Annunciation

              Everlasting W

 

 

 

     「うぎゃあああぁぁぁぁぁぁっ」

 

     きゃあきゃあと楽しげな歓声にあふれた遊園地内に、少々場違いな、木綿を引き裂くような

     男の悲鳴が響き渡る。

 

     ここは復興半ばのオーブ首長国連邦に建設された遊園地。

     オープンを3日後に控えた今日、レセプションを兼ねた先行公開が行われ、招待された関係

     者と抽選によって選ばれた一般の親子たちで賑わいを見せている中、一番人気のジェットコー

     スターの1番前のシートに座って、情けなくも耳障りな悲鳴をあげているのは、もうすぐ三十

     路に手が届こうかという、かつての英雄、ムウ・ラ・フラガ、その人であった。

 

     「うわっ。落ちるっ。うう… 止めてくれーっ! どわぁーっっ!!」

 

      恥ずかしげもなく喚き散らしている彼の隣では、かつてのAAのCICオペレーターにして、

     戦後は艦を降り、一学生にもどったものの、時折復隊してAAの平和維持の作戦を手伝ってい

     るミリアリア・ハウがやっぱり悲鳴をあげているが、こちらはムウと違って楽しそうな全開の

     笑顔だった。

      そんな対照的なふたりのうしろの席には、ディアッカとアスラン――片や停戦後もプラント

     には戻らず、そのままAA付きのMS部隊の小隊長として活躍中であり、片やプラントの若き

     評議員として地球とプラントの橋渡しに尽力中の、旧クルーゼ隊コンビという珍しい組み合わ

     せが見え、さらにその後ろにはキラ、カガリといった姉弟の姿も見える。

 

     「あー、死ぬかと思った…」

 

      ようやく恐怖のジェットコースターから降ろされ、一緒にコースターには乗らず、近くのベ

     ンチに座って様子を眺めていたマリューのもとへ帰ってくるや、大きく息を吐きながら、ドキ

     ドキする心臓の辺りを押さえるムウ。その姿を見て、若者一行が呆れた声を上げる。

 

     「なんだよ、おっさん。だらしねぇな」

     「誰がおっさんだっ」

     「30過ぎればおっさんで十分だ」

     「何を言う。おれはまだ29だぞ」

 

      30歳の誕生日まではあと2週間もある、と力説するムウをディアッカはせせら笑う。

 

     「そんなの、ほとんど30になったも同然じゃねぇーか」

     「違ぁーーーうっ!」

 

      地の底を這うような低レベルの争いを繰り広げるふたりを見ながら、「相変わらずだねぇ」と

     キラが呆れて見せる横で、ミリィが笑いを押さえきれない様子だし、カガリは心底情けないと

     いった風情で腕を組んでいる。

 

     「あははは… それにしても中佐…っと、ムウさんがこんなに怖がるなんて意外―」

     「ホントだな。わたしも情けないぞ」

 

      仮にも平和維持軍所属のAA随一のMS乗りにして、士官学校で戦闘機乗りの教官まで勤め

     ている者が、何と言う体たらく。

      現オーブ代表にして、上司でもあるカガリの嘆きは至極当然のものであると言えるが、当の

     フラガ中佐は「しょーがねーだろ」と、ふてぶてしいほどの態度を見せる。

 

     「だってなぁ、高度計は付いてないし、スピードメーターも付いてなくて、今どれくらいのス

     ピードなのか全然判んないし、操縦桿だってなければ、シートベルトだってキチンとしたもの

     はなくて、あんな心許無いレバーだかなんだかで固定されたままなんだぞ」

 

      そこまで一息でまくし立てたあと、大きく息を吸い込んで、殊更力を込めて言い放つ。

 

     「物凄く怖いじゃないかっ!」

 

     拳を握って力説するムウの姿にまたまた笑いが起こる中、アスランひとり、何だか神妙な面

     持ちをしている。

 

     「…ムウさんの気持ち、ちょっと判るな」

 

      その言葉を聞きとめたキラが「あぁ」と納得したように手を打った。

 

     「そっかー。アスランもムウさんも、自分でコントロールできないものは不安なんだね」

 

      そういうことならボクもちょっと気持ちが判るかも、なんて言うので、ミリィたちも「そん

     なものなの?」と半信半疑ながら、その話を終わらせることにした。

 

     「ねぇねぇ、それより今度はあれに乗りましょうよ」

 

      ミリィが指差したのは巨大な帆船を模したゴンドラ型の絶叫マシンで、若者たちが「そりゃ

     いいね」とはしゃぐ中、ムウだけはげんなりした表情で、これまでのやりとりをベンチに腰掛

     けたまま笑って見ていたマリューの隣にどっかと座り込んだ。

 

