玄徳がその兄妹に出会ったのは玄徳が十五歳。

その兄が十六歳で、妹が七歳の時の事であった。

 

 

 

「目が覚めたか?」

目に入ってくる太陽の光を眩しいと思いながら、何があったのかを必死に思い出す。

『確か俺は・・・ぶつかった武将に斬られて・・・』

思い出してようやく玄徳は自分が死んで無い事を理解した。

聞こえてきた声に、そちらを見るとそこには年若い・・・恐らくは自分と同じか少し下くらいであろ

う青年の姿がある。

青年は優しげな笑みを浮かべている。

「貴方が俺を助けてくれたのか・・・」

驚くほどに声はかすれていたが、なんとか声を出すことには成功する。

「助けたのは俺ではない。妹だ。」

青年はそう言って笑うと、そっと目配せした。

そこには恐らくまだ6、7歳であろう幼い少女の姿。

考えてみれば遠のく意識の中で幼い子供の姿を見た気がする。

「それは貴方の妹御に心から感謝しなければいけないな。」

嘘偽り無くそう思いふと気になり彼らに問い掛ける。

「で・・・貴方達は・・・?」

かすれた声で問い掛ける玄徳に、青年は人の悪い笑みを浮かべた。

「人に名を尋ねる時は・・・自分から名乗る。そう教わらなかったか?」

人の悪い物言いでは会ったが、決して嫌味のこもらぬその物言いに、玄徳は苦笑いを浮かべる。

「失礼した。俺は劉備という・・・字は玄徳だ。」

玄徳の名を聞いて、成年はおや?というような顔をするが、すぐに笑顔に戻る。

「名乗っていただいたからには、こちらも名乗らぬ訳には行かないな。」

どこまでも爽やかな笑顔で青年は言う。

「俺の名は趙雲。字は子龍という。妹は美霞(メイシア)という。」

それが劉玄徳と趙子龍、そして趙美霞との出会いだった。

 

 

 

 

 

 

玄徳が出会った幼い兄妹は―最も兄のほうは自分よりも年が上であったのだが―荒んだ今の世に

於いて彼にとってとても眩しく映った。

二人の両親は一年程前に殺されたという話を聞いたのは、出会ってから暫く経ってからのことで

あった。妹の美霞はその時目の前で両親を殺されたそうだ。

それ以来口を利くことが出来なくなってしまったと言う事も、その時に聞かされた。

玄徳とその兄妹は、特に兄の趙雲とは何故だか妙に気が合い、二人が友と呼び合うようになるま

でそう時間はかからなかった。

美霞もまた兄の趙雲と同様に玄徳に懐き、彼を兄のように慕った。

兄弟のいない玄徳にとっても美霞は妹のような存在だった。

漢王朝の末裔だと言う玄徳に、趙雲は笑った。

「実を言えば、俺たちの先祖は秦の始皇帝に滅ぼされた趙国の王族だそうだ。まあ、年寄りの言

う話でそれが本当かどうかは知らないがな」

そういっていつものあの人の悪い笑みを浮かべる趙雲に、玄徳も思わず笑いを隠す事が出来なかった。

性格こそ全く違う二人ではあったが、二人は何故だかとても気があった。

そして玄徳にとって趙雲がただの友人から、親友と呼べる存在になるまでにそう時間はかからなか

った。

二人して今の世を語り、いつかこの荒んだ世を変えたいと語り合った。

いつかともに背中を合わせて闘いたいと言い合った。

そして二人でいつか誰もが穏やかに暮らせる世にしようと誓い合った。

美霞のように目の前で両親を殺され傷つく様な者がいない時代になればいいと、心から願った。

玄徳は彼を生涯の友と呼び、彼もまた玄徳を生涯の友と呼んだ。

そしてそんな二人を見ながら、余り笑う事がなかった美霞も少しずつだが笑うようになり、口こそ

利けぬままではあったが、何時の頃からか輝くばかりの笑顔すら見せるようになった。

そんな彼らの交流はその後趙雲が公孫讃に仕えるまで続いた。

公孫讃に仕える為に今まで住んでいた所から離れる事になり、趙雲と美霞が玄徳の元へと訪れたの

は、彼らが出会ってから三年ほど経った頃の事だった。

 

「行くのか?」

「ああ・・・今まで世話になったな、玄徳。」

「子龍も息災でな。いつか語り合ったように、いずれ共に戦えると良いな。」

「そうだな」

そう言って笑う趙雲に対し玄徳もまた笑う。

そしてその場にかがみこむと出会った頃よりも少し大きくなった美霞に視線を合わせ微笑む。

「美霞も・・・元気でな。」

「・・・」

美霞はそんな玄徳を悲しげに見つめ口を開く。

必死に何かを言おうとしているのだろうが、決して声にはならない。

そんな美霞の頭にそっと手の平を乗せると、玄徳は再び微笑んだ。

「また会えるさ・・・」

趙雲はそのまま俯く美霞にそう言う。

「じゃあ俺達はそろそろ・・・」

「ああ・・・」

そのまま趙雲の手に引かれ歩き出す美霞が、ふいに兄の手を振り解き玄徳のところまでかけてくる。

「・・・ちゃん・・・」

「え?」

それはともすれば聞き逃してしまいそうなほどかすかな声であったが、玄徳は聞き逃さなかった。

「ま・・たね・・・玄徳お兄ちゃん・・・」

それは玄徳が出会ってより初めて聞いた美霞の声だった。

玄徳は破顔する。趙雲もまたそんな妹の姿を見て笑う。

そのまま遠ざかる二人の姿を、玄徳は何時までも見送った。

「また・・・会おう・・・」

やがて姿の見えなくなった二人の去った方向を見つめ玄徳は小さく言った。

 

