広島城城下町の祭り


広島城の城下町では、様々な祭りがありました。しかし、現在では、時代の移り変わりや、急激な都市化、原爆など様々な影響によって、現在残っているものはあまりありません。現在、一説にとうかさん、住吉神社祭り、えびす講は広島の三大祭りに数えらています。これらは、すべて城下のお祭りでした。また、現在はなくなった城下町の祭りもありました。

とうかさん


現在残っている城下の祭りに、 とうかさんがあります。現在ではゆかたの着始めとして知られてますが、とうかさんは、380年余り歴史があります。昨年(2005年)は6月3日〜5日に行なわれました(毎年6月の第1金曜日・土曜日・日曜日)。
とうかさんとは、円隆寺の境内に祭られる稲荷大明神で、稲荷を「いなり」と読まずに、「とうか」と呼んだことが由来だそうです。
とうかさんは、中区三川町にある福昌山慈善院圓隆寺(円隆寺)という寺の祭りです。浅野長晟が広島城へ入城した元和五年(1619年)創建の由緒ある寺です。

6月3日夕刻に撮影

住吉神社祭り

海の神様をまつる神社である住吉神社は、現在は川に面したところにありますが、昔はこの近くまで海が広がっていました。毎年夏に、祭りがあります。

祭り当日の夜撮影。


東照宮みこし祭礼

この碑は、広島東照宮の中にあるものですが、かつては広島の祭りだった「通り御祭礼」のことが次のとおりかかれています。 広島東照宮は江戸時代初期の慶安元年(1648)時の藩主浅野光晟公により創建され 平成10年(1998)創建350年を迎えた。
よって同年11月8日かつて城下町広島の伝統行事として50年ごとに行われた広島みこし行列「通り御祭礼」を183年振りに復元して、にぎ津神社から当宮へ遷御し式年大祭を執り行った
行列には450年余名が参加し沿道は5万人の観客で埋まった。
なお、当二百貫神輿は慶安年間の作 原爆で破損したが焼失は奇跡的に免れた
ここに「通り御祭礼」の復元を祝し記念碑を建てる 平成11年11月吉日

胡神社 えびす講 えべっさん

胡神社は、商売繁盛の神様である恵比寿をまつった神社で、福島正則の時代にこの場所に移ってきました。現在では、毎年11月18-20日に祭りがあります。

正面が胡神社で、現在では都市化によって、ビルの中にひっそりとたたずむ。祭り当日の賑わい
えべっさん当日夕方の賑わい。左手前方が神社。


砂持加勢(すなもちかせい)

広島は今も昔も三角州に作られた町です。そのため、舟運が発達しますが、そのためには川の土砂を常に取り除く必要がありました。そのための作業を川ざらえと言いますが、その作業の慰労を兼ねた町人総出のお祭りが生まれました。それが、砂持加勢で、城下町それぞれが町ごとに個性的な踊りをしていたそうです。

広島拘置所の壁にある、広島市立中央図書館所蔵の史料である「広島本川川ざらえ町中砂持加勢図」を描いたもの。この写真は一番右の部分で、町別に描かれている。


広島城の城下町へ戻る

トップページへ