風花を
忍び草


  
   −月天−



  月天荒ぶる者
  紅き羽根を散らし舞う
  涼風裂く夜
  一面の白き園にて

  夢である
  夢にあらず
  下天を望むか
  下天望まずや
 
  望むものなし
  
  平安こそが全ての根元
  混沌こそが全ての回帰





   「・・・・相変わらず良い声だな、半蔵。」

 「風魔か。」

 「面白い噂を聞いたのでな、どんなものか見に来たのよ。」

 「ふん・・・。」

 上田城の縁側で、半蔵は詠っていた。

 前には琴が置いてあって、つい今まで音を奏でていた。

 退屈だろうと心配する幸村に「ならば、」と持ってきてもらったものだが特に得手ではない。

  ふっと顎に伝わりくる冷たい感触。

 おそらく自分の目を見ているのだろうと半蔵は思う。

 「・・ほんとうに見えておらぬのか。」

 灰色の、鈍い光彩の動き。

 「まったく動いておらぬ訳ではないが・・・・見えておらぬのだな。」

 「ふん。」

 半蔵は小太郎の手をたたき落とした。

 「失せろ。」

 「つれないことを言う・・・。足はどうなのだ?足もきかぬと聞いたが・・・。」

 途端浮き上がる体。

 放り投げられたと解ってはいるが、受け身の体勢を取ることはできない。

 そのまま背中からドタッと落ちた。

 しかし半蔵は平然と体を起こす。

 「かわらず無茶をさせるわ・・・。早く北条の元へ戻れ。」

 「まぁまて、これでは本当に足がきかぬのかさっぱり解らぬわ。」

 グイッと浮き上がる腰。

 風魔に俵抱きにされてると解った瞬間、刺すような空気が頬を刺激した。

 冷たい感触は、雪のもの。

 その下に触れるものは堅くて、等間隔に段差がある。

 ここは斜面だ。

 「・・・屋根か。」

 「そうよ。本当に足がきかないのか解らぬのでな。半蔵ならここから降りること容易かろう?」

 フワッと小太郎はそのまま姿をかき消した。

 気配もない。

 「・・・・・・馬鹿なことをっ!!」

 半蔵は、悔しかったが心から憤慨した。

 半蔵は本当に見えないし、足も使えないのだ。

 いったい誰がこんな所に半蔵が居ると知るだろう。

 虎之助はいない。

 他の草の者達が気づくかは知れず。

 部屋を空けた幸村は?

