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方言研究

庶民的混沌からの秩序

                               一

 人間自身、誰でもひとりひとりの宇宙を創造して行く能力がある。おそらくその世界はさまざまであろう。外部からはとても侵入することができないような、そこは、人間ひとりひとりが誰にも邪魔されない、自らのいのちをしみじみと実感する世界であろう。むしろ、人間の世界は‶非平衡が秩序の源である。非平衡が「混沌から秩序」を生み出す。″(プリゴジン・スタンジェール著伏見康治ほか訳『混沌からの秩序』みすず書房)などといわれているように複雑な人間社会のもとにしんの秩序が生まれるのではなかろうか。日本方言の研究に長く携わってきたものであるが、これから先、多くの庶民の精神的支柱になっている鉱脈のようなもの(方言の地肌)を掘りあてるとき、私の喜びもこの上ないものになると思っている。すでにさまざまな立場の人たちの手で研究が行われてきた。振り返りながら顧みたとき、私からの希望的憶測でもあるが、結局のところ庶民という側から人々の精神的支柱を探索するという方へ、ほんの少しずつではあるが収斂しかけているのではなかろうか。
 人間ひとりひとりのあり方としては、「人々のグローバリゼーション・グローバル化は経済活動などが中心であるが、ほんとうは地球規模の人類課題がまずあって、次に、ひとりひとりのいわばローカリゼーションのような領域があり、そこで、人間がほんとうに活性化されている。それは確固たる対象に根ざす人間の自由活動である。」(拙編『音声言語研究のパラダイム』和泉書院・2007年)などと考えている。

                                二

 21世紀初頭の現代社会において、コンピュータ処理が先行するという情報化の時代がやって来ているとはいえ、しかしながら、方言の研究面では、むかしから営営と続いている‶実現態″を対象としている。むかしからの方言が得意なお年よりにとってコンピュータという情報処理などの機器は、毎日のくらしの中ではまったく無縁であろう。私は、方言全体を「可逆史的事態とそれに対峙する不可逆史的事態」というように一応わけて見ている(私の師藤原与一氏は方言研究を独自のスタイルに組織化して、方言の状態は‵ラング即パロール′と称呼するのが口癖であったが)。つまり、現代は相当困難な状態になっているかもしれないけれども、方言自体の‶秩序″が今でも存在していると私は考えているのである。
 共通語教育による画一化、テレビなどによる情報伝達、さらにコンピュータにより、大量情報が中央から地方へさらにはお茶の間へと、あたかも大洪水のようにひとりひとりに襲いかかっている。残念ながら、むかしからの伝統方言の担い手もいつしか高齢化するなど、日本列島全体においてことばの独特な伝統がどんどん薄れ、ひとりひとりの潤いまでも全国規模で急速になくなりかけている。一般的に、多様化がどんどん進むのは大歓迎であるが、その一方ではかえって、独自の潤いや特色がどんどん失われていて、結局、地方に至るまで混迷を深めている。心細い思いは、たぶん、私一人ではないであろう。さらに、個人個人もたちまちかき消されるような、いうなれば人間の個性や生命が軽視される風潮はたいへん気がかりである。今や列島全体がカオス(混沌)を露呈するようである。しかし、庶民の側から見れば、発見されていないコスモス(秩序と調和の世界)がじっさいには複数存在しているではなかろうか。私は方言研究への望みを、まだ完全に捨てはていない。たいへん微々たる能力であるが、日本列島上の「庶民的混沌からの秩序」を、じくじくと約50年間探究している。

補注  庶民を対象とするいろいろな肉声観察はたとえば野林正路氏の独自の意味論的な展開に多少とも資することができるのではなかろうか


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