『………テ…ィ……………………』

 

誰かの呼ぶ声がする。

 

 『……ナ…………テ…ィ…………』

 

 遠くから響いてくる、どこか懐かしい声。

 

 『……ナ……ス…テ…ィ…………』

 

だぁれ、あたしを呼ぶのは……………?

 

 

 

     

 

 

 

真綿のような闇に抱き留められて、あたしは醒めない夢を見ている。

それはとても安らかな眠りだった。

闇は深く、濃いもので、上下の区別も左右の方向感覚さえもあやふやな状態だったけれど、不思議と不安などは感

じなかった。

それどころか、あたしを包む闇の繭は、まるで母親の胎内にいるかのような安らぎを与えてくれる。

優しい、優しい想いに包まれて、あたしはこの眠りを楽しんでさえいた。

それなのに、誰かがあたしを呼ぶの。

目覚めなさい、と、呼びかけるの。

お願い。

そんなに呼ばないで。

あたしをこのまま眠らせておいて。

だって、ここはとても気持ちが良いんですもの。

いつまでも、いつまでも、このままで……………

 

『だめだよ、ナスティ』

 

再び深い眠りの底へ沈もうとするあたしを引き止めるように、声が強くなる。

 

『ナスティ、目を覚まして』

『そろそろお目覚めの時間だよ、ナスティ』

 

嫌…よ、嫌。あたしはまだ眠っていたいの。

だからあたしを呼んだりしないで。放っておいてちょうだい。

 

だけど、複数の響きを持つその声は諦めることなく、あたしの名を呼び続ける。

その声が次第に強くなっていくと同時に、何処からか光が染み出してきて、水滴が一滴ごとに波紋を広げるように、

眠りを守る闇の繭を少しずつ侵していく。

ゆっくりと光はその触手を伸ばし、繭は次第に解きほぐされていく。

やがて真綿の闇が薄明へと変わり、すべてが光のもとに曝け出されてしまっても、あたしはまだ頑ななまでに眠り

に執着していた。

声を振り切って、もう一度深い眠りの園に意識を沈めようとするのだけど、声はしつこく呼びかけてきて、そんな

あたしの行動を引き止める。

 

『……ナスティ、頼むから起きてくれよ』

『ナスティ、起きて。起きてってば!』

『お願いだから、ナスティぃぃ〜〜〜』

 

だからそんなに呼ばないで、って言ってるでしょう。

 

苛立ちを憶えながら、あたしは寝返りをうった。声から少しでも遠ざかるために。

そして、いやいや、と首を振りながら両手で耳を塞ぎ、身体を丸めて毛布の中へ潜り込む。

もう、絶対に起きるものか、という意思を行動で示した、というわけ。

 

『あ〜らまぁ…』

 

途端に呆れ声が上がる。けれどそんなものに構うつもりはない。

とにかく、何があろうと、あたしは眠っていたいんだから!

 

『あちゃー、こりゃ徹底抗戦の構えだぜ。どーする?』

『どーする、ったって、目覚めてくれないことにはどーしようもないわな』

『ナスティって、意外と頑固だったんだね』

『頑固、というのは言い方が悪いと思うぞ。ナスティは意志の強い女性なのだ』

『はいはいはいはいはい、僕の言い方が悪うございました。確かにね、意志は強いほうだよね』

 

耳を塞いでいても相変わらず聞こえてくる彼らの会話を聞きながら、あたしは、普段は一人住まいのこの屋敷も、

今は五人の客を迎えていることをようやくに思い出した。

それはかつて暗黒に包まれた都市で共に死線をくぐった仲間。不思議な縁がめぐり逢わせた、あたしの素敵な弟た

ち。

戦いが終わって別れることになっても、長い戦いの間に培われた友情は断ち切りがたく、長い休みのたびに何かと

理由をつけては集まっていた彼らは、今年の夏もまた同じように柳生邸で過ごすために集まってきていたのだ。

昨夜は確か、久々の再会を祝して、夜を徹しての大宴会が繰り広げられたはず。みんな羽目を外して大騒ぎしたお

かげで、会場となったサンルームの惨状は目を覆うばかりだったわ。

そうよ、それで後片付けに手間取って、床に就くのが随分と遅れてしまったんだわ。あたしがこんなに眠いのも当

然じゃないの。

それなのに、あの子たちときたら……………

 

『しかし、なんだなぁ、こーして見てると、ナスティって可愛いよな』

『そーだよね。もっとも、少し前までは[可愛い]なんて言えた立場じゃなかったけどさ』

『違いない』

 

ホントに、好き勝手な事を言ってくれるじゃない。

それに良く考えてみたら、すぐ傍で話し声が聞こえるってことは、あの子たちったら乙女の寝室に無断で侵入して

いるって事じゃない。何てことなの!