 あやつ、気づくだろうか・・・。

 滑るため、全く動けない。

 一度滑り出したら足を踏ん張ることもできないし、どこで屋根が切れているのか解らないから落ちそうになっても掴むこともできない。

 幸い晴れているが、今は夜。

 「・・・・・・待つか。」

 目も、おぼろげなりとも見えるようになるかもしれない。

 半蔵は膝を立てて座ったまま、大きなため息をついた。





  幸村が目を離した隙に半蔵が消えた。

 あの足でどこかいかれるわけもなく、ましてあの目では危険が伴う。

 「自分で動けないのだから、連れて行かれたのかっ?!」

 追っ手が掛かっていたのだろうか、嫌な予感がする。

 幾時間かかかって幸村は草の者達を使ってあらゆる所を探させ、自分も走り回った。

 しかし、まったく気配がない。

 草の者達も首をかしげる。

 「・・・もうすっかり夜だ。いってしまったのか?」

 天守から外を見やる。

 満月だった。

 寒いが、よく晴れている。

 もうすぐ、夜明けも近くなる頃合い。

 しかし月が鬼瓦に照り映えていて・・・・・・

 「・・・・・・半蔵!!!」

 間違いない、半蔵だった。

 落ちないようにしているのだろ、冷たい雪の上に座ったまま微動だにもしないようにしているようだった。

 「なぜあのようなところへっ?!」

 屋根を伝う忍びでない限りあのようなところは無理だ。

 いくら半蔵が忍びであっても、目も利かず、足もダメでは行くことなど不可能。

 「早く暖めてやらないと・・・・。」

 幸村はあたりを見回した。

 そして天守の押入に着ている鎧やすね当てなど体を重くするものを外して隠した。

 忍びの服にも似た、漆黒の軽装姿になると幸村はもう一度周りを見回して目まで閉じて気配を探る。

 「・・・上も下も誰もいないな・・。雪を踏み外さないようにせねば。」

 自分に言い聞かせると、そのまま身軽にも向かいの棟へと飛び移った。





  寒いし、座ってるので着物が濡れきって尻に感覚がなくなっていて変な感じがする、と半蔵はぼんやり思いつつ目を閉じ、

 体温を奪われないように体を縮め、膝を抱えて朝をまっていた。

 腹立たしいが、ともかくもう少し目が見えなければ動けない。

 風呂や布団といった暖かい物が無性に恋しい。

 「・・・任務であればそのようなこと思わぬが・・・。」

 いつの間にか暖が恋しくなったのか。

 やれさて、と思ったところで何かが一瞬で隣へとやってきた。

 足音も雪のせいか聞こえなかったが気配も直前まで分からなかった。

 「待たせてしまったな、半蔵。」

 手から感じる、幸村の体温。

 「・・・・・風邪を引いてはまた床へ臥せてしまう。ずっと雪の上に座ったままなどと・・・。」

 体が浮かび上がり、頬に感じる幸村の鼓動と、じんわりと移り込む暖かさ。

 思わずすりよってしまう。

 幸村は微笑んだ。

 「さて、湯殿へ参ろう。暖めなければな。・・・しっかり掴まっていてくれ。」

 「・・うむ。」

 半蔵は幸村の肩へ腕を伸ばしてしっかりと掴まる。

 どんな方法であれ、幸村はここまで上ったわけで、これから降りるのだから。

  幸村は身軽にも屋根を滑り降りながら上田城を駈けた。