 

 

 

 

 

「玄徳!」

別れた頃と変わらぬ彼の声だった。

「子龍、久しいな。元気そうで安心したぞ」

「随分と活躍しているようだな。お前の名声はいろいろと聞いているぞ。」

そう言う友の言葉に、玄徳は照れたように笑う。

「いや大した事はしていない。義弟達がよくやっていてくれるのだ。」

「そういえば、義兄弟が出来たと聞いたが。」

「ああ、紹介したかったのだが生憎と今日は別行動でな・・・いずれは紹介しよう。」

「ああ・・・楽しみだな・・・」

趙雲の口調は先ほどとは変わり何処か重く玄徳は眉をひそめる。

「どうか・・・したのか?」

趙雲は答えない。

いや、玄徳には問い掛けるまでも無く理由はわかっていたのだが。

「公孫殿のことか・・・?」

公孫讃の最近の噂を玄徳も何度か耳にした。

以前に公孫讃に会ったのは、確か虎牢関での戦いだったか。

生憎と趙雲は参戦していないようだったが。

しかし、あの戦いの後に袁紹との事を構えるようになった頃から、彼の余り良くない噂を玄徳は

聞くようになった。

だからこそ玄徳は公孫讃を尋ねたのだ。

「殿はもう・・・ダメだ。誰も信用しようとはせず、誰一人自分の傍に近づけようとはしない。

臣下もどんどん殿を見限って離れていっている。このままでは袁紹に滅ぼされるのは時間の問

題だろう。」

そう言って目を伏せる趙雲の姿を見て、玄徳は思わず言葉に詰まる。

「そうか・・・」

かろうじてそれだけ口にすると、そのまま二人の間に沈黙が流れた。

「玄徳兄さんが来ているって本当!?」

その沈黙を破るかのように、唐突に明朗な声がする。

間を空けずに扉が勢いよく開く。

「美霞・・・大きくなったな。」

懐かしい少女の姿に、玄徳は思わず目を細めた。

「もう十四ですもの!」

そう言って輝かんばかりに微笑む少女の来訪に、玄徳も趙雲も思わず微笑んだ。

 

 

 

 

 

その後、まだ話したいことがたくさんあると玄徳の傍を離れようとはしない美霞を必死に宥めて、

大事な話があるからと美霞を自室へと戻す。

まだ不満そうではあったが、あとで部屋に行くからという玄徳の言葉にようやく納得したのか、

美霞は「必ずよ!」と念を押し、部屋へと戻っていった。

「随分とお転婆になって・・・困ったものだ。」

そう言って苦笑いを浮かべる趙雲に玄徳は笑った。

「だが・・・あの頃よりも一段と明るくなった。」

「ああ・・・可愛い妹だ。あいつの幸せだけが・・・今の俺の願いだ。」

そう言って俯く趙雲に、玄徳は何かを感じる。

「子龍・・・」

「玄徳、頼みがある。」

玄徳の言葉を遮るように趙雲が言った。

「あいつを・・・美霞を・・・頼む。」

搾り出すように言う趙雲に玄徳は思わず顔をしかめた。

「何を・・・」

「俺は、殿と運命を共にするつもりだ。」

その瞬間、玄徳は目を見開いた。

公孫讃と運命を共にする、というのはつまり・・・

「殿は俺に・・・俺たち兄妹に居場所を与えてくれた。だからこそ俺は殿を裏切る事は出来ない。

俺は殿を見捨て、自分だけが安全な所へ行こうとは思わない。だが、美霞には幸せになって欲し

いんだ。俺と運命を共にする事など無い。あいつには自分自身で己の道を選んで欲しいんだ。」

趙雲の口調はどこまでも優しい。

「だが俺が死んだ後、一人残されたあいつの事を考えると・・・」

趙雲はその拳を握り締めた。

「頼む・・・お前にしか頼めないんだ・・・友よ・・・」

玄徳は唇をかみ締めた。

いつか二人で語り合ったように、いつか共に戦える日が来ると、ずっと信じていた。

だが彼が一度決めた以上、決してその考えを曲げる事が無い気性の持ち主である事を玄徳はよく

知っている。

恐らく自分が何を言っても、彼の決意を変える事は出来ないだろう。

「わかった・・・」

俯いたままようやく玄徳は答えた。

「ありがとう・・・」

趙雲は静かに微笑んだ。

「お前は・・・俺にとって生涯ただ一人、何にも変え難い友だ・・・玄徳。」

「ああ・・・それは俺も・・・同じだ、子龍。」

玄徳はそう言って笑い返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五へ 六へ


序章で出てきた子供の再登場です。
・・・とりあえずはノーコメントで・・・