風花を
忍び草


  
   −月天−




  城下の喧噪はとても賑やかで、様々な声を半蔵は楽しんでいた。

 物をねだる子どもの声、値切る女の声、世間話、うわさ話。

 沢山の言葉を一気に頭へ入れても理解できるのは、便利だなと半蔵は思う。

 くのいちは「あそこのお店がいいにゃ〜。」とか「ああっ!幸村様ほら、あのびぃどろ〜!!」など時々幸村の袖を引っ張っては寄り道したがった。

 そのたびに

 「今日は半蔵のために城下へ降りたのだ、無茶を言うな。」

 とたしなめる声がする。

 半蔵は「寄って差し上げたら?幸村様。」と声を掛けるが「いつでも来られるのだ、よい。」と柔らかに返されてしまった。

 

  「さて、着いたぞ。」

 どこぞへ入ったのだろう、「いらっしゃいませ〜!」と明るい声がする。

 「ここはな、少し前にできた甘味処だ。たまには目新しい物を食べてみるのもいいだろうとおもって・・・。」

 「そうなのだ☆はんぞは目が見えないから舌で楽しまなくちゃv」

 「・・・・・・。」

 「・・・?どうしたのだ、半蔵。」

 半蔵は至極まじめな顔をしていた。

 楽しい喧噪が聞こえているだろうに、場違いなほどだ。

 涼やかな目は、前をじっと見ている。

 「どうしたのかにゃ?」

 「・・ほんとうに、よくしていただいて、と。・・・・・いつかは仇で恩を返すようになるのではないかと・・・・。」

 悲しげな女の声で半蔵は言う。

 じっと、すがるように幸村を見上げた。

 視点は寸分の狂いもない。

 じっと幸村の目を見ている。

 幸村は微笑んだ。

 見えてなくても、落ち着かせるように、宥めるように微笑む。

 「今は、今として受け取っておけ。なにも恩を売るために貴方を助けたのではない。待たせたな、3人だ。できれば奥座敷を。」

 案内に出てきた若い店番の女の子に告げる。

 「3名様ごあんな〜い!」

 再び「いらっしゃいませ〜!」と店の者達が声を上げる。

  3人は奥の座敷になっている所へ案内された。

 といっても小料理屋のような個室ではもちろんない。

 半蔵をおろして履き物を取る。

 半蔵も手探りで座布団を探すとそこへ座った。

 

