七ノ章
その日、梅月には予感があった。 物心ついたときより備えていた力。 しかし己の力にそして一族の存在にずっと疑問を抱き続けていた。 だからこそ誰にも言わず家を飛び出し、名を変え風貌を変え、ひっそりと生きてきたのだ。 しかし今まで感じた事の無いような、反発しながらも決して逆らえないというような漠然とした予感 ただ悔しかった。決して逃れられぬ宿星。ならばせいぜい逆らい続けてみせると、本来ならば家を出 る時間であるにもかかわらず、部屋から動こうとはしなかった。こんな事で、変わるはずは無いと 知りながらも、それでも足掻かずにはいられない。 外に女達の声が聞こえる。 気が進まぬ風な梅月に気付いた感じも無く、ただ自分達を詠ってくれとせがみ、半ば無理やり彼を外 へと連れ出した。 「やはり・・・逆らえぬという事か・・・」 呟かれた言葉に、女の一人が怪訝そうな顔で梅月を見た。 「なんでもないよ・・・」 不機嫌そうな顔を隠す事もせずにいう。それを気にも留めず女達は梅月を無理やり引っ張って歩く。 一歩進むごとに、その予感が強くなる。 その先に“それ”がいるのだ。 『あぁ、嫌だ・・・』 今度こそ女達に聞き咎められぬよう心の中でそう思う。 それなのに何故自分は逆らえないのだろうか。 『これが宿星と言うものなのかもしれないな・・・』 半ば諦めながら、しかしその胸に宿る微かな期待を無理やりに無視して進む。 『ならばせいぜい足掻いて見せるさ。宿星なんて糞喰らえだ・・・』 * その日ようやく意識を取り戻した龍斗は、まだ重い体を引きずって立ち上がる。 そしていつものあの場所に向かう。 その帰り・・・ 「お前か・・・」 背後からする不機嫌そうな声。振り返るとそこには犬神の姿があった。 その姿を見止め龍斗は小さく頭を下げる。 「顔色が悪いな・・・」 普段の彼からは考えられぬような優しい響きが彼の声には感じられた。 「あまり無理はするな。少なくともあいつらは、お前にとって頼れない存在ではないだろう。どうし ようもなく甘い奴らではあるが、受け入れられないほど度量の狭い奴らでもあるまい」 そんな犬神の言葉に龍斗はそっと目を逸らす。 自分だってそれは解ってはいる。 でも、それをどうしても許せない自分自身がいた。 これ以上は言われたくない、そんな気配を感じ取ったのだろう。犬神は話題を変える。 「まだ、答えは見つからないのか?」 逸らされた視線をようやく犬神に戻し、龍斗は呟く。 「わかりません・・・」 そう、どれほど考えても解らない。ずっと探し続けていた答え。遠い遠い昔から。 「・・・けど最近思います。俺はあの時、皆と共に死ぬべきだったのかもしれない。でもそれが答え だとはどうしても思えないんです。」 なんの感情も浮かばぬ龍斗のその表情に、かすかな変化があったのを、犬神は見逃さなかった。 「何故俺は・・・あの時彼らと共に死ぬ事が出来なかったのでしょうか」 ―そうすれば、あの人も必要以上に傷つく事なんて無かったのに― その言葉は、そっと心にしまいこむ。 彼らというのが、遠い昔に亡くした者たちであることを、犬神は理解している。 そして、龍斗が飲み込んだ言葉が何なのかも、理解できた。 『難儀な餓鬼だ・・・』 そんな龍斗の言葉には答えず、犬神はそっと心の中で思う。 「・・・仲間が来たようだな・・・」 そこには、誰の姿も無い。しかし龍斗も犬神も同じ方向を見つめる。 程なくして京梧達の姿が現れた。美里の姿は見えないが、この組み合わせが余程意外なのか、不思 議そうな顔でこちらに近づいてきた。 「朝っぱらから酒くさい奴に会っちまったぜ・・・」 犬神を見ながら心底嫌そうに京梧が言った。犬神は別段それを気に止めた風でもなく、 「お前らのような餓鬼にあった俺の方こそついてない」と返す。 そしてそのまま「じゃあな・・・」とだけ呟いて、あとは何も言わずにその場を立ち去る。 そんな彼の姿を龍斗は静かに見送った。 * 織部神社― そこで織部葛乃から京梧達が聞かされた真実は、あまりにも悲しく彼らの胸に重く響いた。 九角鬼修 幕府の重臣でありながらも、ただ一人の女のために幕府に逆らい、その最後を迎えた男。 女を護るために戦い続け、やがては妻となったその女の死後も、その女との間に生まれた二人の子供 を護るためだけに戦い続けた。 「一人の女のために、全てを敵に回して戦う・・・愚かな事だと思うかい?」 葛乃が龍斗に問う。 龍斗はただ悲しげな瞳で、小さく首を横に振った。 「ねぇ・・・鬼修の二人の子供はどうなったのかな・・・」 小鈴が涙ぐみながら言った。 「九角家滅亡の後、二人の遺児の行方は杳として知れない。生きているのか死んでいるのかすらね。 