風花を忍び草に
−静かな人−
幸村はかいがいしく世話をした。
場所が場所だけに草の者達も手伝ってくれているものの、力になりたかった。
「・・・己のことは、己でしよう。」
相変わらず歩けないままではあったが半蔵はそういう。
その頃には幸村の方を向いて喋るようになった、相変わらず目線は低いままだったが。
「しかし移動に困るではないか・・・・。厠へ行くとき、湯を使うときはどうする。」
「・・・。」
今までは草の者達が背負って連れて行ってくれていたが、そろそろ自分でこなさなければならない。
しかし、歩けないとあっては・・・
「這っていくしかなかろう。」
「!」
こういう考えはきっと半蔵のままなのだろう、と幸村は思う。
表情を変えることなく言ってのけた。
「・・歩けていたのなら、歩く訓練もしなければなるまい。」
だいぶ足に力を込めることができる。
しかし、まだ何処かを捕まって立つのがやっと。
「・・・・私が、付いていよう。」
解るように、幸村は半蔵の手を取る。
その手の甲にすら、すさまじく引きつった傷跡があった。
「幸村殿が?」
「私はあなたを知っているのだからなんの問題もないでしょう。私も、人任せでは気になって仕方がない。」
「しかし・・。」
「それに、くのいちもいる。」
「・・あの娘は、落ち着かん。」
「ははは、確かになぁ。」
「・・・・・。」
「それでも。あれもあなたを心配している。」
「・・・・・・・そうか。」
安心させるように取った手のひらを撫でる。
「そうだな・・・。」
半蔵は、その手に己の手を重ねた。
雪の降る日だった。
信玄のお召しを終え、幸村が数日ぶりに上田城へ帰ってきた。
真っ白な息を切らせ、手もしっかり手袋をつけ、羽織も毛皮を裏側に縫いつけたものを着ている。
顔も真っ白で、頬と唇だけが紅い。
彼は馬を預けると父親に帰還を告げ、真っ先に自室へ入る。
実はこの先の隠し部屋に半蔵はいるのだ。
入り方は、城主である父親すら解らない、知るのは幸村自身とくのいち、それに半蔵の世話をする一部の草の者だけだった。
一定の操作をして、壁の一部を解放する。
小さく一間あり、襖がある。
あければ、開け放たれた明るく広い室内がひろがっていた。
あまり使われないがしっかりと手入れの行き届いた部屋は畳が青々として、今は毛皮を縫いつけた冬用の敷物がしいてある。
床の間には季節の花が生けてあり、今は椿。
調度品も最低限だが、桐と螺鈿のものを入れていて文机も、樫の一枚板を己が望むように作った。
「半蔵、戻った。」
行く行くは嫁さんとの部屋になるのかにゃ〜?とくのいちが冗談交じりに言ったことがある。
そこへまさか男をかくまうこととなろうなど、誰が思っただろう。
「・・・うむ・・・。」
部屋の隅には火鉢が二つ、それぞれ対の場所に置いてあり部屋が寒くならないようにしている。
しかし半蔵は部屋を開け放ち、小さな庭を望む縁側に座っていた。
板の間には、何も引いていない。
薄い色の小袖に羽織を着てはいるが、柱に寄りかかっている様はまるで寒さなど感じていないようでもあった。
わざと足音を立てて、傍らに座ると半蔵の手をそっととった。
「・・・いつからここに出ているのだ、風邪を引いてはまた床に伏せるぞ?」
冷たかった。
それは半蔵がここへ担ぎ込まれた時を思い出す。
青ざめた顔と唇、異様に黒々とした髪が相反し、不気味なほどだった。
触れば、氷のように冷たい。
あのときは、運良くできていた風呂へ放り込んだ物だ。
(服を脱がすこともなく、抱えたまま熱めの風呂に飛び込んで・・・・)
脳裏によみがえる。
沸かしても沸かしても冷たくなる不気味な湯を。
「幸村殿?」
急に気配が希薄になったと、半蔵は右手を上げ、幸村を捜す。
「・・・・寒いが、雪があるのかないのかも解らぬ。こうしていれば、何やら感じるかとも思ったが・・・・・。」
ここにいる、右手を取る。
相変わらず半蔵の視線は通常より低い。
「冷えているだろう、湯殿へ行こう。」
「・・・毛皮か?」
人の肌ではないものが、己の手を包んでいる。
それは、とても暖かい。
半蔵の手はおずおずと、上へ伸ばされた。
幸村の腕をたどり、毛皮を着込んでいることを知る。
その下は鎧ではない、着物。
「・・・半蔵?」
冷たい手は、まだ上へ伸ばされる。
撫でるように襟元をすぎて、頬に触れた。
「数日ぶりだな。・・・・・・戻ったばかりか・・・頬だけが、温い。」
口元に笑みを浮かべ、指に触れた髪を撫でる。
「髪は・・・切りっぱなしなのだな。」
「うむ・・・。」
触れたところから、熱くなる気がする。
幸村は手袋を取りながら思う。
「さて・・・・湯殿へ参ろうか。」
