追憶の章 其の四―蒼き月―

 

 

 

 

 

 

「龍・・・お前に以前から訊こうと思っていた。」

唐突な天戒の言葉に、龍斗はその歩みを止める。

「はい・・・?」

「お前も、他のものと同じく、俺の命令に従うのが全てだと・・・」

そんな天戒の疑問に、龍斗の表情がかすかに揺れる。

「貴方はどんな答えを望んでいるのですか?」

「・・・・」

「俺は、ここに来てから貴方に従った事などありません。全て俺自身の意思です・・・それは貴方

自身が一番解っているのではないですか?」

そんな龍斗の言葉に満足したのだろうか。天戒はどこか嬉しげな、そして優しい笑みを浮かべる。

「すまぬ。お前を試すような言い方だったな。・・・しかし、少し安心した。」

そのまま天戒は再び歩きはじめる。その後に龍斗も続く。

ふと見れば、川に泳ぐ子供達の姿があった。

なんの不安も感じさせぬ、子供達の笑顔を天戒は優しい顔で見つめている。

「龍よ・・・俺は思うのだ。」

再び歩みを止め、天戒は呟いた。

「あの子らの未来は、あの子らの物であって・・・俺たちの中の怒りや憎しみとは無縁のものでは

ないかと・・・俺は子供達には、復讐に振り回される事無く、自分の人生を歩んで欲しいと、そう

思う。」

「・・・・・・」

龍斗は黙ってその言葉を聞いている。

「あの子らのためにも、俺達が・・・俺が闘いを終えねばならん・・・だが、嵐王は今の俺のやり

方では徳川の世を覆せぬと言う。」

「先ほどのことを気にしているのですか?」

つい先刻出会った嵐王との会話を、龍斗は思い出した。

天戒の言葉を甘いと言い、子供達は先代で果たす事が叶わなかった復讐を果たす為の分身だと。

しかし龍斗はその言葉を肯定することは出来なかった。

もちろん家族を奪われた天戒や嵐王達鬼道衆にとって、幕府と言う存在は憎んでも憎みきれぬ存在

なのかもしれない。

だからと言って、その憎しみを子供達に植え付けるようなことなど果たして許されるのか。

そんな龍斗の思考を汲み取ったのか、天戒は少しだけ笑う。

「嵐王は言う。ところ構わず火をかけ、人を殺し江戸中を混乱に陥れれば、それだけでも十分に幕

府を弱体させることが可能だと。」

「貴方は、そうしたくはないのでしょう?」

そんな龍斗の答えに、天戒は少し悲しげに笑みを浮かべた。

「そうだ。嵐王の言う方法は、徳川と同じことなのだ。俺は己の目的の為に無関係の物を犠牲にな

どしたくは無い・・・俺達は怒りの矛先を間違えるべきではない。」

そう言った天戒の表情に、決して迷いは無かった。

龍斗はそんな彼をどこか眩しいものでも見るようにじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

再び村へ戻る道を歩きながら、思い出したように天戒は言う。

「龍、お前は母親の顔を覚えてはいないと言ったな。」

「はい・・・」

「俺も同じだ。父の顔も母の顔もほとんど覚えてはおらん。だがな、そんな俺でも父を殺した徳川

をこれ程までに憎いと思うのだ。目の前で友や肉親を殺された者の想いは如何ばかりだろうか・・

・この村にいるのは、そんな疵を抱えたものたちばかりだ。俺はその復讐を果たさせてやりたい。

皆が、未来という言葉に希望を持てる日が来るように。」

そこまで言って、天戒は振り返る。

「俺たちの敵は、徳川とその権力に媚びへつらう者たちのみ。」

龍斗はいつの間にか歩みを止めていた。少しだけ離れた場所で天戒を見つめている。

「その事だけは心に留めおいて欲しいのだ。」

言って天戒は少し考え込むように再び口を開く。

「お前も・・・あの女のように俺が間違っていると思うか?」

何も答えない龍斗に、天戒は問い掛ける。

「お前は以前に言ったな。この村にいるのが苦しくなる時があると・・・」

あの女とは恐らくは美里藍のことであろう。

天戒が彼女に対してなんらか特別な感情を抱いているのに、龍斗は気付いていた。

天戒が美里に向ける視線は、とても優しいものだった。

まるで親が子を見守るように。

何時か出会った幼い兄妹の兄が、妹に向けていた視線のように・・・

その先に行き着く答えを龍斗は何となく理解している。

しかしそれを問われることを天戒が望んでいないことも理解している。

「俺は・・・復讐が必ずしも間違っているとは思いません。むしろそれが必要なこともある。」

そう言って龍斗は少し遠くを見つめる。

「昨夜、俺は兄が亡くなった時、ただ自分が許せなかったと言いました。あの時、兄だけはなく、

俺の知る全ての人が殺されました。皆俺に生きろと言って・・・俺だけが生き残った。」

「龍・・・」

「数え切れぬ躯を目の前にして、俺はひたすら考えました。自分が生きるべきなのか死ぬべきなの

かを…いくら考えても答えは出ませんでした。それは今も同じです。でも・・・」

そこまで言って不意に龍斗の言葉が途切れた。

天戒は怪訝な顔でその顔を見返す。龍斗の拳がかすかに震えていたのを天戒は見逃さなかった。

「俺は何故、あの時彼らとともに死ぬことが出来なかったのでしょうか・・・」

俯いたまま龍斗は言う。

「でも彼らは言った。生きろと・・・その言葉がある限り俺は生きなければならない。それが俺を

生かそうとして死んでいった彼らへの償いなのだから。」

「龍!」

「俺は・・・」

天戒の言葉を遮るように龍斗は声をかすかに荒げる。

「俺の心は・・・あの時死んでしまったのかもしれません。」

二人の間を風が吹き抜ける。

「俺は・・・貴方達がうらやましい・・・」

それだけ呟くと、龍斗は歩きはじめ再び立ち止まる事は無かった。

その後姿を天戒はただじっと見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

龍斗は静かに目を開いた。

夢を見ていたのだと、すぐに悟る。

気だるい体を無理やり起こし、外を見つめる。

時が戻った今、鬼道衆として生きた時間は消えてしまったのだ。

例え自身がそれを覚えてはいても、その想いを分かち合うものがいない今、もしかしたら、自分の

単なる空想に成り果てたのかもしれない。

あれから幾度夢を見ただろう。

目が覚めるたびに、その心が音をたてて壊れているような気がした。

そう、あれは無かった事なのだ。

戻れもしなければ、訪れることも無い。

決してあり得ない記憶。

 

 

 

 

 

 

追憶の章 其の四 蒼き月 完