ただ、徳川は今もその子供の行方を執拗に追っているそうだよ・・・恐らくは生きているんだろう ね。」 「もしも、そうなら・・・幕府への恨みは相当なもんだろうな・・・」 京梧がポツリと言った。 「まさか・・・そういうことなのか、鬼道衆とは」 そんな京梧に答えるように発せられた雄慶の言葉だった。 鬼道衆との戦いに、疑問を抱いたままであった彼らにとって、もしも“そう”なのだとしたら・・・ 少なくとも、今までのように胸をはって戦う自信が無い。 もちろん京梧たちも、幕府のやっている事が全て正しいと思った事など一度も無い。現に、雹の村の 話では幕府に対して憤り、京でもまた松平の考えに反発したりもしたのだ。 だからと言って、彼らのやっている事もまた正しいとは言い切れない。 何より、罪も無いままに利用され傷ついてきた者たちの姿も見ているのだ。 「しかし、何故幕府はその静姫を・・・そしてその子供を執拗に狙ったりしたのだろう・・・」 雄慶の疑問に、葛乃は解らないというように首を振った。 「菩薩眼・・・」 小さく呟かれた龍斗の言葉だった。 「あ・・・」 誰もが思い出したように声をあげる。 確か時諏佐が、言ってはいなかったか。 気の流れを読み、覇者たるものの傍らに現れるとされる存在。 時の権力者がこぞってその存在を求め続けたと・・・ もし静姫がその菩薩眼だったとして、その残された遺児に力が遺伝していたとしたら、幕府が今もな おその存在を追い続けるのも納得ができた。 だが、もしも九角家の存在が鬼道衆につながっているとして、それが何故菩薩眼を追い求めるのかが わからない。 鬼道衆が九角家に連なるものであるならば、そこに菩薩眼もいる筈なのだ。 ならば、この二つが繋がっていると思うのは早計なのだろうか。 「一度、先生に相談した方が良いのかもしれんな・・・」 雄慶の言葉に、しかし京梧は 「とりあえずは郷蔵にも行ってみるべきだろう」 と言う。その言葉に、雄慶も小鈴も頷いて立ち上がる。 神社を後にしようと京梧達が歩き出した時、ふと龍斗が立ち止まる。 振り返り、深々と境内に向けて頭を下げる彼の姿を、葛乃は意外そうな顔で見つめていた。 「本当につかみ所の無い子だね・・・不思議な子だ・・・でも」 葛乃は呟く。京梧達が彼のことをあまり快く思っていないのは、明らかにみてとれたが、何故だか葛 乃は龍斗の事を嫌いにはなれなかった。 何よりも九角鬼修の話を聞いたときの彼の表情は・・・ 「優しい子だね・・・」 葛乃は小さく笑って、再び境内の中へと戻っていった。 * 少女はひたすら走った。 自分を追いかけてくる男達の姿。自信に罪がある事は承知している。 だからと言って、自分にはこの方法しかないのだ。 教養も無く、満足に働く事すら出来ぬ自分が、大切な物を護るためには。 そのためだったらどんな事だって厭わない。 自分の居場所を護るために・・・・ ふと気付けば、そこに可愛らしい花が咲いている。 「これ見たら、真由喜ぶやろか・・・」 ポツリと呟いて、ついふらりとその敷地内に踏み込んだ。 「綺麗やなぁ・・・」 可憐なその姿に、思わず顔がほころんだ。と、その時―― 「何をしている」 その声はあまりにも唐突だった。 思わず逃げるよりも先に、そちらを振り返り「しまった」と思った。振り返るべきではなかったのだ すぐに逃げるべきだったのだ。しかし、それに気付いた時には、その首根っこをつかまれていた。 『逃げられん・・・』 そう思った瞬間に、よぎる大切な妹の顔。 『捕まるわけにはいかん!!』 そう思った時、思わず大声をあげる。自分は何も盗ってないと。 しかし、その家人はそんな少女の言葉に耳を傾けようともしない。 『真由・・・堪忍な・・・』 逃げられないと思い、心の中で妹に詫びる。 「待ってください。」 野次馬の中から聞こえる声。一瞬それが自分達に向けられた言葉だという事に気付かなかった。 しかし人ごみの中から、その声はまっすぐ自分達に向かって来る。 現れた人物に心当たりは無かった。何処かで会ったような気もするが、恐らく数え切れないほど盗み を働いたのだ。その時にあった人物かもしれない。 ならば、ようやく捕まった盗人に一矢報いようと現れたのだろうか。 『もう・・・戻れんのやろか・・・』 自分などよりもずっと辛い思いをしている妹のために、どんな時でも笑っていたいと決めた少女は、 ふいに涙が込み上げてきそうになるのを感じた。 しかし、予想と反して彼らは少女を庇う言動を発する。 自分を捕らえた男の手が、ふいに離れた。 自分の勘違いだったと、現れた与助に言う男に自分が助かった事を悟る。 「おおきに!!」 彼らに心からの感謝を述べ、しかし来訪者から告げられた妹の身を案じ、少女は―真那は一目散に家 へと走りだした。 天に咲く花 七章 完 |