男はその視線を上げた。

今目の前にいる存在。あの邪悪な男とは比べるまでも無く清廉な氣。

ふと思い出す。崑崙山で聞いた話を。

目の前の少年は、じっと一点を指差した。

助けて欲しいと言っているようだった。

「お前は俺を・・・解放してくれるのか・・・?」

この少年なら出来ると・・・何故だかそう思えた。

 

 

 

 

 

 


陸章

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただただ苦しかった。体が燃えるように熱かった。

その顔を上げると、そこには見慣れた仲間達の姿。

しかし彼らは、自分がこんなに苦しいのに、冷めた瞳で見ているだけだった。

「何故私だけが、こんな目に会わなければならないの!?」

だれかれかまわず、叫びたかった。

「どうして私だけが・・・」

違う、こんな事を思っているわけではない・・・

心の中でもう一人の自分が叫んだ。

「皆にはわからない、私の苦しみなんて!」

そんな事は無い。皆私を心から案じてくれている。

「皆も、同じ目にあえば私の苦しみが解るはず!」

やめて!私はそんな事を考えた事はない!

「誰か、助けて!!」

それはこの苦しみから逃れたいのか、己の中に芽吹いた醜い感情から逃れたいのか・・・

美里にはわからなかった。

その時、その額に冷たいものが当てられた。

氷のように冷たいそれは、体が燃えるように熱かった美里にとって、とても心地良い物に思えた。

次第にその心に落ち着きが戻っていく。

「誰・・・」

朦朧とした意識の中で、美里は問い掛けるが、答えは返って来なかった。

 

 

 

 

 

 

美里が蜉蝣の毒に倒れて数刻。

誰もがあせりを隠す事が出来なかった。自分達の全く預かり知らぬ毒。

彼女を癒す術すら持たぬことに、悔しさがあふれ出てくる。

今のままでは、あと幾ばくも持たないであろう事が、今の美里の様子からは見て取れた。

「今は少し落ち着いているようだね・・・」

美里の様子を見て少し安堵気味に小鈴が言った。先ほどまでうわごとを繰り返していた彼女は、

今は熱は高いものの案外に穏やかな表情に見えた。

「九角さんたち・・・何処までいったんだろ。桔梗さんも戻らないし」

小鈴の声は少し硬い。風祭がチラリと彼女の方を見る。

「藍・・・大丈夫だよね。・・・龍斗クンお願い、藍の事護ってね。」

小鈴は祈るように呟く。

「何で、ボクはいつもこうなのかな。さっきだってボクがしっかりしていれば、こんな事には

ならなかったんだよね。ごめんね藍。」

目覚めぬ友に詫びながら、小鈴は遠い昔のことを思い出していた。病気の犬を助けたいと泣く

自分の為に、こっそりと薬を持ち出してくれた美里。

あの後彼女がどれだけ大人たちにしかられたか・・・

それでも何も言わず微笑んでくれた友。

そう、いつも彼女に迷惑をかけ続けていたような気がする。美里の優しさにつけ込んで。

結局自分は甘えていたのだ。

「ごめん・・・ごめんね。ボクは結局一人じゃ何も出来ない・・・

誰かがボクを助けてくれるのを待ってる。」

何度も詫びる小鈴の姿を見かねたのか、ふいに風祭が声をかけてきた。

「別にそれで良いんじゃないか?」

小鈴は驚いたように風祭を見た。憮然としながらも風祭は小鈴に言う。

「俺に言わせれば、それもお互いさまって奴だな。誰だってさ、自分一人じゃ何にもできねぇ。

人が一人で出来る事なんてたかが知れてる。だから自分に出来無い事を他人にやってもらう為に、

人はつるむんだろ?その女だってそうだ。自分に出来無い事をやってもらう為に、お前らといる

んじゃないのか?」

小鈴はカッと頭に血が上るのを感じた。

「藍はそんな子じゃない!藍をバカにしないで!!」

余りの剣幕に一瞬風祭は怯むが、すぐに気を取り直す。

「別にバカにしてるとかじゃなくてさ、人ってのは一人で出来る事と、出来ないことが在る。

ああ・・・だからよっ!俺が言いたいのは!その女だって、その犬を助けたかったんじゃねぇの?

でもそれを出来ずに、躊躇してたんだ。それをお前の涙が動かしたんだよ。」

小鈴はハッとする。そして次の瞬間には大きく笑みを浮かべる。

「ありがとう・・・」

風祭はそんな小鈴の言葉に照れたように顔を逸らす。

「なあ・・・」

ふいにかけられた声に、小鈴は首をかしげながら風祭を見る。

「お前らみたいな関係の事・・・つまり、子供の頃から助けたり助けられたりするのって・・・

幼なじみっていうんだろ?」

途端に小鈴が破顔する。しかし、風祭は遠い目で小さく言った。

「俺にもいたよ・・・昔。幼なじみってやつが。・・・死んじまったけど。」

「それって・・・龍斗クン?」

小鈴が悲しげに尋ねる。風祭は小さく笑った。そして、小鈴が再び口を開こうとした時、

唐突に笑い声がした。

現れたの蜉蝣だった。恐らくは彼らが分散するのを待っていたのだろう。

「待っていたぞ、化け物。」

その背後から突然声がする。蜉蝣の考えを見越したように現れた天戒たちの姿に、

蜉蝣はかすかに目を見張る。

「なるほどね。鬼道衆頭領は伊達じゃないってことだね。」

蜉蝣は心底愉快そうに高笑いする。

「いいさ、ここであんたらに引導をわたしてやるよ。かかってきなっ!」

 

