決して消えない後悔。 悔やんでも悔やみきれない思い。 彼の人は、果たして幸せだったのだろうか・・・ |
伍章
懐かしい夢を見た。 それは、幸せだった頃の夢。傍らにある、大切な人。 「貴方の望みは何ですか?」 その人が問う。初めて出会った時にかけられた言葉。 ようやく見つけた答え。 心からの望み。それは・・・・ 隣に居るその人の顔を見たくてそちらを見る。 しかしその表情は逆行に遮られて伺えなかった。 「天戒・・・」 優しい彼の声音が、耳に優しく響く。 真っ赤な衣装を身に纏い、静かに佇むその姿。 そしてふと浮かぶ疑問。 確か、彼は白い衣装を身に纏ってはいなかったか・・・? 気が付くと、あたり一面が血で染まっている。 おびただしいまでの血の海。その中心に彼が佇んでいた。ようやく見えたその面には、何の感情も浮 かんではいない。決して感情の伺えない表情でこちらを見つめている。 ただじっと見つめ返してくるその視線に耐えることが出来ない。 ふと己の手を見る。そこに握られた血まみれの剣。 それに驚いて再びその人を見遣る。その体から流れるおびただしいまでの血。 目の前に居る人は、そのまま静かにその場に崩れ落ちる。 「龍っ!!」 天戒は思わず叫んでいた。 伸ばされた己の手は、血で紅く染まっていた。 夢はそこで覚めた。 * 「天戒様しっかりして下さい!!」 かけられた声にゆっくりと目を開ける。 そこにいたのは、愛しいその人ではなく、長年自分を支え続けてくれた仲間の一人。その後には美里藍 の姿も見えた。 「桔梗か・・・ここは・・・?」 「わかりません。どうやら、敵の術に嵌ってしまったみたいですねぇ」 辺りを見回しながら、桔梗が答えた。 「振り返ったら、突然ここに飛ばされていて・・・一体何があったんでしょう?」 不安げにそう言って、天戒の方を見た美里の顔が曇る。 「あの・・・お顔の色がすぐれないようですが・・・」 心配そうに言ってくる美里に「気にするな」とだけ答えて、天戒は漸く今の状況を理解し始めていた。 辺りを見渡すが、そこには桔梗と美里以外、誰の姿も見当たらない。 「多分、ここは敵の結界の中ですね。この分だと、他の連中も奴の罠にかかってると見て間違いないですね。」 桔梗の言葉に天戒は眉をひそめる。 とにかく、今の状況を打破しなければならない。はぐれた仲間達のことも心配だが、それ以上に刻一刻と過ぎる 時間が気にかかった。 自分達はこんな所で立ち止まっている暇は無いのだ。 そう思い、天戒はあたりに潜むであろう敵の姿を探すため立ち上がる。 その時背後に気配を感じた。 敵が現れたのか・・・と、振り返った瞬間、天戒は目を見開く。 そこには、いるはずの無い人が立っていた。 「た・・・つ・・・・」 彼はだた、虚ろな目でこちらを見つめている。 夢の中と同じく、何の感情も伺う事が出来ない。 ――俺はまだ夢を見ているのか・・・? 「なんで、たーさんが・・・」 天戒の背後で驚いたように、桔梗が呟いた。その隣では、美里も青い顔をしている。 そんな二人の様子に、どうやら自分にだけ見えている幻では無いようだと理解する。しかし、何故?今目の 前にいる人物は、すでにこの世のものでは無いのだ。他ならぬ自分がその人を死なせたのだから。 そして、ようやく気づいた。目の前にいるその人の瞳に、激しい憎悪が浮かんでいるのを。 * 「俺を恨んで、迷ってきたのか・・・」 呟いた天戒の声に、いつもの覇気は見られなかった。言葉が続かない。何を話すべきなのか、どう声をか けるべきなのか・・・ 心の中に巣食う、後悔の念。あの後、どれほど悔やんだ事か。 必ず護ると、そう誓ったその人を死なせたのは、間違いなく自分。 「俺を殺したいのか・・・?」 乾ききった声で、問い掛ける。しかし、彼は答えない。まるでそれが答えだとでもいうような憎しみに満 ちた瞳で、なおも天戒を見つめ続けている。 どこからか、笑い声が聞こえる気がした。 「お前が俺の死を望むなら、そうするがいい。」 