あ、いけない。何だかムカムカしてきちゃった。

 

『…にしても、この寝汚さ、お前とタイ張れるんじゃないか?』

『ぬかせ』

『当麻と比較しちゃ、ナスティがあまりに可哀想だよ』

『お前まで何を言う。少なくとも俺はちゃんと昼飯時には起きてたぞ』

『それは君が単に食欲の権化だったっていうだけだろ』

『そうそう、第一、起きてたと言っても半分は夢の中だったくせに、調子こいてんじゃねぇぜ』

『お前らっ、今はそんなこと言ってる場合じゃないだろっ!  早くナスティを目覚めさせる方法を考えろよなっ』

『そーは言ってもなぁ』

『飯で釣ってみるとか―――』

『ばぁーか、当麻とは違うって言ったばかりだろう』

 

「あぁ、もうっ、うるさいっっ!」

途切れることのない戯言にイライラを募らせたあたしは、思わずこう叫んでいた。もちろん、毛布にくるまったま

まで。

「ごちゃごちゃ言ってないでゆっくり寝かせてよっ。睡眠不足は美容の天敵なんですからねっっ」

せっかく気持ち良く眠っていたのに、目が覚めちゃうじゃないの。

そうして毛布を被り直し、本格的に寝直しの体勢にはいったところへ、

「しかし、ナスティ」

ぼそりとした声が投げ掛けられる。

「確かに睡眠不足は美容の敵だが、あまり眠り過ぎると顔がむくんで、かえってブスになってしまうぞ」

ブス!