  「いや〜、実においしかった。評判になるだけはあるわねん☆」

 「そうだなぁ・・・。半蔵はどうだ?」

 実は甘いものが苦手だったらしい。

 半蔵は汁粉を頼んで後悔していたが、なんとか完食した。

 ただ食後の寒天は、口が甘甘になっていたしのどごしがよかったので絶品だった。

 「うむ・・・馳走になった。」

 素直に半蔵はそういった。

  3人が食後のお茶をすすってのんびりしているときだった。



  「これはこれは、真田殿ではございませんかな?」

 年かさを感じさせる、穏やかで少しゆっくりとした声がした。

 みやれば少し小柄で太めの男が通りがかったところだ。

 隣には、異様に大きな男がいる。

 「此度は、美しい人をお連れですなぁ。」

 「これは信康殿。」

 幸村は笑顔で返す。

 「雪は残っておりますが、今日は外へ出るのに丁度良いので、客人を連れて出ました。」

 「ほう・・その方が?」

 信康と呼ばれた男は座敷との段差に腰を掛けた。

 「なるほど・・・・。」

 男は髭を生やした顎を撫でながら、その手を取った。

 「儂は真田殿の知り合いじゃ・・・。そなたの目と足を治す術がないかと探しておる物の一人じゃ・・・。

 忍びであることもよく知っておるぞ?男であることもな。」

 落ち着かせるように、まるで娘にするかのように両手で、半蔵の手を包み込む。

 半蔵はようやっと声のする方を向いた。

 「拙者の為、かたじけないことにございます。・・・あなた様のことを存じているかも知れぬ状態ですが、不作法、平に。」

 佇まいを治し、頭を下げる仕草は半蔵そのもの。

 立ったままの大きな男は盛大にため息をついて首を横に振った。

 「・・・忠勝、」

 「はっ。」

 信康が声を掛けると大きな男は手にした布包みを渡す。

 「これが、何かのきっかけになれば良いのだがな・・・。」

 忠勝は幸村に手渡す。

 「服部屋敷から借りてきた。」

 「かたじけない!」

 幸村は渡すと、控えているくのいちが恭しく受け取り、傍らに置いた。

 「さて・・我らは道を急ごうかのう・・忠勝。」

 「そうですなぁ。」

 信康は半蔵の肩に手を置き、少し力を込めた。

 「よいか、半蔵。記憶がたとえ戻ってもまだ目も足も支えなんだとする。それでもな・・・儂は帰ってきてほしいのだよ。」

 「・・・。」

 「忘れるでないぞ?」

 信康は忠勝と共に去った。




  帰り道、半蔵は幸村にもたれかかったまま目を閉じていた。

 眠っているようにも見えたが、時折目を開けては幸村を見えもしない目で見上げた。

 そのたびに、「どうした?」と聞く代わりにその手を取る。

 半蔵に意味は分かっていた。

 「好きなように。」

 それだけだった。




  幸村は次の日から三日と半日、屋敷を開けた。

 その間はくのいちや、いつもの草の者達が半蔵の足を助けている。

 たいぶ春の風を感じるようになった頃で、くのいちが甘味処で預かった風呂敷を持ってやってきた。

 「はんぞー、」

 襖をこそっとあける。

 縁側の板敷きに、毛皮を敷いた上に座っている(幸村が敷かせた)半蔵は、朗々と詠っていた。

 


  花時(かとき)終わりて
  緑時(りょくじ)となりき

  花は散り去り
  葉が精一杯伸びゆかんとする時

  ただなんと言うこともなく
  花も咲かず
  緑鮮やかになることもなし

  ただ空に焦がれているとは
  同じように流れる時の中
  後ろを振り返ることはなけれども
  さりとて前を向くこともなし

  嗚呼
  どうしたらよいのだ

  ただ上を向いて空に焦がれているなど
  青さに吸い込まれたいと
  たなびく白き流れでありたいと
  時に激しく振る雨になりたいと
  世界を揺らす雷になりたいと

