八ノ章

 

 

 

 

 

風祭は目の前で起こったことを信じることが出来なかった。

人が鬼に変わるなどと、この目で見なければ「そんな訳は無い」と笑い飛ばしていたことだろう。

しかし、実際に泰山は鬼へと変わったのだ。

龍閃組達はそれが、鬼道衆の頭目の仕業だと考えているようだった。

彼らからすれば当然なのかもしれないが、少なくとも風祭はその人となりをよく知っている。

少なくともこんなことをするような人物ではない。

「御屋形さまが・・・こんなことをするはずがねぇ・・・」

誰よりも尊敬できると思ったその人。

風祭は誰に言うとも無く小さく呟くと、そっと隣に立つ人物を見る。

今まで龍閃組と対峙したものたちから聞いていた名前。

それを聞いたときに、まさかと思った。

しかし、それ以上に・・・

「おい・・・これはどう言う事だ?」

訳が解らぬままに問い掛ける。

「恐らく、彼が所持していた珠が・・・」

今朝方泰山より見せられた宝珠。

風祭はその時のことを思い出した。

泰山は、「おやかた様に貰った」といっていたが、当の彼は全く覚えが無いといっていたのだ。

何よりその珠を見たときに、彼は「すさまじい陰気だ」と顔をしかめていた。

「以前に御神槌や雹も鬼へと変じました。彼らも同じ物を持っていた。」

言われてようやく、確かに雹が同じ物を大切に持っていたのを思いだす。

そう、彼女もまたそれを「御屋形様に戴いた」といっていた。

既に龍閃組達は、泰山であった鬼と闘っている。

風祭はその様子を見ながら、ふと考える。

もしここで泰山が倒されたら・・・彼は死んでしまうのだろうか?

考えた瞬間、それだけは絶対に嫌だと思った。

「させるかぁ!!!」

風祭は声を張り上げると、鬼へと向かって駆け出した。

京梧が驚いたように風祭を見る。

ありったけの力を拳に込めて放つが、鬼から放たれたその気に一気に弾き飛ばされる。

そんな風祭に龍斗は思わず駆け寄った。

「おい・・・出来るだろ・・・手を貸せ・・・」

風祭の言葉に、龍斗は目を丸くし、そしてかすかに頷いた。

「いくぜ!!」

言葉と同時に、風祭と龍斗は泰山に向かって走り出す。

「双龍螺旋脚!!」

二人から放たれた強大な気が一気に放たれた。

次の瞬間には泰山の動きが止まった。

それを京梧が見逃さず、その剣を一気に振り下ろした。

泰山は獣の雄たけびを上げ、しかし次の瞬間に再び人の姿へと戻っていた。

力尽きるようにその場に倒れこむ泰山に風祭は駆け寄った。

「なんで・・・こんなことが・・・」

呆然と呟く風祭に、雄慶が怒りを込めて言う。

「何を言う!貴様らの仕業であろう!」

「違う!!」

風祭がそれに答えるよりも先に、別の声が上がった。

「違います・・・」

先ほどよりも消え入りそうな小さな声で、龍斗が再び呟いた。

その瞬間、風祭の心に指すような痛みが襲った。

見れば泰山は既に意識を取り戻し起き上がっていた。

「帰るぞ!泰山!!」

そんな風祭の言葉に、泰山は名残惜しそうに少女―真那に別れを告げ、駆け出した彼の後に続いた。

風祭は我武者羅に走りながら、心の中で呟く。

『なんなんだよ、この痛みは・・・』

「なんでだぁ・・・おで・・・心が痛い・・・」

後を走る泰山もまた同じ事を言ったのに、風祭は驚きを隠せなかった。

ようやく立ち止まり、そっと後を振り返る。

既に江戸の街並みからは離れ、あたりは木々に囲まれている。

ただ、どうしようもなく傷む心だけが、何時までも消える事は無かった。

 

 

 

 

 

 

