風花を忍び草に
−忍びの世界−
「服部半蔵を拾ったあっ?!!」
上田城の地下にくのいちの声が響き渡る。
彼女は今他の真田に使える草の者達と一緒に訓練をしていたところだ(彼女は嫌いだが)。
そこへ同じ草の者がドサッと投げるように置いた男。
グルグル巻きにされた布をはがせば、覗くは顔に2本の刀痕、くっきり。
紛れもなく服部半蔵その人だった。
「・・ええ〜?これって・・生きてるのかにゃ〜・・・。」
くのいちが嫌々ながらもぺたりと頬に触れる。
「にゃっ!!冷たい!!!けど生きている!!!お湯お湯!!急いで持ってきてよっ!!あと布団とか冬用の着物もっ!!」
「でもくのいち、コイツが死ねば、後々楽だぜ?」
草の一人が言う。
「そのとーりかもしれないさ〜!けど、今のところ徳川とは戦になってないしぃー、不要不要!!恩売りゃ功績、いらぬ所に火は起たぬってね!ほら早くぅっ!」
草の者達は一気に姿を消す。
一人残ったくのいちは「けどいったい何があったのか気になるんだにゃ〜。」とごちつつも、腕や足をさすり始めた。
伊賀の頭、服部半蔵らはこんこんと眠り続けた。
身体機能が異様に落ちていたと草の薬師がいう。
もう起きないのではと誰もが思っていた頃、晴れた朝に目が覚めた。
季節は冬の終わりで、半月も眠り続けていた。
前日に降り積もった雪が太陽を反射して、誰もが美しく思う銀世界が姿を現す、そんな朝だった。
半蔵はゆっくり目を開けた。
開けたが、酷く暗い。
闇の時間であったか、と思うが火を、とも思う以前にここがどこなのかわからない。
衣も違えば、自分はどうやらどこかしらの部屋にもいるようで。
しかしどこか怪我をしているというわけでもなさそうだった。
「長居は無用。」
半蔵は呟く。
半身をゆっくり起こす。
手には違和感もない。
さて、と立とうとしたときだった。
ドタッ!!!と大きな音がして自分がすっころんだと他人事のように思う。
「な・・・な・・!!」
半身に力が全く入らない。
感覚はあるが、まるで雁字搦めに結びつけられているようだ。
じたばたしていると、襖が開けられる音がする。
何人かの足跡がバタバタとやってきた。
「ああ!だめだめ!!まだ布団からでちゃだめだにゃー!!」
甲高い、少女の声だった。
どこかで聞いたことがある気もするが、しかし姿が見えない。
「幸村様!!はやく半蔵を布団の中へ入れて!!」
「ああ!」
男の声が答える。
やはり知っている声かもしれないが、誰の声なのかさっぱり。
それに、凄い力で抱えられて布団に戻されるも相変わらず視界は真っ暗なままだった。
「ま・・まて、待ってくれ。・・この部屋は、今明るいのかっ?!」
「何を言ってる・・今日は久しぶりに晴れた。」
男がきょとんとした声で答える。
「・・・・もしかして、見えてないの?」
少女の恐る恐るといった声が言う。
「ちょっと失礼。」
断りのすぐあと、自分の頬に触れる手があった。
どうやら目を見ているのだと半蔵は思う。
「・・・困った、目が、飛んでる。」
ため息と一緒にくのいちはいった。
「それに、半身が使い物になってないぞ?いったいどういうことなのだっ!」
幸村は声を荒げた。
武士である真っ直ぐな青年は卑劣な技や手段をなによりも嫌う。
「・・では、服部半蔵という名前以外、思い出せないのだな?」
幸村は白湯の椀を半蔵の手に持たせてやった。
「うむ。・・・起きたときは早くもどらなければと思ったが、いったい何処へと我に返った。目も見えぬし、足もつかえん。
・・・幸村殿は拙者をご存じのようだが・・・もとより目も足も役立たずの者だったか?」
あまり慌てたようには聞こえない、かえって穏やかなくらいの口調で半蔵は尋ねる。
「まさか!凄腕の忍びであったのだ。動きも俊敏で、勿論目も見えていた。」
「目は見えぬが気配に聡いのはそのせいか・・・。拙者は、忍・・・・・。」
常人より少し灰色の強い目が、空を見つめる。
いまいち焦点が合っていない。
椀を口に持っていくときもまったく椀の方を見なかった。
「・・・・ともあれ、暫くうちにいるといい。ここは私の家、真田の上田城だ。体が不自由なのに、誰も狙うことはないだろう。」
「拙者はそこまでに有能だったのか?」
「少なくとも、我らにはな。」
「・・・・・・・。」
半蔵は黙ってしまい、その日はそれ以上話さなかった。
「くのいち、」
「なんですかなぁ?」
「・・徳川殿へ、使者としていってくれないか?」
「半蔵のこと?」
「それに、なぜ半蔵ほどの手練れがあんなになったのか、機能が回復する何か・・そう、薬とかあるのか探して欲しい。」
「徳川のたぬきちゃんにはなんて言えばいーい?」
「城の中でも半蔵の存在を知るのは私と草の者達だけ。回復すれば、お返ししようとも。」
「今の容態を伝えてもいいのかにゃ?」
「・・・・伝えよう。そのほうが、誠意もある。それに、何か手段があるなら調べて欲しい、とも。」
「わっかりました・・・、浜松まで行って来ましょうとも。」
あの、猫のように飄々としてあまり感情を表に出さないくのいちですら、気落ちしていた。
しゃべりかたはいつもと変わらないが、覇気が全くない。
「あのねー、幸村様、」
「うん?」
「これはね、推測なんだけど・・・、」
くのいちは語尾を濁す。
「目は薬って説が有力で時間が経ったり何かしらの薬で見えるようになるかも知れないんだけど・・・記憶はもしかしたら自分で封印したのかも知れない。」
「・・・・・名前を覚えているからか?」
「うん・・・推測。半蔵ほどの忍なら、捕まって自害できないとき記憶を閉じてしまうの。そしたらさ、万が一拷問で吐きそうになっても何も言えない。
相手の方も本当に知らないって思うもん。・・・その先は殺されるのが大体だけど・・・。
目も、見たくないと心の底から暗示を掛けてしまえば、見た物を受け入れないようにできるし・・・・・。」
改めて影に生きる者達のすさまじさを知った気がする、と幸村は思う。
それはきっと、この目の前にいるくのいちも同じ事なんだろうな、とも。
「他に外傷がないのが流石といったところだけど・・・・。半蔵は、どこからか逃げてきたのかも知れないにゃ・・・。」
じゃあ、行ってきます。
くのいちはそういうと掻き消えた。
忍、隠密、拷問、記憶、任務、徳川、影、暗殺、逃亡、暗示。
「・・・半蔵・・。」
半蔵をあそこまで追い込んだのは誰かしれない。
しかし、もし時が今少し遅ければあの男を追い込んでいたのは自分だったかもしれない。
そう思うと、幸村は今が虚しく感じた。
「なきにしもあらずや。」
外は、再び雪が降り始めていた。
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