La Rose Noire

         - Murrue-

 

 

 

 

 

      一日の勤務を終え、部屋に戻ると、真っ先に彼の姿が目に入った。

      デスクの奥のプライベートスペース。ベッドの端に腰掛けた彼は、軽く腕を組んだまま、隅の柱に

     凭れかかるようにして眼を閉じていた。

      先にシフトから上がってきたらしい彼は、どうやらわたしの帰りを待つ間に眠ってしまったらしい。

      足音を忍ばせてそっと近づいてみると、規則正しい寝息が微かに聞こえる。

      少し身をかがめて「もしもし?」と覗き込んでみても、閉じられた目蓋が微動だにしないのは、よ

     っぽど疲れているのか、それともここにいるのがわたしだから、なのかしら?

      後者なのだとしたら、とても嬉しい。

 

     ――哀しいパイロットの性ってやつなのかねぇ。どこででもすぐに寝れる代わりに、ちょっとした

     ことですぐに目が覚めちまうの。

 

      そう言って肩を竦め、おどけた風体を装っていた彼。

      どんな時でもアラートが鳴れば即座に飛び出して行かねばならない彼の身に、何時の間にか染み付

     いてしまった習慣。

      地上の非軍事施設に居る時ならまだしも、戦艦の中では喩え平常時と言えどもそう簡単には気が抜

     けない。

      ちょっとした気配にも敏感に反応する彼が、ここではすっかり寛いでいる。

      無防備な寝顔をわたしだけに見せてくれる。

      自惚れてもいいよね?

      それだけの安らぎを彼に与えているのがわたしなのだ、と。

 

     自然と零れてくる笑み。

      きっと今のわたしは、彼が言うところの「とびっきり優しくて綺麗な笑み」を浮かべているのに違

     いない。

      笑みを浮かべたまま、わたしは彼の寝顔をまじまじと見つめた。

 

      少しくすんだ金色の髪は柔らかく流れて額を隠し、伏せられた睫毛は意外と長い。

      閉じられた目蓋の下には晴れた空を思い出させる青い瞳が隠されていて、時に剣呑な冷たさを宿す

     事もあるそれは、わたしを映す時にはこの上もなく優しくなる。

      軽く結ばれた口唇は、気障で歯の浮くような台詞を連発して、わたしを困らせる事も多いけれど、

     わたしの名を形作る時には暖かな気持ちに包まれる。

      広い肩も、わたしを受けとめる逞しい胸も、頬を撫でる温かくて大きな手のひらも。

      彼の何もかもが愛おしい。

 

      ねぇ、起きて。

      その瞳にわたしの姿を映して。

     他の誰でもない、貴方だけにしかできない、痺れる様な声音でわたしの名を呼んで。

      その腕に包んで、甘えさせて―――

 

     我侭な希望が胸に宿るけれども、いまはそれを奥深く仕舞っておこう。

 

     愛しい彼の安らぎの時間を、いましばらく守るために。

 

 

 

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