 しかも半蔵の重さなどないかのように。

 そのまま音もなく屋根づたいで自分の部屋の上までやってくると、屋根から降りた。

 さすがに「ドンッ!」という音がしたが、半蔵にはあまり衝撃として伝わらなかった。

 良い腕をしている。

 そう言いたかったが寒くて寒くて、はやく冷たいこの小袖を脱ぎたかった。

 だから半蔵は湯殿の湿気を感じると真っ先に小袖を脱がせて貰った。

 顔は本当に死人(しびと)みたく青白くて唇が震えている。

 幸村は着の身着のまま、半蔵に浴衣を羽織らせてそのまま湯殿へ入った。

  半蔵を椅子に座らせ、冷え切った体が驚かないようゆっくり手ぬぐいで拭いながらお湯を掛けていく。

 「・・・もういい、早く湯につからせろ。」

 半蔵が歯をガチガチ言わせながらうなる。

 もう体は湯に慣れた。

 早く暖まりたい。

 幸村は上半身の着物を脱ぐと半蔵を抱えて浴槽へ入った。


 ほんの少し、時間が経つ。


  「半蔵、落ち着いたか?」

 「む・・・。」

 「寒くないか?」

 「・・・平気だ。」

 「そうか。」

 半蔵を抱えたままの幸村の腕に力がこもる。

 「まだ、冷たい。」

 「・・・。」

 「・・生きて、いるよな?」

 「・・・・。」

 子どもを抱き込むように己を腕に閉じこめた青年に、どうしろというのだ。

 半蔵はポツリと思う。

 目は、いつのまにか全く見えない状態ではない、細めれば焦点が合うまで急速に回復しつつある。

 半蔵は、目を細めた。

 子どものような、不安げに眉を顰めた青年の顔があった。

 今にも泣きそうで、半蔵の胸に耳を押し当てている。

 「生きているよな・・・・幻ではないよな・・・。」

 小さく、呟く声。

 半蔵は黙って幸村の頭を抱きしめた。

 「拙者は、生きている。」

 ポツリと呟けば、一層力を込めて抱きしめられた。





  今日も今日とて縁側というおきまりの位置に半蔵は座っていた。

 あれから五日を数えたが目は元の通り見えるようになった。

 虎之助からの中継ぎが、薬のできが悪くもう少し掛かりそうだと報告に来たときは「・・急げとは言いたくないが、急げ」と返事を使わした。

 難しいのは解っているからだ。

  足は大分よくなってきたが、まだ壁を伝ってでしか歩くことはできない。

 上半身の鍛錬は時折やってくるくのいちに相手をして貰ってはいるが、いつも通りに動こうとすれば足がきかずにボテッと倒れるという失態をやってのけてしまった。

 もっとも状況が状況なだけあって、くのいちは笑わず「今日はもうやめるかにゃ〜?」と半蔵を助け起こす始末だ。

 

  半蔵は縁側の板の間に部屋の毛皮を引っ張ってきていて、座っていた。

 雪の溶けた庭は春の息吹を感じて青い新芽をつけ始め、つぼみは一層ふくらみ始めている。

 長く、ここに留まっていると思う。

 主へも何もいっていない。

 おそらく虎之助が報告を知っている範囲でしているとはおもうがあえて中継ぎを作らなかった。

 この状態で狙われては困る。

 暗殺家業が生業なわけだから、恨みを持つ人間はごまんといるわけで。

 「・・・髪が伸びた。」

 もともと長かったが、今は腰ほどまである。

 櫛を通せば女の髪のようだと。

 

