お前達の剣は殺人剣だ。 老人はそう言った。 |
弐章
武蔵に続き現れた、柳生十兵衛。 それが、あの柳生宗嵩の兄であるという事に、誰もが驚きを隠せない。 しかし十兵衛は、そんな彼らの驚きを尻目に少しおかしげに笑う。 「お前らには儂は倒せんよ・・・」 おかしげに、しかし静かな瞳で語る。 「お前らの剣は《殺人剣》だ。ならば儂はおぬしらを止める。 最も・・・お前らの殺人剣に負ける《活人剣》では宗嵩めに勝てる訳がないが・・・ かといって、儂に敗れるようでは、お前らも宗嵩を切れぬ・・・」 そこまで言って十兵衛は何かに気付き、一瞬視線を逸らす。 しかし、すぐにその視線を京梧たちにもどすと再び笑う。 「奴は・・・言うなと釘をさしておったが、面白いのでいっちまおうかぁ。・・・奴は富士にいるぞ。 急いだほうがいいかもしれんぞ。」 己を殺しただけの価値は出来たと不遜に笑う十兵衛は、京梧たちの目には不思議に映る。 「何故・・・どうしてもわたし達は戦わなければならないのですか?」 悲しそうな美里の言葉に、十兵衛は鼻で笑う。 「お前さんの考えはな・・・まあ、理想ではあるんだろう。だがな、ただ間違っているというだけでは 、結局は何も変わらんぞ。お前さんは言いたいのじゃろう。復讐は意味が無いと。戦う事に意味は無い と。だがな、復讐も戦うことも、決して間違いというわけじゃぁない。むしろ戦いの中でしか分かり合 えない事もある。復讐する事でしか、生きる術を持たぬものとている。考えてみろ、全てを失った時、 絶望した人間は、簡単にその命を絶つぞ。とりあえずは復讐でいいのだ。その後に何を見出すかはその もの自身だがな。」 十兵衛の言葉に美里は驚いた。以前同じ事を言われなかったか。 その時はその言葉を理解する事が出来なかった。しかし・・・ そんな美里をちらりと見て、今度は全員を見渡すように十兵衛は口を開いた。 「よく聞け・・・事情を知って、例えば儂が戦わぬから斬るのを止めるというのは《活人剣》ではない ぞ。ただ、敵がいるからそれを斬る。それだけでは剣は《殺人剣》になる。剣をもって人を活かさねば 《活人剣》ではない」 誰もが、その言葉の意味を考えずにはいられなかった。 確かに今まで自分達は、ただ敵を斬っていたにすぎない。 誰かの為に、何かの為に・・・何かを為すために・・・ そして、自分達が柳生宗嵩を倒そうとしているのも、ただ敵を斬ろうとしているにすぎないのだ。 だからこそ、今のおまえ達では奴には勝てないと、十兵衛は笑う。 「まあ・・・そう言う意味で、お前達が殺したあの少年はそれを誰よりも心で理解しておったのだろう。」 「え・・・?」 京梧たちは一瞬それが誰の事を言っているのかわからなかった。 「そう・・・緋勇といったかの・・・」 あくまでも笑みを崩さずに言う十兵衛に、京梧たちは目を見開いた。 「なんでアイツのこと・・・?」 そんな京梧の問いには答えず、十兵衛は言葉を続けた。 「お前達はただ敵を斬ろうとした。それ故にあの少年は死んだ。だがあの少年は、人を活かそうとした。 そしてそれ故に命を落とした。少年を殺したのは紛れも無くあの少年自身だが、それはお前達のせいでもある。」 京梧たちは言葉を失う。そこで十兵衛は小さくため息を付いた。 「あの少年がいたからこそ、多くのものが生きた。違うか?」 「そうかもしれねぇな・・・」 京梧がポツリと呟いた。 「まぁ・・・方法は間違ったかもしれんがな。あの少年の行動の為に多くのものが傷ついたのもまた事実。 しかし、あの少年は自身の罪をしっかり自覚しておった。だからと言って罪が消える訳でもない・・・」 「・・・」 「結局・・・《活人剣》なんて剣は、何処を探そうが出て来はせんのかもしれん」 「そいつが、剣を振るう俺自身の・・・俺達の心そのものだから・・・」 そう言って小さく笑った京梧を十兵衛は面白そうに見る。 「よくぞ言った。その通りだ」 我が意を得たり、と十兵衛は笑う。 「そしてまた、今例えこうして宗嵩の邪法で甦りしも、儂が儂である以上は《神気》たる《活人剣》も朽ちぬ。」 人を、この剣で活かすために・・・そう言った十兵衛に、誰もがようやく穏やかに笑う。 一見すればそれが戦いの前だとは思えぬほどに、穏やかな空気。 「宗嵩を倒すために、《活人剣》を見出してみよ」 それが合図であったかのように、十兵衛に惹かれ現れる亡者達。 そんなものを気にするでもなく、京梧たちはその剣を握りなおす。 そう、これは人を活かす為の戦い。 今までに無い穏やかな感情が、自身の胸に宿っているのを、誰もが感じていた。 * 「なぁ・・・緋勇って誰だ? 」 十兵衛を倒し、ようやく一息ついたときに劉が言った。 「・・・前から何度かその名前を聞いたが・・・」 「あ、そっか。劉君は知らないんだよね」 そんな小鈴の言葉に、京梧たちの顔が曇る。それを劉は見逃さなかった。 「何者だ?」 再度問う劉に、ようやく口を開いたのは京梧だった。 「緋勇は・・・俺達の仲間だった。・・・そして俺がこの手で殺した。」 その言葉に劉の目が驚愕に見開いた。 「あの子を殺したのはあんただけじゃないよ。他ならぬあたし達自身が、あの子を殺したんだよ。」 そう言った桔梗の顔は何処か苦しげだった。その隣で、天戒が顔を逸らした。その目からは一切の感情が 失せている。 そして、京梧達は静かに語り始める。二つに別れた刻を・・・ 「アイツは・・・決して俺達を許さないだろう・・・」 そう言って目を伏せる京梧たちを劉は不思議そうな瞳で見つめた。 「だから、もし柳生の手によって、ソイツが現れたら、戦えないって事か?」 「当たり前じゃないかっ!」 間髪いれずに言ったのは桔梗だった。 「なんでだ?」 不思議そうに問い掛けてくる劉に、京梧が舌打ちする。 「もういいだろ・・・その話は」 これ以上話すことは無いというような京梧の言葉。しかしふいに劉は何かを考え込むそぶりを見せる。 「・・・そいつって・・・もしかして・・・」 そんな言葉に、京梧たちは思わず彼の方を見る。 「いや・・・何でも無い」 結局は口を閉ざした劉に、誰もがそれ以上声をかける事はしなかった。 そして、死闘の痕覚めやらぬその場から、竜泉寺に向けて歩き出す。 しかし劉はその場から動かない。そして一人になった劉は再び考え込む。 「やはりキミもそう思うのかい?」 一人になったと思っていただけに、唐突にかけられた声に驚いた。そこにいたのは梅月だった。 「僕の家にも、伝承が残っていてね。まあ、はじめは単なる御伽噺に過ぎないと思っていたんだけど ・・・彼を見て確信したよ。」 そう言う梅月の言葉に、自分の考えが間違っていない事を確信した。 『だとしたら・・・俺達は、奴に勝てない事になる。奴・・・柳生が龍脈を手に入れようとしている のなら・・・なるほど、あの言葉はそう言う意味か・・・』 しかしその言葉はあえて口には出さない。変わりに先ほどから思っていたことを言う。 「でもな、俺には緋勇って奴が、おまえ達の言うように、おまえ達の事を恨んでるなんて事は無いと思 うんだが。」 何処か真剣な面差しで言う劉に梅月は驚いた顔をする。しかしすぐに目を伏せ梅月はそっと踵をかえす。 「キミは何も知らないから、そんな事が言えるんだよ」 背を向けたままで言った。そしてそのまま一切の質問を拒絶するかのように立ち去った。 そんな彼の後姿を見送りながら、劉は小さくため息を付く。 直後、その気配に思わず顔を上げた。 そこにいるのその姿に劉は目を見開く。 「あんた・・・」 そこにいた年のころ変わらぬ黒髪の少年。 少年はただ、悲しげな瞳で仲間達が去った方を見つめている。そしてふいに劉にその視線を向けると、 その場から静かに消えた。 * 年ごとに 咲くや吉野の山桜 木を割りてみよ花の在処は この唄は神氣を表している。十兵衛はそう言った。 桜が桜だろうとする意思がある。それが神氣だと。 正直な所、それを完全には理解する事は出来なかった。 だがそれでいいのだと十兵衛は言う。それを分かる必要もないのだと。 例え桜の木を切り裂いたとしても、そこに神氣は見えることは無い。 確かにそこに在るものなのに、それに気付く事は無い。 恐らく、誰も“彼”の存在に気付いてはいないのだろう。 それでも少年は、彼らの傍に在るのだ。 彼らは、その少年が自分達を憎んでいると・・・そう思い込むことで、少しでもその気持ちを楽なほう へ持っていこうとしているのだ。 だからこそすぐ傍にいる存在に気付く事が出来ない。 あの少年の瞳からは憎しみはおろか、恨みや怒り・・・そう言った感情を一切感じる事は出来なかった。 あれほどまでに清廉で澄んだ魂を、劉は見たことが無い。 そして彼らは、そんな自分達の想いが少年を亡霊にしてしまっていることに、全く気付いていないのだ。 だからこそ、ただ悲しげな瞳で彼らを見続けているのだ。 彼は何時までこうして彷徨い続けなければいけないのだろうか。 「悲しいな・・・」 小さく呟かれた劉の声に答えるように、彼の肩に乗る猿が小さく鳴いた。
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