風祭達がこの場より逃げ去って数刻。

あたりを舞う蛍。

つい先ほどまで、鬼と戦っていたのだとは思えぬほどに穏やかな空気。

梅月は粗末なあばら家を、静かな顔で見つめている。

捕まえた幼い盗人が、護ろうとしたもの。

生まれた時から、体の弱い妹の為だけに、必死で生きる少女―真那に驚きを隠す事が出来なかった。

幼い頃から家族など煩わしいだけだと思ってきた梅月にとって、真那の姿は新鮮に映る。いや、それは

目の前に現れた彼にも言えることなのだが。

間違いなく彼が“そう”なのだ。

出会った瞬間から感じていた。そして結局は運命からは逃れられないのだと思った。半ば八つ当たり気

味にキツイ言葉を吐くが、彼はそんな言葉など気にした様子も無い。

ただ、その悲しみに彩られたその瞳だけが妙に印象的だった。

「キミは・・・自分が光を得てなお、得られなかったものの為に心を痛めるのか・・・?」

今までの言動とは比べようも無く穏やかな口調で尋ねる。

そんな彼の言葉を、龍斗は悲しげな瞳で聞いている。

彼の運命を見る事は出来なかった。

人の宿星を見る力を持ちながら、彼の運命だけが全く見えなかった。

「やはりキミは・・・」

彼の家に古くから伝わる一つの伝承。

実際そんなものに会うことも無いだろうと思っていたし、まさか本当にそれが存在するなどとは思って

もいなかった。だが目の前の人物を見た途端、彼がそうなのだと確信した。

彼の持つ宿星は自分のそれとは比べるまでも無く辛いものなのだろう。

彼の運命は見えずとも、それだけははっきりと理解できる。

何よりも深い悲しみをたたえたその瞳がそれを物語っている。

だが、それから逃げようとすらしないその強さに惹かれずにはいられない。

なんて自分は愚かなのだろう。その辛さが自分だけなのだと、ずっと思い続けていた。そして、ただ逃

げ続けた己の甘さ。

それを歯がゆく感じながらも、ようやく自分の持つ力と、そして運命と向き合う決心が出来ているのを

、強く感じていた。

『もう、逃げるのは止めだ・・・』

そう心に決める。

己に与えられた力。そして運命を彼に委ねてみるのも悪くは無い。

例えそれが、あらかじめ決められた宿星なのだとしても。

そして、静かに語り始める。愚か者の過去を。

 

 

 

 

 

 

その日の夜半過ぎ―

 

龍斗は寝付くことが出来ず、寝静まった寺をそっと抜け出す。

庭先には何時の間に現れたのか、多くの蛍がいる。

考えてみたら、蛍を見たのも今日が初めてだったのだ。

あの時は、そんな事を考える余裕すらなかった。

次々と“再会”する仲間達。

そして彼らと戦わねばならぬにもかかわらず、決して動く事すら出来ぬ自分の弱さ。

龍閃組となってから数ヶ月。龍斗はほとんどと言って良いほど、まともに戦った事がないような気がす

る。

そして、それを京梧たちが快く思っていないのも解る。

彼らに全てを話すべきなのだと・・・今ほど強く思う事はない。

今朝方、犬神が言ったように、恐らく彼らは全てを受け入れられないような者達ではないと、他ならぬ

龍斗自信が理解している。

しかし、今はその時ではないのだと、心の中のもう一人の自分が言う。

それが彼らに対する気遣いでも優しさでもなく、己の弱さなのだという事も龍斗は理解していた。

「龍斗くん?・・・どうした?眠れないのかい?」

何時の間に現れたのかそこには時諏佐の姿があった。

そして静かに微笑みながらこちらに歩いてくる。

「ああ・・・こんなところにも蛍がきていたとはね・・・」

龍斗は何も答えない。そんな様子を別段気にするでもなく時諏佐は続ける。

「あんたは、蛍ってのがどうしてこんなに綺麗なのか、考えた事はあるかい?」

時諏佐の言葉に、ただ黙って首を横に振る。

そんな龍斗の様子に苦笑いしながらも静かに語る。

「蛍ってのは死ぬまでほんの僅かの間だけ、こうして空を舞い光を放つ事が出来る。ほんのわずかの間

…力尽きて地に落ちる最後の時間まで。」

そうして龍斗の方を向いて笑う。

「命を燃やし続けるからこそ、蛍の輝きは美しいのさ・・・」

そんな言葉を龍斗はただ静かに聞いている。しかし、何を答えるでもなく、ただ悲しげに目を伏せる。

「もう・・・休みます」

ようやく小さく呟くと、そっと頭を下げその場を後にした。

そんな彼の後ろ姿を見つめながら、時諏佐はふと思う。

「あんたは・・・蛍に似ているね。ほんの僅かな時間だけ、必至で光輝こうとするその姿が。この動乱

の中を、必至で生き抜いて・・・輝こうとしている姿が・・・。」

時諏佐には龍斗が、生き急いでいるように見える。

彼の持つ悲しみに彩られた彼の空気は、時諏佐にとって彼が酷く苦しんでいるという事だけが理解でき

た。

その苦しみすら誰にも言わず、自分達の知らない誰かのためだけに、ここにいるのだと、そう思えてな

らなかった。

「あんたは、一体どこに行こうとしているんだろうね?一体何を思い、憂えているのか・・・その輝き

は、一体誰のための光なんだろうね。」

それが少なくとも、今ここにいる誰の為でもないと・・・それだけは漠然と理解できる。

「あんた達はこれから、どんな風に生きていくんだろうね。あんたはこの動乱の中で、一体何のために

その命を燃やし尽くそうとしているんだろうね・・・私はあんたなら、この世の陰を明るく照らす光に

なれると・・・本当にそう思うんだよ・・・あの蛍のように・・・」

既にそれに答えるべく人物はそこにはいない。それでも時諏佐は問い掛けずにはいられなかった。

「ねえ、龍斗くん・・・・」

 

 

ただ蛍だけが、その問いに答えるようにあたりを舞っていた。

 

 

 

 

 

 

天に咲く花 八章 完