発掘調査現地説明会(青空ミュージアム) 速報
広島城跡法務総合庁舎地点
平成17年12月17日(土曜日)
10−12時、13ー15時

2005年6月から発掘調査を行っている上記地点の発掘調査現地説明会が行われました。
見学に行ってきましたので、紹介します。


説明会開始、全体説明を行っています。写真は10時開始(当日は10・11・13・15の合計4回説明があった)の時のものです。
現場担当者の説明。約15分間で、広島城の歴史、遺跡の場所の説明、出土品などを簡潔に説明していました。
↑外堀 ↑土塁 ↑道路   ↑武家屋敷(これより右全て)  
これが現場の全容。北から撮影したもので、外堀はかけている
(写真は看板写真を拡大)
この場所は、天守閣の約450メートル東にあたり、江戸時代には武家屋敷地でした。この北側に栗林御門という門があったことから、この地域一帯は「栗林」と呼ばれていたそうです。江戸時代中ごろの宝永7年(1710)には、大目付や奉行が定期的に集まって協議する御用屋敷が置かれていましたが、この屋敷はのちに火事(いわゆる宝暦の大火)で焼失したそうです。
また、調査区の東側では、八丁堀と呼ばれる東側の外堀が見つかっています。
明治時代になると、この場所は陸軍の敷地となりました。
(以上、説明・当日のパンフレットによる)
南から撮影した、東側外堀の西側の石垣と思われる石垣。左側の石垣がそれですが、下の部分の石垣に比べ、上の部分のものが整然と積まれています。これは、下のものが江戸時代のもの、上が明治以降のものということになります。江戸時代の堀の石垣の下だけ残して、明治以降も使用されたようです。
東側から撮影。上の外堀の石垣を拡大して、正面から見るとこのようになります。使用している石が明らかに異なることがよく分かります。また、下の石(江戸時代のもの)には凹凸があります。水は、地下水が湧き出したものです。
北から撮影。右側(石積みの上の部分だけしか見えていない)に東側外堀の西側の石垣(上の写真のもの)があるが、それと向かい合う形で石積みがある(東側、写真では左側)。これは、明治時代以降に軍の溝として使われ、昭和22年の航空写真にも載っている(と説明があった)。実際には、被爆直前・直後にも溝らしきものは写っていると私は思います。
北側から撮影。ベニアの右側から上に続いているのが外堀の石垣。外堀は置いてあるところの右。この間が10間(約18M)あったことが絵図などにも描かれていますが、この外堀の石垣から18Mを測定すると、ちょうど現場調査区の境(写真左の柵の場所)あたりになるので、このあたりまで外堀があり、発掘すると外堀の東側石垣が出てくる可能性があります。
明治時代の八丁堀です。広島市公文書館所蔵の絵葉書で、京口門あたりを北から写したものと考えられています。上の写真の堀はこんな感じだったのではないでしょうか。

(この画像はポスターの写真から引用させてもらいました)
南から撮影。このあたりも土塁(下記参照)にあたる。外堀石垣と石が(写真左部分)の間は通路だったのでしょうか。。この続いている石は明治時代以降のものです。
南から撮影。上の写真のやや左。外堀の西(城内の側、写真で言うと左)には、江戸時代に土塁と呼ばれる土盛りがありました。このあたりが、その場所にあたりますが、上の部分は削られています。また、下からは、人骨が出てきました。出土した人骨。土塁の土の中からでてきたそうで、そのことから土塁の作られた時期のものと考えられます。
古人骨の権威である土井ケ浜人類学ミュージアムの松下孝幸館長に鑑定を依頼したそうですが、現在熟年(50歳代)の女性ということまで分かっているそうです。割れているのは、クワがあたったから。人柱(城を作るときにいけにえにしたりすること)である可能性は、現在のところないとのことです。
南から撮影。二つ上の写真のやや左。ここには道路があり、左にある武家屋敷地と右にあった土塁とを分けていました。
調査区北西隅あたりから撮影。手前に広がっているのが武家屋敷地。でこぼこが沢山あるのは、掘り込みの穴(どこう=土杭と言います)で、ゴミ穴として使われているものも多いようです。
掘り込みの穴の一つ。矢穴(石を切り出すときにできる穴)が付いた石が入っているが、それ以外の出土品は古い時代のものが多かったそうです。そのため、350年前の穴と判断しています。
上の写真にはありませんが、掘り込みの穴の上に出土品が残っています。なお、土が溝状に掘られているのは、土の堆積状況を見るためのもので、実際の穴の形とは異なります。
調査の都合ですでに取り払われていましたが、かわらをつんでいた、正体不明の遺構(遺構とは穴、道・石垣などの痕跡を考古学用語で呼びます)が見つかりました。
井戸が、4・5箇所見つかっているそうですが、そのうちの一箇所です。
出て来た出土品

その1

広島城でよく出る肥前の陶磁器です。碗などです。
出て来た出土品

その2

広島城でよく出る肥前の陶磁器です。皿などです。
出て来た出土品

その3

すりばちや土人形などです。
出て来た出土品

その4

溶けたガラス瓶などです。被爆したものだそうです。


おまけ

雪が降っています。いやー寒い日でした。見学する方はともかく、こういった日に現場をすることもあるでしょう。調査はまだ4割くらいだそうです。今後の調査に期待しています。


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