風花を
忍び草


  −風花の見る夢−


 
  襖があけられ、小袖袴に毛皮を裏地にした羽織を着た幸村がやってきた。

 広がって邪魔にならないよう袖と、裾に布を巻いた姿だったが刀を二本、腰に差している。

 「幸村様が刀なんて珍し〜い。」

 開口一番、くのいちがいう。

 「そなたも準備をしてくるといい。行くだろう?」

 「にゃはん☆もっちろぉ〜ん!」

 ボフン、と掻き消えるくのいち。

 「さて・・・、」

 半蔵の準備はどうなったことやら。

 部屋を閉め切って、着替えるから暖かくしている室内。

 半蔵はいつもは結いもしない長い髪を一つに束ねて、簪を一本付けていた。

 紅い蜻蛉玉が、黒髪によく似合っている。

 着物は藍の小袖と、青緑の控えめな袴を着ているようだ。

 「・・どうだ、傷は隠れたか?」

 幸村がやってくると、なんだか女達は満面の笑みで、満足げだった。

 「若様、これで堂々と城下を歩かれても問題はありませんよ。」

 「くのいちも喜んでおりました。」

 「彼女が“半蔵は抱えないといけないからどうするかにゃ〜”と言ったので・・・。」

 確かに男を、それも自分より背は低いといっても年かさの男を抱えて城下を行くなど・・・いや、馬から下りた後どうするか考えなかった。

 「でも、すばらしい方です、さすがに、頭領ですわ。」

 彼女たちは笑顔のまま道具を片づけながらそそくさと退出する準備にあたる。

 しかし、さすがに頭領ですわ、とはどういう意味なのだろう。

 と、半蔵が振り返った。

 「・・・・・・・・はんぞう?」

 「行くのか?」

 声は、紛れもない耳に通る低い声だった。

 しかし、その容姿といったら。

 傷は綺麗に隠れていた。

 少し眉を弄ったあとが見受けられるが、目を縁取る黒い線が形を引き立たせる。

 それよりも睫がながく、伏せた眼差しは氷のように艶がある。

 血色をよく見せるために部分部分に入れたほお紅は、女性特有の丸みをうまく陰影づけていて・・・。

 「・・べ、紅を塗りすぎではないのかっ?!」

 「んまあそのような赤い顔で言われても笑われるだけですよ!・・・では。」

 女中の一人が幸村をからかって、彼女らは部屋を出て行った。

 そして二人っきりとなる。

 半蔵は正座をしたままで、幸村の方を見たまま。

 その化粧映えする顔で彼が話すのを待っている。

 「さ、寒くないよう、羽織を用意したからなっ!」

 半蔵の傍らに置かれた明らかに女性物の羽織を着せて、細帯で締めてやる。

 というか、腰細っ!と幸村は緊張で震える手を叱咤して綺麗に結った。

 「・・・なんだか女達は拙者の顔に化粧をしまくったようだが・・・浮いてはないか?」

 「あ、案ずることはない。」

 震える声で何を言うか。

 幸村は己に突っ込みを入れる。

 半蔵は眉を顰めた。

 「・・やはり、出ない方が・・・。」

 「何を言う!正直言って、自慢したいくらいの美貌だぞっ!!」

 しまった!何を言っているんだ己は!

 幸村は思わず両手で口を押さえる。

 半蔵は目をまん丸に見開いて驚いていたが、すぐ笑い出した。

 「・・・・・半蔵?」

 「い、いや・・・、あまりにもそなたが馬鹿正直なので・・・・くっくっく・・・!」

 目尻に涙を溜め、笑う姿は女性にしか見えない。

 化粧をしたから、本能的に仕草を変えているのだろうか。

 (忍、か・・・)

 女性のように脇を締め、人差し指で涙を拭う様は、どこからみても女の仕草。

 幸村は懐から手ぬぐいを取り出すと、半蔵の頬に触れた。

 「動かれるな・・・せっかくの化粧が取れてしまう。」

 「それはまずいな。」

 至極まじめな返答がまたおかしい。

 再び笑いそうな半蔵だったがそっと涙をぬぐってやった。

 (・・・この目が何も映していないとは・・・)

 常人より灰色が強い瞳は涙で赤みが差していたが透き通っていた。

 しかし、相変わらず左右の焦点は微妙にずれている。

 「そうだ・・先ほど女達がな、できるなら女声を練習なされと申したのだ。」

 「できるのか?」

 「忍だと皆が申す。だから、できるはずだと。」

 半蔵が、幸村の肩を持つ。

 立つ合図だ。

 先に幸村が立ち上がる。

 半蔵の手を取り、少しだけ引っ張れば彼は立った。

 まだおぼつかない、震える足だったが暫くすれば凛と立った。

 「・・・・さて、参りましょうか、幸村殿。」



 その声は、少し低めの、紛れもない女の声だった。





  幸村は半蔵を抱き上げた。

 まるで子どもでも抱き上げているのではと思うほど、安定していて軽々と片腕に乗せる。

 「・・・顔を、隠すか?」

 「気になりましょうや?」

 「・・・一応、とな。くのいちが用意している。」

 腰に差した扇を半蔵の手に持たせてやる。

 大きさは、顔が悠々と隠れる少し大きめの物。

 「いえ・・・このままよりかかって、行くがままとします。」

 「わかった。では、参ろうか。くのいちがまだかと待っているさ。」

 幸村は両腕に抱えなおし、歩き出した。


 
  (・・・・鉄扇か)

