年が改まった。

けれども石見守正成・・・正しくは服部石見守正成という男は姿を現さなかった。

昨年と同じように訝しがっている忠勝を、昨年と同じように年かさの将が笑いかける。

かわらない、戦の日々を数える年が始まった。


 春。

散り桜も美しい、ある晴れた日。

忠勝は主家康の名代として地方の有力豪族の所へ共を連れて行っていた。

家康としては素直に幕下へ入ってくれれば儲け者だ、と思うほど当てにはしていなかったが味方になればかなり戦況を変えることが出来る。

「ただな、だめだった場合は速攻で落とさねばやっかいでもあるのだよ。」

見越してか、自慢の槍を手入れしながら家康はいった。

忠勝に大変興味を示しているというその男の元へ珍しく国から遠く離れた。



 
 忠勝はその豪族が本当にいち豪族にすぎないのだなと改めて確信した。

やって来たのは武家屋敷などではなく、平屋作りだったがその作りはとてもこまかく居心地よく作られていた。

目的の男はその辺にいそうな男だった。

ただ偉く頭が切れ、温厚。

言われてみれば領民達は皆裕福そうで飢餓の影はない。

話していてもかなり達観した者を持っているし、このくらいの技量ならば多少碌を与えてもいいだろう、忠勝はそう印象を持った。

いったい、どうしてこの男が主に仇なす恐れがあるというのだろう。


 忠勝は何度か模擬演舞をおこない、槍舞も披露した。

豊穣を願う祭りが丁度行われているので、みなそれぞれに衣装を纏っている。

忠勝も黒い上下に片袖を抜き、藍色で隈取りをほどこしていた。

「この時期だからこそ、家康殿にお伺いを立てたのです。」

彼は嬉しそうにいった。

裏も表もない、もし彼に裏があるのならば忍か何かなのだろうと思うほど彼は普通だった。

「ささ、忠勝殿も一献。」

「頂きましょう。」

「ところで・・・家康様は私を殺せと言いませんでしたか?」

「・・・・・。」

忠勝は無表情のまま男を見下ろした。

少しだけ寂しげにも見えた。

と、声を掛ける間もなくざわめきが高くなる。

黒い着物に金の縁取りと文様。

白い袴を着た女達がやってきた、みな髪を下ろし、赤い隈取りを入れている。

「今度は女達が、舞う番です。」

男は顔を上げた。

忠勝もそれにならうと、中央にいる背の高い女が前へ出た。

隈取りが一層強く入っていて頭には金の冠を被っていて、手には柄のない白木の刀が握られている。

他の女達は榊・鏡・稲穂をそれぞれ手にして、青い隈取りを施した男達が笛や鼓をもって現れ、ヒィと甲高い笛の音から剣舞が始まった。

「今年の祭女は、本当に剣のようだ。」

「確かに・・お美しいですな。」

男は嬉しそうに酒をあおる。

「この里に来たのは日が浅い、が、縁のある日にやってきましてね。早速祭女を頼みました。」

「・・・婚儀を?」

「私はそう望んでいます・・けども何もしていないのでまだ片思いです。」

男は笑う。

「ほとぼりが冷めたら、貴方に仲人をお願いしたいです。」


 忠勝は何も答えなかった。

祭女は抜き身の刀を振り回す。

袖が軌跡を描き、綺麗につり上がった瞳で忠勝と目を合わせた。

思わず、生唾をのんでしまう。

篝火の中を舞うのは確かに美しいのに、どこか影のように冷めた女だと思った。



 祭りが終わり、忠勝もその人柄からすっかり領民達にとけ込み家臣達を落ち着かなくさせていた。

酒を飲みながら、戦の世でもこんなところもあるのだなぁと黄昏れてみる。

と、男が歩いている。

目で追ってやると、祭女達の輪に向かっているようで女達は頭を下げる。

その中で背の高い女が輪からでてきて、男と共にいずこへと歩いていった。

忠勝は時が来れば部屋へ戻るまで、領民達と暫しの憩いを分かち合った。



 深夜、日があけるまで一刻を切った頃。

忠勝はぱっちりと目を覚ました。

むくりと起きあがり、床の間に立てかけてあった蜻蛉切りを手に隣室を空けた。

隣室では家臣達が各々寝ているが、冴えた者は起きていて、忠勝を認めると頷いた。

何かが来る。

「・・・夜襲かと。」

起きた家臣はそういって、寝ている者達を起こした。



 
 「しかし・・やはり私には過ぎ足ることです、申し訳ないが、お断りください。」

「領民のことを思って判断したのか?」

「・・・くっ!」

男は起きていた。

何人かの、この里の者ではない男達が彼の前に座しているが、とてもそこらの家臣とは言い難い風体だ。

「それに・・・。」

一人の、首領らしき男は顎でしゃくる。

隣室への襖が開け放たれ、用意された床の上に女が倒れているがその横にも仲間だろう、こちらは忍がクナイを首に当てていた。

女はあの、背の高い祭女だった。

「いい女だ。」

首領はニヤリと笑う。

「・・・・やはり去れ!我らはお前達の言うとおりにはならぬ、恥を知れ!!!」

男は二本差しの内脇差しを忍に向かって投げた。

忍は勿論その脇差しを交わしたが、女の姿はなく、そこにいた全員が驚き隙が出来る。

