旧中国軍管区司令部 防空作戦室

広島城城内に残る、旧中国軍管区司令部の地下通信室あるいは地下壕などと呼ばれていますが、広島市の各種出版物では、この防空作戦室の名称で記載されています。このページでも、その表記を使用したいと思います。半分地下式になっており、普段は自由に入ることが出来ません。

見学についての詳細は動植物園・公園協会緑化推進課082−228−0815まで

(被爆説明版の説明)
広島城とその周辺には、多くの軍事施設(中国軍管区司令部など)があり、ここには半地下式の作戦指令室、通信室が設けられていた。この通信室では、多くの軍人、軍属に混じって、学徒動員された比治山高等女学校の女生徒たちも働いていた。
 原爆で、市内の電信電話は破壊されたが、かろうじて残ったここの軍事専用電話を使って、女学生が広島の壊滅を通信した。これが、広島の原爆被災の第一報といわれている。

防空作戦室と慰霊碑などの全景、一番右にある柵の部分が半地下式の入口で、普段はかぎがかかっている。
上の写真をやや角度をつけてみたところ。右端にあるのは、被爆の状態を記載した名版で2005年に少し見やすいものにリニューアルしました。
左手には半地下式の上部が良く見える。
部屋の内部は、現在見ることの出来る部屋は4つに分かれている。聞き取りによって、情報室、通信室、指揮連絡室、防空作戦室と分かれている。ただし、これは当時動員されていた女学生の聞き取りによるものであるとかかれており、正確なものかは色々な見解があるようです。
情報室 通信室
指揮連絡室 防空作戦室
ガイド中、数十人でいっぱい ガイド中、天井は低い

この上と左の写真をみると、とりあえず穴は石や土をつめているだけのようです。写真にはありませんが、床面も凹凸がある部分があり、かなり危ないと思われますので、自由に入ることが出来ないのはこのあたりの事情によると思われます。
将校用の入口だったらしい


中国軍管区軍人軍属動員学徒慰霊碑の前で、
原爆死没者追悼式が行われました。
(2006年8月6日 午前8時15分)

静かに8時15分を待つ 8時15分、黙祷
追悼の辞 比治山女子中学高等学校校長 追悼の辞 師友会会長(代行)
この後、生徒会長による平和の誓い、献花、折鶴献納、鎮魂歌「ほろほろと」合唱、閉会の辞と続きました。

中国軍管区司令部軍人・軍属・動員学徒慰霊碑について

上の写真にある「慰霊」と書かれたものは慰霊碑です。実は裏面にも記載されており、
「原爆に散華された旧中国軍管区司令部軍人・軍属(旧広島師団司令部)・旧比治山高等女学校動員学徒の皆様 いつもあなたたちを憶う 8月6日を思う あなたたちの尊い犠牲を無にすることなく とわに世界の平和に結びつけたいどうぞお心安らかに」と書かれています。
よく旧比治山高等女学校動員学徒の慰霊碑と勘違いされますが、書かれいるとおり違います。

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