 

 

 

 

 

少なくともこの国は薬は無い。蜉蝣はそう言って消えた。

誰もがその言葉に絶望するしかなかった。

桔梗すらその種類が全くわからないと言った毒。

この世界のどこかにはあるかもしれないその薬を、今まさしく消えようとしているその命の

為に、どうやって探し出せると言うのか。

何より自分たちには時間が無いのだ。

「俺達に出来るのは、祈る事しかないのか・・・」

己の無力さを悔やむように雄慶が

「どうして・・・」

小鈴がポツリと呟く。

「藍がこんな目にあわなきゃいけないの!藍は何も悪い事してないのにどうして!

この世界のどこかにある毒消しが、ここに無いの!この世界のどこかにあるなら、

ここにあったっていいじゃないか!その毒消しを持ってる誰かがここにいたって

良いじゃないか!!」

小鈴の目からは涙があふれ出ている。留まる事無く流れるその涙に、誰もがただ自分の

不甲斐なさを感じる事しか出来ない。

「誰か・・・誰か助けてよぉ!!」

小鈴が叫んだその時・・・

『こちらだ・・・』

何処からとも無く聞こえる低い声。当たりを見回すがそれらしき姿は無い。

「人の声が・・・」

あふれ出た涙をぬぐう事もせず小鈴が呟いた。

「ほ、ホントだぜ!!」

その声の主を確かめるべく京梧も当たりを必死で見渡す。

『こちらだ・・・』

再び声がする。そして次の瞬間辺りが真っ白な光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

そこは不思議な場所だった。

暗い洞窟であったはずのその場所。いや、洞窟には違いないその場所には、いる筈の

無い蛍が舞っている。誰もが思わず呆然とした。

突然聞こえてきた低い声に導かれるままに、たどり着いたその場所。

「ここは一体・・・」

まるで狐につままれたような顔で桔梗は呟いた。

「あっ・・・藍は!?」

ようやく気付いたように小鈴が叫ぶ。

「ここだ・・・」

落ち着いた天戒の言葉に、小鈴が藍の様子を見る。先ほどまでとは比べるまでも無い

静かで規則正しい息だった。

「熱も下がってる・・・これって!?」

嬉しげに声を上げる小鈴に、天戒が小さく頷いた。

「よかった・・・藍、助かったんだね!!」

「うるさい娘だ。人の家ではもう少し静に出来ないのか・・・」

背後から声がする。それは先ほども聞こえた低い男の声。

「誰かそこにいるのか!?」

雄慶が声をあげる。そんな言葉に男が薄く笑いながら突然表れる。

「人の住処に来て誰とは・・・挨拶だな・・・」

小鈴が驚いたように目を丸くした。自分が刻を過すのは、今ではもうここだけだという男の

奇妙な言い回しに首をかしげながらも素直に詫びる。

「ごめんなさい・・・」

そんな小鈴には答えず男は言葉を続ける。

「お前達は、あの《龍穴》から来たのだろう?時空の乱れる感じがした。これより過去か未来の

どちらかで・・・あれがそうだったのだな。」

男の言葉を理解する事は出来なかった。しかし、藍の毒を消したのはどうやらこの男らしい。

小鈴が歓喜の声をあげた。

男に対して礼の言葉を述べたとき、美里の口からかすかなうめき声が聞こえる。

どうやら意識も戻ったようだった。

何度も何度も良かったと繰り返す小鈴たちに首をかしげながら、美里も嬉しそうに笑う。

「とにかく、信じられないよ。こんな所で、助けが得られるなんてさ!!」

何処までも嬉しそうに小鈴が言う。余程嬉しいのか、その顔には満面の笑みが浮かんでいた。

「頼まれたのでな・・・」

そんな小鈴たちの様子を気にするでもなく、男は小さく言う。

「え?・・・頼まれたって・・・・?」

そんな問いに男が答えようとしたとき、ふいに背後の劉が険呑とした声で言う。

「なるほど、こんな処に隠れていたとはな。」

劉の言葉に、驚いたように小鈴達は彼を見る。

しかし劉はそんな周囲の様子すら目に入らぬように声を荒げた。

「ついに見つけたぞ崑崙!この仙道士の面汚しめ!!」

普段の彼からは考えられぬ様な言葉に誰もが驚きを隠せない。

ただ目の前の男、崑崙だけがその言葉に薄く微笑んだ。

「なるほど、お前は勾玉を取り返しに来たと言う訳か。」

そして気付いたように顔を上げる。

「そう言う・・・事か。」

そして笑みを浮かべたまま言う。

「我が名は崑崙。探求せし者。まずはその娘を助けた礼をしてもらおうか。」

崑崙の言葉に、劉の目が険しくなる。

「お前達の力、試させてもらおうか。・・・かかってこい・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伍へ