そう言った天戒の声に答えるように、目の前の人物が漸く動いた。 後で何かを叫ぶ、桔梗と美里の声を遠くに聞きながら、天戒は静かに目を閉じた。もしかしたら、自分は ずっとそれを望んでいたのかもしれない・・・ “彼”が死んでから・・・・ その時暗い洞穴内に暖かな風が吹き抜ける。 ふと誰かに抱きしめられたような錯覚を覚えた。 背中に感じる自分を包み込むような温もり。それは、遠い昔に無くした筈の物。 そして天戒は静かにその眼を開いた。 目の前にいるその人を見る。それは確かにかつて愛した人の姿をしていた。しかし、それに重なるように 別の人物が見える。 その姿を、天戒ははっきりと覚えていた。 それは“彼”とは似ても似つかない、濁った目をした、かつて自分たちの前に立ちはだかった存在。 何故その人だと思ったのだろう。 己が愛した人は少なくとも、憎しみを人に向けるような事は決して無かった。 例え戦いの中においても、彼の清廉な魂と同様に、その瞳は濁る事無く澄んだままだった。 そんな、彼だからこそ愛したはずなのに。 何故間違えたのだろう。 「すまぬ、龍・・・」 小さく呟くと、その剣で天戒は目の前の人物を貫いた。それは一瞬の出来事。 「何故だ・・・・」 驚いたように、そいつが言った。あまりに突然の出来事で、おそらく避ける間さえなかったのだろう。 それはすでに彼の姿をしてはいなかった。 「お前は、禁忌を犯した・・・」 穏やかに、しかし怒りに満ちた声で囁く。 その時になって、それは自分の過ちに気づいた。 そう、決して犯してはならぬ禁忌。 「地獄で己の罪を贖うがいい、百鬼!!」 その剣を抜き放った瞬間、術が解けたのか、今まではいなかった筈の仲間達の姿が現れる。術が解けたのだ。 その姿を確認し、ようやく安堵の息をつく。 そして同時に湧き上がる想いに、思わずその手を硬く握り締めた。 心に巣食う闇は決して晴れる事は無い。 天戒はその手を握り締める。気付けばその手の中に一片の小さな薄紅色の花びら。 いつの間に、こんなものが・・・?この洞窟内には、花はおろか、植物すら無いというのに。 暗い洞窟内に、白く輝くその花びらは、吹くはずの無い暖かな風に煽られて天戒の手の中から消え去った。 * 泣いて許しを乞う百鬼を見逃した後、彼らは再び進み始める。 背後で、叫び声が聞こえたのは、多分気のせいではないだろう。 だが、立ち止まる者はいなかった。 もう振り返る事は無い。 そう彼らは振り返る事も、立ち止まることも無いのだ。 全てを終わらせるまでは。 「さっきの・・・あの言葉は、本心じゃねぇからな・・・」 ふいに京梧が言った。小鈴と風祭の表情がかすかに変わる。 「別に・・・あんなの本気にする訳ないじゃないっ。」 何処までも明るい小鈴の笑顔だった。それでも「すまない」と詫びる京梧に小鈴は笑い声を上げる 。つられたように京梧と風祭も笑った。 何があったのか、天戒達にはわからない。誰もがその三人の様子を見ている。 その笑い声はどこか悲しいと、そう思った。 「ねぇ、笑おうよ・・・」 その目じりには涙が見える。そして、小さく呟かれた小鈴の言葉を天戒は聞き逃さなかった。 「ごめんね・・・本当にごめん・・・龍斗クン・・・」 「・・・・・・」 その呟きは余りに小さく他のものは気付かなかったようだが。 ふと、天戒は先ほどの戦いを思い出す。 あの時憎しみの目で自分を見つめていた龍斗。 それは、決して彼では無かったけど。 確かに誰かを憎んだりするような人ではなかった。 だが、もしかしたら、彼が自分を憎んでいるかもしれないという疑問を天戒は完全に消し去る事が出来な かった。そして、それは決して消えない後悔と共にずっと抱き続けていたもの。それは何時までも心の奥 に燻っていた。 どうしても、彼の笑顔だけが思い出せない。 「すまない・・・」 小さく呟かれた言葉は、果たして誰に向けられた物なのだろうか。 遠くで誰かが泣いている、そんな気がした。
|
|
肆へ | 陸へ |