壱章

 

 

柳生十兵衛との戦いを終え、竜泉寺に戻った京梧達を迎えたのは、円空の姿だった。

この江戸を覆う邪気について、そろそろ突端に触れておる頃ではないかと思ってな・・・

と笑う老人に京梧達は驚いた。

不思議な気配を持つ老人だと、天戒は思う。

まずはお前達の話を、そう言う円空に京梧達は今までの出来事を語り始めた。

そして柳生が富士にいると聞かされた時、円空は面白そうに笑う。

「ほう、富士とな・・・」

答えを得たり、と飄々と笑う円空にだれもが目を丸くする。

「富士山こそ、日本における最も巨大な霊峰。そう、不死の山とも言われるように、尽きることの

無い気脈を天へと吹き上げる山。」

円空の言葉に京梧達は目を丸くする。

つまりは富士山が清の崑崙と同じ様な存在なのだと、そう言うことなのだ。今の今まで全く気付か

なかった。

富士こそが日本における崑崙と呼ぶにふさわしい霊峰なのだ。

しかし、いくら清ほどではないにせよ、富士まで向かうのにはどれほどの時がかかるのだろう

。その上、富士の麓には人の踏み入らぬ樹海が広がっているのだ。果たして、それほどの時間が自分

達にあるのだろうか。

しかし、そんな京梧達に円空は笑みをうかべたままで言う。

「方法が無い訳ではない。」

そう言った円空を京梧達は驚きの目で見つめる。

「《龍穴》」

誰もが首をかしげた。龍の通り道とされるその穴の事を円空は語り始める。

龍脈という言葉を漠然とは理解していても、その真実の力は想像していた以上のもので、誰もが驚

きを隠せなかった。

そんな彼らを少し面白げに見つめながら、しかしふいに真面目な顔に戻り円空は言う。

「そして、その龍穴が力を取り込む場所、いわばあぎとにあたる場所こそ、この竜泉寺なのだ。

・・・だからこそ百合はこの場所を選んだのだ。」

気の流れを見る事が出来るという如来眼。時諏佐はその目をもっていたという。

だからこそ、円空は江戸を護り、しかしその未来を築くであろう若者たちを、時代の犠牲者せぬため

に、彼女を選んだという。

「じゃがのう、それを成し遂げたのはおぬしらの力じゃ。」

そう言って笑う円空はふと思い出すように遠い目をした。

「人と申すものは、詮が詮には、似るを友とす・・・以前龍斗に言ったことがある。」

「・・・・」

「お主らにとって、あやつは不思議な存在と映ったであろうな。特に龍閃組にとっては、理解出来ぬ

ことも多くあったじゃろうて・・・あやつは真実を見極める力に長けておった。そして決して惑わさ

れぬ強さ。全てを受け入れる優しさと・・・」

そう言ってしばし考えるそぶりを見せる。言うべきか否かを悩んでいるようでもあった。京梧たちは

何も言わずその言葉を待つ。

「あやつは・・・器と呼ばれる存在だった。そう、この世でただ一人、黄龍をその身に降ろし、全て

を手に入れる資格をもつただ一人の存在。望めば時代の覇者となることも可能であり、森羅万象全て

を治むることすら出来た」

「!!」

誰もが驚愕に目を見開いた。

そしてようやく柳生の言葉の意味を理解した。

「最もあやつはそんな事をこれっぽちも望んではおらんかったようじゃがの。得てして、器というの

はそう言うものなのかのぅ。だがな、あやつの存在がおぬし等を、多くの者を導いた。それだけは確

かじゃ。」

そんな円空の言葉を誰もが黙って聞いている。京梧はふいに言った。

「奴が・・・柳生が言っていた。自分を止める力を持つただ一つの存在は既にこの世には無いと。そ

して俺達に礼を言うと・・・」

そして唇を噛む。

「俺達が、奴の野望を止める・・・この町を救う術を奪ったって事かよ!俺が!!だから奴は俺達に

感謝していると!!」

血を吐くような叫びだった。誰も何もいう事は出来なかった。

「柳生が手に入れようとしているのは、富士そのものだけに留まらぬ、無尽蔵の氣、まさに神をも凌

ぐ力・・・それを真に手にする資格もつ龍斗は柳生にとっては何よりも邪魔な存在だったのだろう。

そして、龍斗がいない今、柳生にとって邪魔なものなどは存在せんのかもしれぬ。」

円空が呟くように言う。誰もが顔色を失う。

「だから・・・なんだってんだ。謎は解けたんだ。後は富士に向かいそれを止めるだけだ。俺達には、

俺にはそういうほうがあってるさ。」

どこか自嘲ぎみた言葉だった。

「京梧・・・」

「江戸を救うとか、そんな事は関係ねぇ。俺は俺自身のためだけに、柳生と戦う。俺の・・・明日を

取り戻すために。」

そうだろ?