     「俺はもういいわ」

 

      お前らだけで行ってこいと、如何にもあー疲れたという風情で、横柄にベンチにへたり込ん

     だまま、しっしと追い払うように手を振るムウ。

 

     「俺はここでマリューと待ってるからさ」

 

      その様子を見ながら、ディアッカが本気で呆れたような表情を浮かべ、

 

     「それってマヂでおっさんくさいぜ」

 

      等と言うのにも、

 

     「あぁ、もぉ、あんなのに乗るくらいなら、おっさんでもいいよ、俺は」

 

      と、げんなりした態度をとったうえ、若者にはついて行けんわ等とますます年寄りくさい台

     詞など吐いてみせる。

      それを見て、またまた陽気に笑ったミリィが「ところで」と今度はマリューへと話を振った。

 

     「ねぇ、マリューさんは? 今度は一緒にいかがですか?」

 

      皆と同じように、ムウの態度に笑いを零していたマリューは、ミリィの誘いに「いいえ」と

     首を振る。

 

     「わたしもムウとここに居るから、あなたたちだけで楽しんでいらっしゃい」

     「そうそう。俺とマリューのデートを邪魔するんじゃない」

 

      丁重に申し出を袖にするマリューの言葉を、いつものようにムウが軽口で引き取れば、若者

     たちの間からまたまた笑いが起こる。

 

     「んじゃ、おっさんは放っといて、俺たち若者だけでいきますか」

     「そうだねー」

 

      あはははと笑いながら、「じゃ、行ってきまーす」と連れ立って駆けていく若者たちを見送る

     と、ムウはもう一度大きく息をついた。

 

     「あー、しかし、ホントに怖かったー」

 

      まだドキドキして落ち着かないよと、胸を押さえて大げさに話すムウに、隣りのマリューが

     くすくすと笑う。

 

     「天下のエンデュミオンの鷹も形無しね」

     「だからイヤだって言ったのに。あいつら、無理矢理乗せるんだもんなぁ」

 

      格好悪いったらありゃしない。

      そう言って、三たび息を吐くムウ。マリューは相変わらずくすくすと笑っている。

 

     「でも、わたしも意外だったな。ムウがあんなに恐がるなんて」

 

      怖いもの無しかと思ってた、と言うのに、ムウは少しおどけた様子で応える。

 

     「さすがの俺様にも苦手なもののひとつやふたつはありますって」

     「―――ポークビーンズとか?」

 

      すかさず切り返したマリューの言葉に、ムウが「うわぁあぁっ」と思いっきり嫌な表情をす

     る。

 

     「それを言うなってばー!」

 

      本気で嫌がってるのが可笑しくてたまらないのだけど、このままにして拗ねたりしたら後が

     面倒なので、「ごめん」と笑いながらも謝っておく。

      普段は好き嫌い無く何でも美味しそうに食べるムウが、これだけはと敬遠するのがポークビ

     ーンズだった。

      なんでも、その昔、とある作戦で基地に一ヶ月以上も篭城する羽目になった際、来る日も来

     る日も豆料理を食べさせられたことがあるのだそうだ。

      とにかく朝昼晩、豆、豆、豆につぐ豆料理のオンパレードで、もう見るのも嫌というほど豆

     を味わったのだそーだ。しかもそこそこの味ならともかく、調理人が下手っぴいでとてつもな

     く不味かったのだそーで。

 

     『俺はもう、あん時に一生分の豆は食い尽くしたと思うな』

 

      だから、もう食べたくないとムウは言うのである。

      いや別にまったく食べられないと言うわけでもないし、戦時中や作戦行動中とかは贅沢や我

     侭も言っていられないので出されれば食べもするが、平時の家庭においては差し迫った必要も

     ないので見たくもないと言うのだ。

      何と言う屁理屈だと思わないでもなかったが、あまりに真剣に力説するものだから仕方が無

     いかと諦めて、以来、フラガ家の食卓に豆料理が上る事はなくなっている。

 

     「ポークビーンズに絶叫マシーンね。ホント、意外なものが苦手なんだから」

     「ヤなものはヤなんだから、しょーがねぇだろ?」

 

      開き直った口調で偉そうに言ったあと、「それに、さ」と付け加える。

 

     「これくらい“可愛い”とこがあった方が嫌みったらしくなくて良いだろう?」

 

       あんまり完璧なのもどうかと思うし…等と言う事自体が嫌味ではないのかと思い、少しばか

     り呆れてしまったのだが、下手に突っ込むと面倒臭いことになると考えたマリューは苦笑する

     に留めた。

 