  「ねぇん、幸村様ぁ、」

 上田城の城門で帰ってきた幸村を、くのいちは待ち伏せしていた。

 彼女は馬を止めた幸村に唐突に話しかけている。

 しかし幸村の方はさも驚いた風もない。

 彼女が現れるのを、解っていたのだ。

 「どうしたくのいち。なにかあったか?」

 彼女は白壁に寄りかかっていて、面白くなさそうに石を蹴っている。

 幸村は馬から下りた。

 「はんぞ、いつまでここにおくの?記憶も戻ってるんだし、そろそろ徳川へ返した方がいんじゃない?」

 「・・・・足が悪い。徳川へ返しても刺客に狙われるだけだろう、みすみす、殺す手助けをしたくはない。」

 「・・でも、あのはんぞだよ。足、悪いけど大分高く飛べるようになったし、道具で補助してるから結構強いよ。

 そんじょそこらの上忍じゃ勝てないくらいにね。」

 「・・・・。」

 「・・・・返したくない、ってのは、無しの方向で〜。」

 くのいちはそのまま消えた。

 消えたが、幸村は斜め上を見上げていて、一瞬だけくのいちの姿が見える。

 「解っているさ。・・・・・解っているとも。」

 幸村は目を伏せる。

 風が、大分暖かくなってきた。

 「・・・花開くまでには・・・・・。」

 半蔵を帰さなければなるまい。

 力無く愛馬の轡を引っ張って門をくぐってやってきた少年に預け、厩へ連れて行かれるのを見送る。

 誰もいなくなれば、幸村の姿もそのまま掻き消えた。



  「半蔵、戻った。」

 襖を開け、声を掛ければ半蔵はこちらを振り向いた。

 しかし、何も言わずにまた顔は庭の方へと戻る。

 「もう日が暮れる。冷えるから、中へ入らないか?」

 二人にしか聞こえないほど、静かな声だ。

 空の色は、濃い群青色から、淡い橙色への変わり目が広がっている。

 夜と、昼の混じり合う逢魔が時だ。

 「・・・暖かくなったな、もののふよ。」

 半蔵が側の柱に寄りかかり、毛皮の空間を幸村のために開ける。

 青年は、あいたところへ座った。

 「そうだな・・・。加減はどうだ?」

 「変わらず。」

 「好ましいのか、どうなのか・・・。」

 「見えている故、贅沢はいえぬ。」

 くっと半蔵は笑う。

 確かに目も足もダメでは苛立ちやすく、なんだか悲しくなってきた物だ。

 どちらか一つでも使えれば、あるいは。

 「・・・雪解けを待って、開戦となった。」

 重い、幸村の声がいった。

 半蔵はどこか達観した目で空を見ている。

 「・・・拙者も、雪解けと共に去ろう。良かれ悪しかれ、潮時だ。」

 あの月が、消えるまでには。

 半蔵は淡く光る月を見て計算する。

 今日は青山がきて薬を置いていった。

 目は問題ない、足の効果は、2・3日後に解る。

 「幸村、」

 低いが、通る声が言う。

 半蔵が右腕を青年の方へと物欲しげに伸ばされる。

 心得ている青年は半蔵を手を取る。

 二人は、何も言わない。

 ただじっと目を合わせているだけ。

 手は、堅く繋がれていて、半蔵の細い手指は、大きくてごつく、でも節くれていない幸村の手に包まれている。

 もうずっと、こうだ。

 記憶が戻る前から当然のように、幸村は半蔵に触れていた。

 幸村としては、初めて見たあの白い人形みたいな半蔵が忘れられないで、人としての体温を確かめるように半蔵に触れたり抱きしめたりしていた。

 それで、記憶の中にある半蔵と目の前にいる半蔵を合致させないようにしていた。

 そして、今。

 ただまっすぐ、にらみつけるでもなくお互いを見ていて、手は繋がれたまま。

 半蔵が力を込めれば、幸村も力をこめる。

 幸村が力無く微笑めば、半蔵は目を大きく伏せ、肩の力を抜く。

 再び目を開ければ、暖かい幸村の膝の上にあって、月を見上げていた。

 満月だ。

 「・・・寒くないか?」

 「ああ・・・。」

 必ず幸村は、半蔵の腕をなでさする。

 気が付けば、いつも同じことをしているなと様子見に見上げてやれば、悲しそうな、でもどこかほっとした笑顔があった。

 なぜこやつがいつもこんな笑顔を己に向けるのか半蔵には解らない。

 試しに、そのがっしりした胸肌に頬を寄せれば笑みを濃くされたがそれでも悲しそうな感はぬぐえない物だ。

 

  日が沈み、月がずいぶんと上がってきた。

 二人は動くこともなく、空を見上げ、庭を楽しんだ。

 幸村は半蔵を抱えたまま。

 半蔵も幸村に寄りかかったままで、片手を己の体に回されている幸村の腕に添えていた。

 戯れに撫でるように動かせば、幸村は顔をよせる。

 男の髪であるのに存外艶やかな半蔵の髪にすり寄せては、再び月を見上げた。



  逢所月天心
  唯心ありき
  言葉無くとも
  成る可くして成る
  今は二人だけ
  



  半蔵は常の声と詠う声が違う。
 
 変えているわけではないが、出し方が違うのだろうか、と幸村は思う。

 「幸村、」

 「ん?」

 「成る可くして、成るだけなのだ・・・・。」

 「解っている。」

 「・・・・別れたところで、互いがどちらかの首級を挙げたところで、もう逃れることはできぬ。・・・よいのか?」

 「業か?」

 「そういうことになろう。」

 「・・・・。」

 「・・・・。」

 「我らが、もう離れられぬという証なのだな・・・・。」

 「・・・・。」

 「半蔵、」

 「なんだ。」

 「嬉しく思う、といったら・・・不謹慎か?」

 「我らしかおらぬ。気にするな。」

 「・・・私は、嬉しいんだ。・・・・半蔵が戻れば次に相見えるのは戦場、それも敵同士となろう。それでも、ひっそりと隠した心は同じ・・・。

 我らには、丁度良いのかもしれん。」

 「そうか・・・。」

 半蔵は、ゆったり微笑んだ。

 といっても口の端をゆるめた程度だったがそれでもあでやかだった。

 この年かさで、男でもあるはずの忍びは、己の心をとらえて放さない。

 幸村はそっと、半蔵に口づけをした。

 半蔵は嫌がる風でもなく、目を閉じて、幸村をただ抱きしめた。



 


   飛天の夢
   
   強者の夢