 幸村によりかかり、手にした扇を、まるで調べるように触る。

 少し開けば、金属特有の乾いた音。

 折り目の先は、刃が付いている。

 (仕込み武器)

 なぜ彼女はこのような物を渡してきたのだろうか。

 普通の物を持っていないだけか、何かのきっかけになるようわざと持ってきたのか。

 (・・・よいものだ。貰っておいていいだろうか。)

 品の善し悪しが分かる。

 半蔵は少し口角を上げた。



  幸村は自室のある棟を出て、正面へと向かう。

 天守からは勿論離れているがいつ何処で父親や兄に会うか知れない。

 しかし、今抱えているのは女性だ。

 別に部屋に置いてるとか揶揄されても構う物か。

 回廊を歩き、玄関で草鞋を履かせて貰う。

 半蔵の足が寒いな、と思えばくのいちがやってきて足を見知った履き物でくるんだ。

 半蔵が履いていた忍びの履き物だった。



  門の前には馬がまだかとまっていて、何人かの小姓や家臣達がいた。

 幸村は簡単に挨拶をする。

 抱えている物に驚いた彼らが止まっている間に半蔵を馬に乗せる。その後ろに自分が跨った。

 「くのいち、頼むぞ。」

 「はいなっ!おまかせーっ!」

 シュッとかるい音を残して気配が消える。

 「・・くのいち殿は、何を?」

 「雪の中を行くからな、先行して危険がないか見てくれるのだ。」

 「なるほど・・・。」

 半蔵は目が見えていないぶん、一層気配に聡くなっていた。

 歩くことができれば、目利きと変わらない動作をやってのけるほどに。

 だから門の前にいる4人が自分の方を見ていると知っていた。

 いたずら心が起こる。

 扇を広げ、半分顔を隠すと彼らの方に目を合わせてやった。

 驚いた気配が伝わる。

 そのまま幸村に寄りかかった。

 「む・・そうしていてくれ、危ないからな。城下まではそう遠くない。」

 幸村は両腕を半蔵の腰に回すように手綱をとる。

 「では参ろう。」

 幸村が足で馬の腹を少し蹴る。

 馬は小走りに門を離れた。





  横向きに馬の背に乗るなどどんなものかと思うが、切る風は心地よいものだった。

 暫く風を楽しんでいたが、やがて思考の海へと沈んでいく。

 (さて・・・記憶が戻ったらどうするか・・・。この体ではもう忍びとしてやっていくことなど不可能。)

 まして、人の助けが必要であるというに・・・。

 いったいなぜ足もきかないし、記憶も飛んだ、目もだめ、こんな浅ましい姿にしてしまったのか。

 (忍びか・・・・。頭領・・・・・。)




  

  『頭領、本当によろしいのですかっ!』

 『くどい、青山。』

 『・・・・一人でなど、危険です。』

 『万が一のことがあったら、探さなくてもいい。お前が暫く纏めろ。だめだったら、今までと同じように頭領を決め、主のために尽くせ。

 あのような輩は、誰がこの世を治めても邪魔な存在だ。それに、あれらを相手にできるのは並の武士でも不可能。』

 『頭領!』

 『お前なら大丈夫だろう、虎之助。』





  「・・・ぞう、半蔵?」

 「・・・む?」

 「着いたぞ、大丈夫か?」

 「大丈夫だ・・・・。」

 記憶だろう、あれは。

 消していたのではなく、消したかったのか、自分は。

 何度も瞬きを繰り返す半蔵。

 幸村はくのいちに振り返ると彼女は真剣な顔で半蔵を見ていた。

 見ていると言うよりは、観察しているといった方がいいかもしれない。

 (邪魔な存在を消そうとしたのか、拙者は・・・)

 でも、主とは誰のことなのかも解らない。

 虎之助、と呼んでいた男も忍び装束で顔が解らない。

 「・・・・・。」

 半蔵は眉をひっつめ、目を強く閉じた。

 「・・・・。」

 幸村は馬から下りると、半蔵を抱き上げそのまま強く抱きしめた。

 「無理に、思い出すな。きっかけがあったのなら、徐々に思い出すだろう、必要な記憶ならな。」

 「幸村殿・・・。」

 「まだ、体も本調子ではないのだから・・・。」

 大きな手のひらが、宥めるように半蔵を撫でる。

 (暖かい・・・)

 記憶は、なんだか冷たかった。

 だから半蔵は、幸村の背に両腕を回した。

 抱きしめれば、ほわんと落ち着く。

 (・・・女装してるから身も心も女になりきっちゃってるのかしらん?)

 在りし日の半蔵を知るくのいちは思う。

 幸村は少し戸惑っていたが、同じように強く抱きしめてやった。

 なんだか、脅えているようにも思えたから、こうしていれば、落ち着くだろうとも。




  きっと、記憶が戻ってしまったらこれは夢となるのだろう。

 今夢と思っていることが本来の姿であり、今が、夢。

 いずれはこの青年も、少女とも刃を交えることとなろう。

 頬に感じる、粉雪。

 風花の夢であっても、己は影なのだから。




  幸村が歩き出した振動が伝わる。

 暖かい彼の懐に寄りかかって、聞こえてくる喧噪に耳を傾けつつ半蔵は思った。






 次頁