そう言う京梧の言葉に、誰もがかすかに笑って頷いた。

 

 

 

 

 

 

旅立ちの前、各々は思う処に別れをつげに行っていた。

もう戻れないかもしれない。そんな不安を胸に。

しかし天戒は、何故だか村に戻る気に離れなかった。

本来ならば、父母の墓に参るべきなのだろう。柳生の力の為に倒れた仲間達の下に参るべきなのだろう。

だが、鬼哭村に戻るよりも先に、足は別の場所に向かっていた。

天戒はその小さな墓標を目の前にして、小さく目を閉じた。

「・・・龍・・・」

どれほど思い起こしても、彼の笑みを思い出すことは出来ない。

悔やんでも悔やみきれぬ想い。決して絶えることの無い後悔。

「やっぱりここにいたのか・・・」

小さく笑いながら現れた京梧の姿に、天戒は視線を向けようともしなかった。

「あんた、別れを言う奴はいねぇのか?」

まあ、俺も人の事はいえねぇと笑う京梧に天戒は何も答えない。

「俺が、心から会いたいと思うのは・・・ただ一人だけだ。」

ふいに放たれた言葉に、京梧の顔から笑みが消えた。

「俺達は、もしかしたら勝てねぇかもしれねぇな。」

「かもしれん・・・」

「黄龍の器って・・・あんた知ってたか?」

「いや・・・」

天戒の様子に京梧は小さくため息を付いた。

しかし、それを気に止めるでもなく、ふいに思いついて口を開く。

「俺達はさ、あいつと殆どまともに話した事は無い。」

そんな京梧の言葉に、天戒はその視線を京梧に向ける。京梧は小さく苦笑いして言葉を続けた。

「まあ、俺が一方的にあいつにきつく当たってたのもあるけどさ。あいつ、強ぇ筈なのに、まともに

戦おうともしないし。俺達が何を言っても、黙ったままでさ。そん時はあいつが抱えてるものの事な

んて知りもしなかったからよ。ただ腹が立った。」

「・・・・」

天戒は答えないが、京梧はかまわずに続けた。

「百合ちゃんにさ、言われたんだよ。あいつと生きていく為に必要なのは、言葉じゃなくて心だった

んだろうってさ。悔しかったよ。俺はあいつの表面しか見ていなかった事にその時初めて気付いた。

情けなかったな、自分が。結局人ってのは、他人の上っ面しか見てねぇが、俺はそんな事は無いって

思ってた。なのに、結局は俺はあいつの上っ面しか見てなかったんだ。あいつが何を考え、何を思い

・・・そして、どれほど苦しんでいたのか、何も考えちゃいなかった。」

京梧は目を伏せた。そんな彼を横目で見ると、天戒はようやく口を開いた。

「あいつは・・・感情を表に出すのが酷く不得手だといっていた。特に笑うのが苦手だと。笑おうと

すると凍りついたように表情が固まってしまい、どうしても笑う事が出来ないと・・・」

「みたいだな・・・」

「だがな、あいつの言葉はいつも俺達の心を導いてくれた。暗い闇の中を彷徨い続けていた俺達に、

あいつという光が、導いてくれたのだ。あいつの言葉一つ一つが重く、そして心に響いた。」

京梧はそんな天戒の言葉に思わず目を伏せた。恐らく自分と、鬼道衆の違いはこれなのだろう。

彼らは龍斗の表面にとらわれず、その言葉を受け止めていた。自分たちには出来なかった事。

「初めて会った時、あいつに言われた。俺の望みは何なのかと。俺はその時幕府を滅ぼす事だと即答

した。ずっとそれが俺が真に望むものだと思っていたからだ。するとあいつは俺が本当に望んでいる

のは何かと言った。俺はそれに答えることが出来なかった。」

京梧は少し驚いた顔をした。彼が望んでいたのは復讐だと思っていた。

もちろん穏やかな時間を望んでいるという事も知っているのだが・・・

「俺自身、考えた事も無かった。ただ復讐の為だけに突き進んできた俺が、真実望むものなど無かっ

た事・・・そしれそれに気付かない振りをしていた。それを見透かされたようで・・・不思議な気分

だった。既にその時からあいつに惹かれていたのかもしれんな・・・」

小さく笑みを浮かべて、再びその視線を墓標に向けた。

「あいつと約束した。俺が必ず護ると。生まれて初めて人を心から護りたいと思った。そう言ったと

きあいつは笑った。滅多に笑わぬ奴だったが、俺はそれが何より嬉しかった。」

しかし次の瞬間天戒の表情は苦しげに歪む。

「何故だかあいつの笑った顔だけが思い出せない。思い出そうとすればするほど、甦るのはただ無表

情に俺を見つめる姿だけ。」

「あんた・・・」

「何故・・・俺はこんなにも無力なのだろう。ただ一人・・・たった一人の命すら護れぬほどに!!」

どこか苦しげな表情だった。

「・・・・あいつは、俺を許さないだろう。」

そう言って自嘲とも取れる笑みを浮かべると、そのまま境内へ向けて歩き出す。

そんな彼を、京梧は何も言えずにただ見送るしかなかった。

「あいつが許さねぇのは、あんたじゃねぇ。俺だよ・・・」

ポツリと呟かれた言葉に風がただ悲しげに吹きぬけた。

 

 

 

 

 

 

犬神は物陰で、二人が立ち去るのをじっと見送った。

そして、誰もいなくなったのを確認すると、ようやく姿を現した。

そこに眠る人物。誰も信じる事が出来なかった自分が、ただ一人信じることが出来た存在。

出会ったのは何時だっただろう。彼と生きた時間は、今まで生きてきた時間に比べれば、取るに足ら

ないほどの短い時間。しかし何よりも自分が生きていると思えた時間でもあった。

つい先ほどその場から去っていった燃えるような紅い髪の男。その彼の背後に一瞬見えたその姿。

犬神は微かに驚きを隠せなかった。

「本当に難儀な餓鬼だな・・・お前は」

どこか悲しげに呟く。

「お前は・・・答えを見つけたのか?」

答えは返って来ないと解っていたが、犬神はかまわずに語りかける。

ずっと彼が探し続けていたという答え。

しかしそれが、この結果なのだというのならば・・・

「バカな奴らだな。お前も・・・あいつらも・・・」

そしてそのまま振り返りもせず、彼らがいるであろう境内に向かって歩き出した。

 

 

 

弐へ 肆へ