  全てを明るく照らし
  影を生み出す日の元になりたいと
  照らした光の内なる影でありたいと

  花時終わりて
  緑時となりき
  まもなく暑時が来たる也

  ただ空に焦がれるのは
  変わることなき
  ただ其れだけ





  忍びは様々な特技を持っている。

 それは潜入しても怪しまれないようにするためだ。

 しかし、だからといって半蔵が詠うなど誰が想像しただろう。

 響く声は、高すぎず低すぎず心地よい。

 強弱美しく、滑舌も良い。

 これだけで食ってかれんじゃないかにゃ?とくのいちは思う。

 そのまま部屋へ入って、傍らに座った。

  「・・・・くのいち殿か?」

 「そうよん。はんぞってばうまいんだねぇ〜。」

 「さて・・いつぞや詠ったのかも解らぬが、ふと思い出したのでな。」

 「なるほど・・・。でもいい傾向だと思うわけ。そんでね、この前預かった物を渡そうと思って。」

 「預かった物?」

 「そ。城下であったでしょ?あの人から預かった物があるの。」

 くのいちは言いながら風呂敷の中から木箱を表す。

 ゆっくりとふたを開ければ、一振りの鎖鎌。

 くのいちは鎌を取ると、半蔵の手に持たせてやった。

 「刃が、鋭いから・・・・気を付けてね。ていってもはんぞが一番よく知ってるからにゃん。」

 くのいちはそう言うと部屋をあとにした。



 それから半蔵は黙ったまま、一層しゃべらなくなった。



  幸村が戻った頃には殆どの記憶を半蔵は取り戻していた。

 しかし変わらず目も見えず、足もきかなかった。

 そして、何故記憶を封じて目も足もだめになったのか。

 原因だけは相変わらずすっぱり消え落ちていた。



  幸村が戻った。

 「半蔵、変わりないか?」

 いつものとおり、隣に座り手を取る。

 鋭い眼光が、幸村をてらした。

 「・・・・・戻ったのか?」

 幸村は手を離した。

 半蔵は、軽く頷く。

 「目が利かずとも五感は他を補い不自由はない。ただ、足がきかぬのは、辛いな。」

 口調が少し変わった気がする。

 「しかし、肝心なところは何も思い出せぬ。足は訓練すればまた歩けるようになろう。」

 おそらく足は、薬を使われた。

 半蔵は付け足す。

 「そうか。・・記憶がなかったときの事は覚えているのか?」

 「うむ。」

 半蔵は立ち上がった。

 立つだけなら、歩ける者達と何も変わらないすっきりとした動作だったがしかし、2・3歩歩いてドタッと倒れてしまった。

 「無理をするでないぞ!」

 助け起こしながら幸村は言う。

 「早く、戻らなければなるまい。主を安心させたい。」

 くのいちからここ数日ものすごい訓練をするようになったと、帰還して真っ先に報告を受けていた。

 確かに立ち上がるだけならば何の損傷もないほどだ。

 「目は何か考える。しかし、足が使えぬとあっては・・・・。」

 半蔵の顔が歪む。

 ダンッ!!と音がした。

 半蔵が板敷きを殴ったのだ。

 足を広げ、不作法に座った半蔵はまた庭の方を向いた。

 手を足の間に置いて、床につけている。

 何度か叩いて、呟いた。

 「・・・・虎之助、」

 幸村はぎょっとした。

 天井から現れたのは、草の者だった。

 他の者達と同じ、筒袖の着物と裾の広がらない袴姿。

 年の頃は幸村よりは年上そうだったが、人の良さそうな顔をしていた。

 「ここに。」

 「そなたっ?!」

 「・・・初めまして、幸村殿。青山虎之助と申します。・・・・頭領がいなくなってからまもなく、草の者達の中に紛れ込ませて頂きました。」

 きっちり正座し、頭を下げる。

 半蔵ほどではないが長い髪を、頭の高いところで結い上げていた。

 「頭領のお世話は、ずっと私が行っておりました。」

 「なるほど・・・。確かに警戒心の強い忍び同士がまっさきにうち解けるとは・・と思っていたが・・・。」

 「万が一、というのは許されませんから。」

 涼やかな目元に鋭い光がこもる。

 「幸村殿にも感謝をしております。頭領の介抱は、とても助かりました。」

 「好きで助けたのだ、やらせておけ。」

 「頭領!失礼ですよ?」

 「・・・。」

 半蔵はぷいっとそっぽを向く。

 虎之助は苦笑した。

 「目は、もう光を感じることができているはずです。使われた薬が解ったので中和剤を投与いたしました。」

 「そんなにも・・・。忍びとはあなどれんな、驚異だ・・。」

 恐ろしい忍びの知恵。

 これを逆に使われては、ひとたまりもない。

 「・・・草の者達も、侮れませんからね、幸村殿。・・くのいち殿が真っ先に浜松へいらしたのでこれでも急いだ方だったのです。

 調合には、時間が掛かりますから。・・・頭領、」

 「なんだ。」

 「私は一度浜松へ戻ります、薬が足りません。」

 「勝手に帰れ。」

 「まぁ酷い。」

 「・・・。」

 まるで子どもと親のやりとりに似ているな、と幸村はぼんやりおもった。

 「・・・幸村殿、」

 「あ、はい。」

 虎之助は穏やかなままの面を向けた。

 彼が忍びであるなど結びつけるのは難しい顔だ。

 もっとも、素顔なのかはしれないものだったが。

 「ここにいる伊賀者は私だけです。私が戻るまで、頭領のことは貴方にお任せしても良いと判断しました。・・・半蔵様を、お願いいたします。」

 「わかった。しかと。そなたも道中、気をつけて。」

 「お心遣い、感謝いたします。」

 丁寧に頭を下げ、虎之助は立ち上がった。

 「さて、善は急げといいますので出立します。頭領の目はもしかしたら見えるようになるかも知れません。

 ですが暫く中和剤を飲み続けないとまた見えなくなるので、できれば私が戻るまで目を離さないでください。」

 「解った。」

 それから虎之助は縁側で草鞋を履くと、掻き消えた。

 半蔵は相変わらず、子どものように手足を投げ出すように座ったままだった。

 その顔は、ふて腐れてるせいか随分幼い。

 自然と笑みがこぼれた。

 「・・・・笑うところではない。」

 「そういうな、半蔵。・・・愛されてるのは良いことではないのか?」

 「・・・滅。」


  晴れていた空が一気に曇り、冷たい風が強く吹き始めた。

 「さて、部屋を暖めるとするか。・・・・半蔵、閉めるから、中へ。」

 「うむ。」

 幸村は半蔵の手を取る。

 半蔵は当然のように立つような仕草をすれば、幸村は引っ張り上げた。

 「・・歩くか?」

 「む・・・。」

 そのまま、半蔵がゆっくり足を出すのを補助してやる。

 いまいち足が震えているが、それは筋肉が萎えてしまったというのもあるだろう。

 幸村は毛皮の敷物まで半蔵を誘導すると歩みを止めた。

 ものすごく時間を掛け、半蔵の息は少し上がっている。

 しかし、病後初めてこれだけを歩いたのは進歩だった。

 「やったな半蔵!徐々に訓練すれば治りそうではないか!」

 自分のように喜び、半蔵の手をとったままブンブンふる幸村。

 半蔵としてはこれだけで息が上がる己が信じられなかったが、確かにまともに歩いていなかったのだから、結果的に歩けたとしても今は無理な相談。

 冷静にそう受け止めた。

 「まってくれよ、今部屋を暖めるからなっ!」

 幸村の喜びようは気配だけで半蔵に解るほどだった。

 (・・己のことでもないのに)

 半蔵は律儀な奴だ、と思いそのままころん、と横になった。






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