少し早口に幸村はそう言うと、半蔵の膝裏に腕を入れ抱え上げた。
その時、初めて半蔵の腕が幸村の肩へ回る。
浮き上がる感覚、幸村が歩く振動。
半蔵はぼんやりおもう。
「一応男であるのだが、重くはないのか?」
「重くなどない、忍びだから、あなたは軽い。」
「ふむ・・・。」
しかし男を抱き上げて歩く様など見られたくないだろうに。
「いや、そんなことはないぞ?」
「口に出たか。」
半蔵の目が少し見開かれる。
幸村が笑う。
「案ずることはない。私が力になる。だから、助けたのだ。」
ガラリ、と引き戸を開ける音がする。
むわっと感じるのは湯気。
「ここも、私の部屋の一部・・・部屋と言うよりは屋敷みたいなものだが、私の家族も、誰も来ないところ。だから、安じていい。」
「拙者はそれほどにも敵にされるほどだったのか?」
「・・・・そうだな・・・まだ、我らとはそれほどの関係ではないが・・・・。」
幸村は言葉を濁し、腰を掛けるために出っ張っている壁際へ座らせた。
「・・・・・・。」
ただの忍びではないのだな、半蔵は思う。
確かに先ほど幸村の体をたどったとき、どこをどうすれば簡単に倒せるのかを感じた。
どこをどう触れば、誘えるのかも。
おそらくこの青年とは、敵方。
「・・・いつかは、倒すべき相手か・・・・真田幸村。」
低い声が這い、幸村は振り返った。
半蔵は、寸分違わぬ視線で幸村を見ていた。
「・・・・・見えているのか?」
思わず、聞いた。
「何が?」
それでも、半蔵の視界は何時までも闇だった。
半蔵の体はいつ見ても見慣れない。
細い傷から、引きつったような大きな傷、何かで穿ったような傷まで大小様々だった。
自分も戦場へ赴く武人であるから傷跡もいくつかあるが、それでも白い湯浴み用の小袖に透ける様は、何とも言えない。
それに、もともと肌を出さない性分なのだろう、おそろしく白い。
白すぎるというわけではないが、滑らかで傷以外は一切染みなどない肌をしている。
(くのいちがひがむわけだ)
幸村は思う。
忍びの技全てに精通したこの男だから成せる技か、とも。
半蔵は手ぬぐいで自分の体を擦っていた、背中は幸村が流す、それが当然みたいになっていた。
そして、幸村の背は半蔵が流す。
大きい湯船には、半蔵を抱えて幸村が入った。
「・・・・こうしているときが、一番落ち着く。」
幸村の声が反響する。
「・・・・・む。」
「この湯殿は私の自慢でもあるのだ、以前入った露天風呂が忘れられなくてな!」
「露天風呂?」
「そう、湯がわき出ている泉のことだ。旅の途中で見つけたりする。」
「ふむ・・・。」
なんだか興味がありそうだな、と幸村は嬉しくなる。
それから幸村は再び半蔵を抱え上げ、湯殿を出た。
拭く布を半蔵に渡し、幸村は急いで体を拭って小袖を着る。
それから半蔵の長い髪を拭いて、背を拭う。
体が冷えないうちに小袖を着せ、己の毛皮の羽織を着せた。
「・・・大きいな。」
半蔵が毛皮を撫でながら面白くなさそうに言う。
「ははは、背が結構違うからな。」
「む・・。」
幸村は半蔵の髪を布でくるみ上げると彼を抱えた。
「さ、戻るぞ。」
半蔵の腕が幸村の背に回る。
なんとか、警戒心を解いてくれたらしい。
それだけで幸村は、笑みが自然にこみ上げてくるほど嬉しかった。
幸村はほとんど半蔵の側で生活をするようになった。
体調が戻った半蔵は、歩けず目が見えない以外は普通と何ら変わらない生活となった。
食事にはえらく苦労するが、何時までも幸村の手ずから貰う訳にはいかない。
「にゃはん☆元気そうねぇ半蔵!」
「・・・くのいち殿か?」
「いやぁん!殿呼び!!まぁ、しょうがないんだけどさぁ・・・。」
少女は半蔵の手を取った。
「あのね、今日は幸村様と一緒に外へ出るんだよ!城下へ行って、甘いものでも食べようってさぁv」
「外、か・・・。」
しかし、立つことはできても、歩くことはまだできない。
それに、顔の傷。
さわれば、皮が違うことぐらいわかった。
「・・・傷で、拙者が何者かばれないのか?」
「だいじょぶよんvその為にあたしが呼ばれたんだからぁ〜♪」
さぁて、お化粧お化粧♪
くのいちは抱えてきた化粧箱を嬉しそうに開けた。
同時に女中が何人か声を掛けて入ってきた。
「大丈夫よ半蔵、みんな草の者だから。」
不安げに眉を顰めた半蔵を落ち着かせるため、くのいちは口調を穏やかにした。
「さぁて、幸村様が馬引いてくる前に準備しなくちゃ☆」
くのいちと女中達は持ってきたものを広げると、何処か楽しげに準備を始めた。
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