     「でも、絶叫マシーンがダメとなると、あんまり楽しめるものがないじゃない?」

 

       ここはどちらかというと、スリルとスピードが売り物の遊園地だったりするので、あとはお

     子様向けの遊具となってしまう。

 

     「せっかく遊びに来たのに残念よね」

     「…で、そういうマリューさんはどうなの?」

     「え? わたし?」

 

       突然、話の矛先を向けられて、マリューが少し戸惑う。

 

     「こーゆーの好きだって言ってたから話にのったのにな」

 

      今回の話を持ってきたのはムウだった。

      上司であるカガリから今日のことを聞いたムウは、ちょうどふたりとも非番の日ではあるし、

     是非参加したいと申し入れて、ちゃっかり招待状を手に入れてきたのだ。

      そして、その招待状を奥さんに見せて、熱心に誘ったわけで。

      …というのも、先月のマリューの誕生日の際、なんとも間の悪いことにプラントの代表をも

     含めた一大サミットの日程が重なってしまい、特別機動部隊であるアークエンジェルは要人の

     護衛や会場の警備等の任務に着くこととなり、とてもパーティどころの騒ぎではなくなってし

     まったのだ。一応、ケーキ等食べて、ささやかにお祝いしたものの、『結婚して初めて迎える奥

     さんの誕生日はしっかり派手に祝いたい』と張り切っていた旦那様は酷くがっかりして、リベ

     ンジの機会を狙っていたのである。

      それからあれこれ計画を練ってきたのだが、神経をすり減らしつつ奔走したおかげでなんと

     か無事に終わったサミットの後、マリューが体調を崩したりしたこともあって、ずっと延び延

     びになっていたのである。

      そんなところへ今回の話が舞い込んできて、ムウはこれ幸いと話に飛びついたのだった。

     半分はカガリたちの御守りという仕事のようなものだが、遊園地で一日遊んで、その後はど

     こかで宿をとってのんびり過ごすのも悪くない。日程的にも、遅ればせながらのマリューの誕

     生日と、少し早目の自分の誕生日を同時に祝うという事でちょうど良い。

     それに、

 

     「マリュー、いつか言ってたじゃん。キャーキャー騒ぎながらジェットコースターに乗るのは

     ストレス解消にもなって楽しいんだって」

 

      何かの拍子にそんな事を話した事があって、そんな些細なことまでよく憶えていたムウは、

     絶対に楽しんで貰える筈と、なかなかの名案に心の中でガッツポーズなんぞしていたのだ。

      ところが今日のマリューときたら、「わたしはここで見てるから」と、どんなアトラクション

     にも乗ろうとしない。ムウとしてはすっかり当てが外れた格好である。

      いや、確かに、いざ蓋を開けてみれば、カガリだけでなく他にもお邪魔虫たちは増えていて、

     少々苦々しく思ったムウではあるが、まさかマリューはそんな風には思ったりしないだろう。

 

     「それともキライだった?」

 

     他に理由が思い当たらず、そう訊いてみると、マリューは残念そうな表情のムウに対して

     「ううん」と首を振ってみせる。

 

     「ホントは大好きよ」

     「じゃ、なんで?」

     「今日はちょっと、ね」

 

      そう言って、軽く首を傾げて微笑むマリューの表情がドキリとするほど綺麗で、一瞬、ムウ

     は見惚れてしまう。

 

      彼女の笑顔なんて見慣れているはずなのに。

      何故、今日に限って、こんなにドキドキしちまうのだろう?

 

      普段と服装の雰囲気が違うから?

      いつもは軍服の方が多いし、場所だって戦艦とか、軍事施設の中ばかりだし―――

 

      そう考えてから、いんやとムウは首を横に振る。

 

      軍属だからといって、四六時中、軍にいるという訳ではない。

     半年ほど前に結婚式を挙げて名実共に晴れて夫婦となり、一緒に暮らしている――もっとも、

     結婚する前からずっと一緒に暮らしてはいたけれど――現在、ちゃんとプライベートな時間も

     充分に共有している。色んな場面のマリューを見てきた。見慣れないとかそんなんじゃない。

 

      だったら、何故―――?

