チェーンの様に見える物が写っていますが、あれは武智丸の先に在る防波堤への通行帯で
同船船首と防波堤との高低差が有る為にラッタル(階段)になっている部分です。
武智丸は実際に洋上航行した様ですが、どの程度の速度でどの様な乗り心地だったのか今となっては判りません。
静かに、この場で時を越え防波堤に姿を変えた武智丸のみ知っている事でしょう。