その間に何かが部屋の中を駆け抜け、男を拐かしていた者達がバタバタと倒れていった。

そして、最後。

残された男のこめかみに汗が流れる。

背中が、冷たい。

凍り付いてしまったかのように。




 忠勝は正面から堂々と入ってきた者達を斬り伏せ終わった。

残念ながら死傷者がでてしまったが指して大人数でもなく、今は屋敷の者達と共に主であるあの男の元へ向かっていた。

急がなければ。

忠勝は静まりかえった廊下を行き、くだんの部屋までやってくると何も言わずに襖を開けた。

「ご無事かっ?!」

そこには首筋に鎌を宛われた男が座していた。

大きく目を見開き、恐怖で引きつっているのかと思いきや、思いの外冷静な顔があった。

忠勝は思わず蜻蛉切りを構える。

「何者であるか姿をみせいっ!」

威嚇すれば、鎌の持ち手はじんわりと染み出るように姿を現した。

「・・・・・・そなたっ!」

鎌を持つ手の甲には赤い文様、金の縁取りと黒の着物。

下ろされた黒髪と、顔の赤い文様。

間違いなく、背の高い祭女だった。

皆が呆気にとられていると、静かに口を開く。

「・・・今一度問おう。貴殿、家康公に付かれるな?」

「あ、ああ・・・つこう。」

喉に切っ先を感じて、うまくしゃべれなさそうだった。

祭女は忠勝に目を合わせ頷く。

忠勝も返して始めて鎌が外された。

思わず倒れ込んで、大きく息を吸っている。

忠勝は助け起こしてやり、側で見下ろしている祭女を見上げた。

美しい立ち姿だが、大きく残忍な鎌が握られていて、その眼差しは鳥肌がたとうほど冷たい。

瞳孔が殺気で開いているのにも似ているが、気配どころか殺気すら、その姿がなければ散漫だろう。

ともすれば。

「女、くのいちか。」

祭女は首を振る。

男はやっと、彼女を見上げた。

祭女は鎌を腰帯にはせて視界から消してしまう。

するとたたずまいをなおして下座に座り直したので、男は慌てて上座へ座り、その隣の忠勝が控えた。


 祭女は、場が落ち着くと男の声で口を利いた。

「ご無礼、平に。おかげで殿を拐かしていた者達を殲滅できもうした。」

同時に、頭を下げる。

どよめきが場を支配する中、祭女が顔を上げれば右目と顔の中、鼻梁を一の字に走る傷跡を持った男の顔があった。

ただ、男であってもただならぬ雰囲気があり、顔の化粧も衣装も違和感がない。

そして、忠勝はその顔に見覚えがあった。

「まずは主、家康に忠義を見せて頂きたく、兵三千を率いて出陣して頂きたい。追って、詳しい日時はお知らせしましょう。」

「あいわかった。・・ご期待に添えるよう、尽力するとお伝えください。」

「かしこまった。」

「・・・・・・本多殿。」

男は、やっと忠勝の方を向いた。

大分落ちついたのだろう、常と同じ顔があった。

「これで、あなた方の仲間入りだ・・・。その為にいらしたのでしょう?もちろん。」

「無論。拙者は貴殿を斬るのは気が進まなかった。・・いい結果で、殿も喜ばれよう。」

男はそうですね、と微笑む。

その顔は少し残念そうにも見えたが、逸れもそのはず。

気に入りの祭女が男で、その身のこなしから忍だなんて。

でも黙っておいてやろうとも。

忠勝はそう思った。



 それにしても、と忠勝は思う。

徳川十六将の一人とされる、服部石見守正成。

何故ここにいたのか。

忠勝は場を辞した後彼を捜した。

すぐには見つからず、部屋に帰ってきたら祭女が忠勝の部屋にいたのだ。

祭女の皮を被った、男が。

「・・・こうして会うのは初めてだな、服部殿。」

忠勝は襖を閉めると低い声で言い、向かいに座った。

祭女は丁寧に頭を下げるが未だ正座で、下げ方が女のそれだった。

細い指を板に付き、花の茎が折れるかのように、細く深く頭を下げたのだ。

「まだ顔は出さぬじまいか。」

「無礼承知。しかし本来、拙者の素顔は陣営以外でさらさぬ者。貴殿も忍の掟はご存じかと。」

「忍・・・・。」

「左様。改めて、拙者は服部石見守正成。または、服部半蔵と申す。未だ陣営でも拙者のことを知らぬ者は多い故、内密に。」

「では、ぬしが、影の頭領。」

服部半蔵は祭女の顔で忠勝を見つめる。

そして、この男が娘に弓を教えていたあの男。

似ているが、全く違う。

多重人格かとも思えるほどの、見事なるけじめだと忠勝は感心する半面、恐ろしくもなった。

「・・・本多殿、」

「なんだ。」

「残党が、来ましょう。拙者と共に、暫し出かけませんか?」

「よかろう。ああ、暫し待たれ、出るなら、着替えよう。」

忠勝は起きてすぐということもあり、袴は履いていなかった。

それを見て、半蔵は女の声で言った。

「戦用の脚袢をお召しくださいませ。動きやすいかと・・・。」

言われて振り返れば、祭女は忠勝の脚袢を捧げ持っていた。

「・・・いいだろう。」

出かけるときには蜻蛉切りも必要だろうが、それ以前にこの男の得体の知れなさが、忠勝には恐ろしかった。






五→