 

      思わず考え込んで黙ってしまったムウの態度を誤解してしまったのか、マリューは少し慌て

     た様子で弁明する。

 

     「そんな顔しないで。ちゃんと楽しんでるから」

 

      そして「そうだわ」と夫の腕を取った。

 

     「あれに一緒に乗りましょうか?」

 

      マリューが指差した先には、大きな観覧車があった。

      愛しい妻の提案に夫が否やという筈もない。そうしてふたりは小さなゴンドラに乗り込み、

     向かい合って座って、しばしの空中散歩を愉しむことにした。

 

     「所要時間は約20分かぁ」

 

      案外あっけないんだなと感想を漏らすムウの声を聞きながら、マリューは身体を少し捻って、

     ゴンドラが高くなる毎に開けていく外の景色を眺める。

 

     「この辺も随分と復興してきたわねぇ」

 

      マリューの言葉に、ムウもゴンドラをあまり揺らさないように慎重に席を離れ、マリューの

     隣で身を屈めると、窓枠に手をついて身体を支えながら外を眺めた。

 

      連合軍の理不尽な暴力によって蹂躙され、停戦当時は無残に荒れ果てた姿を晒していたオー

     ブも、人々の弛まぬ努力と熱い復興の意欲に支えられて、停戦条約締結から1年以上を経た現

     在、かつてのとはいかないまでも繁栄を取り戻しつつあった。今回の遊園地のオープンも、そ

     んな復興の象徴と言えるかもしれない。

 

     「…あの時は正直言って、こんなに早く立ち直れるなんて思えなかったけど」

     「それだけみんな頑張ってるってことだろ」

 

      見上げてくる琥珀の瞳を、空色の瞳が受け止めて笑みを返す。

 

     「特にお嬢ちゃんが張り切って、率先して頑張ってるからなぁ。みんな釣られちまうんだよ、

     きっと」

     「確かにそうよね」

 

      ムウの言葉に、いつでもバイタリティに溢れ、120%の元気と行動力で忙しく駆けずり回

     っている、現オーブ代表であるカガリの姿を思い出し、マリューは笑みを浮かべた。

      政治家としてはまだまだ未熟で、あの真っ直ぐ過ぎるほどの気性は指導者としてはどうかと

     危惧した事もあったが、「復興」と「再生」の時代である現在、彼女のひたむきさと前向きな行

     動力は丁度良い推進剤となっているようだ。未熟な部分は周りの大人たち――マリューやムウ

     も含めて――がフォローしていけば大丈夫だろう。

 

     「オーブだけじゃなく、世界が釣られているようなところもあるものね」

     「まぁな。オーブが技術提供してるおかげで落ち着いてきてる国も増えてきたし、1年前と比

     べると、世界は随分と変わってきたよなー」

      ムウの話に頷いて微笑を深くしたマリューだったが、続く彼の言葉には少しばかり苦い表情

     になった。

 

     「これで、あの頭のお固い連中が揃ってるとこがもうちょっとどうにかなれば、俺たちもラク

     なんだがなー」

 

      何処にでも狭量で己が利益に固執する者はいる。ブルーコスモスの思想もまだ死んではいな

     いし、世界が変わろうとしていることを認めない者も確かに存在するのだ。

     それこそが、マリューたちが未だに戦い続けている理由なのだけど。

 

      ムウの言葉に「ホントにね」と小さく溜息をつきながら頷いたマリューは、その表情に微か

     な憂いを浮かべながら「でも…」と続けた。

 

     「これからどんな風に変わっていくのかしらね、この世界は…」

 

      より良き方向に変わっていけば良いのだけど、と、少し心配そうに呟くのに返って来たのは

     力強い言葉。

 

     「そうなるように俺たちだって頑張ってるんでしょ?」

 

      だから大丈夫だって、と、ムウはいつもの調子で憂えるマリューを励ます。

      これまでずっとそうしてきたように。

      そして、これまでずっとそうであったように、マリューもまた、彼の励ましによって笑顔を

     取り戻す。

 

     「そうね。あなたの言う通りだわ」

 

      憂いを取り払って、マリューは再び窓の外へと視線を移した。

      次第に高さを増していったゴンドラはやがて最も高い場所に辿り着き、そこからゆっくりと

     下り始める。

      少しずつ視点の下がっていく景色を眺めながら、マリューは「ねぇ」と、同じように外を見

     ているムウに呼びかけた。

 

     「世界は日々変わっていくのよね」

 

      唐突な台詞に、ムウが何事?といった表情を浮かべてマリューへと視線を向けた。

      けれどマリューはそんな彼の問うような視線にも構わず、外を眺めたまま言葉を足す。

 

     「変化しないものなんてこの世にはないんだわ」

 

      まるで哲学者かなにかのような物言いに、ムウがますます困惑を深めていくのに対して、こ

     こでようやく夫を見上げたマリューは、「だから」と真っ直ぐな眼差しを返しながら、こう続け

     た。

 

     「わたしたちもそろそろ変わっていく頃合いだと思うの」

 

 

 

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