聞き捨てならないその一言。

およそ女性に対して使うにはまったく不適切なその一言は、眠りへの未練を一発で吹き飛ばすほどの絶大な効果を

持ってあたしの耳朶を打った。

「なぁ〜〜〜んですってっ!」

こんな不用意な一言を平然と口にするのは絶対に征士しかいない。そんな冷静な分析もそこそこに、怒りにまかせ

てガバッと飛び起きたあたしは、けれど「もう一遍言ってごらんなさいっ」と続くはずだった台詞を言い終えるこ

とはできなかった。

なぜならば、飛び起きたあたしの視界に飛び込んできたのは、まったく見も知らぬ青年たち――それも揃いも揃っ

て、かなりの美形の――だったからである。

「え……………」

そこにいるのは当然、いっちょ前に背伸びして生意気言いながらも、まだまだガキくささの抜け切らない少年たち

だと思っていたあたしは、思わず絶句してしまう。

そのうえに、だ。よくよく辺りを見回してみれば、あたしが目覚めたのは住み慣れた柳生邸の私室ではなくて、ど

こかのただっ広い――ホントに広いだけが取り柄というような場所だったのである。

そしてあたしが寝かされていたのも、わざわざフランスの実家から運び込んだ愛用のベッドではなくて、なにか固

い石のようなもので作られた祭壇のような場所だったのだ。

どおりで寝心地が悪いはずよね。ほら、すっかり身体が強張っちゃってて、なんだかアチコチ痛むような気がする

し………なぁ〜〜〜んて呑気なこと言ってる場合じゃないっ。

「こここは何処なの?  あなたたち、誰っ?」

一瞬の呆然自失状態から立ち直ったあたしは、気丈にも五人の青年たちを睨み付けながら、こういうシチュエーシ

ョンではおきまりの台詞を矢継ぎ早に発した。

「あたしにいったい何をしたのっっ?」

何が起こったのか説明してちょうだい。

途端に青年たちの顔に戸惑いが浮かぶ。まさかこんなに強い語調で問い詰められるとは思っていなかったんでしょ

うね、きっと。

そりゃあね、我ながら肝が据わってると思うわよ。目が覚めたらいきなり知らない場所にいて、知らない人間たち

に取り囲まれてるなんて、気の弱い女の子なら怯えて泣き喚くか、もう一度失神してるところだもの。

しかし、悲しいかな。あたしはそんじょそこらにいるようなか弱い女の子とはわけが違っていた。

思いがけずもこの世ならぬ戦いに巻き込まれ、数々の死線を潜り抜けるという、ちょっとやそっとじゃ真似できな

いような特異な経験を持っているんですもの(尤も、自慢できたことじゃないけど)。

おかげで、あたしは内心では思いっきりパニくっていながらも、しかし決して取り乱したりすることなく、自分で

も驚くほど冷静に、状況を判断しようと努めていたのだった。

とりあえずは自分が居る場所。まったく見当もつかないけど何かの神殿の中みたい。ううん、板張りの床や高い天

井、ズラリと並んだ柱の装飾、明かり取りの窓の手の込んだ彫刻から見て、神殿というよりは東洋的な神社や仏閣

の類いかも知れない。

焚き染められた香の薄い煙と、柱の一本、一本に灯された松明の灯火の揺れる様が、幻想的で厳粛な雰囲気を醸し

出している。

それに比べて、あたしを取り囲む男たちの格好の不釣り合いなこと。こーゆー場所にいるからには、白装束とか、

それなりに相応しい服装でいてもらいたい(こーゆーこと考えちゃうあたり、余裕があるわね、あたしも)ものだ

けど、揃いも揃って、とても現代的な出で立ちなんですもの。

あたしの右側に立っている三人のうち一番手前にいる、長く伸びた癖の強そうな黒い髪を後ろで束ねた、ちょっと

童顔の、どちらかといえば可愛いタイプの青年なんてトレーナーに洗いざらしのジーンズと薄汚れたスニーカーと

いうラフな格好だし、その隣に立つ、がっしりとた体格で人好きのする笑顔を浮かべた、いかにも頼り甲斐があり

そうな青年は中国服姿。

その二人より少し後ろで腕を組んで柱に寄りかかっている、ひょろりと背の高い青年は、よれよれのシャツにジー

ンズ、その上にこれまたよれよれのコートを羽織っていて、そこだけ伸ばしているボサボサの前髪が額に影を落と

している様子は、売れない小説家か、うだつの上がらない刑事って感じ。

そして、あたしの左側にいるふたり。明るい栗色の髪をきっちりとなでつけ、柔和そうな笑顔をした、いかにもい

いとこのお坊ちゃま然とした青年と、彼より頭ひとつ背が高く、淡い色彩の、きっとサラサラなのに違いないスト

レートヘアを後ろで編んで流していて、眼鏡をかけていても端正な顔立ちが隠し切れないほどの美貌の青年は、共

に仕立ての良いスーツ姿だったりする。

なんともまぁ、このほの暗く、荘厳でさえある室内のムードとミスマッチであることおびただしいじゃないの。

それにしても、いま気がついたけど、ここにいる男共って、五人が五人ともそれぞれタイプは違うけれど、みんな

「美形」と言って差し支えないほどのイイオトコ揃いだったりする。もしもこんな状況じゃなければ、きっと良い

目の保養になったに違いないわ。残念(自慢じゃないけど、あたしは自分がメンクイだという自覚はある)。

…と、まぁ、忙しく視線を動かしてひとりひとりを睨みつけつつ、一瞬のうちにこれだけのことを見て取ったあた

しは、続いて更なる状況の把握に努めようとした。

ところが、である。

努めて冷静な態度を保とうとしたあたしの健気な努力も、次の瞬間、あたしを見下ろす五人の若者のうち、一番若

く見える黒髪の青年がとった行動の前に脆くも崩れ去ってしまった。

彼はあたしの問い詰めるような厳しい視線を受け止めるなり、ガバッとあたしの胸に縋り付くや、こうのたもうた

のである。

「ひどいやっ、ナスティ。俺たちを忘れるなんて!」

その言動はようやく収まりかけていた内心のパニックを再燃させるに十分な威力を持っていた。先刻までの気丈な

態度もどこへやら。あたしは悲鳴をあげつつ、この不遜な輩を引き剥がそうともがく。

「忘れるも何も、あたしはあんたなんて知らないってばっ!」

こんなふうに抱きつかれる憶えなんてないんですからねっ。早く離れなさいってば!

すると途端に彼は捨てられた子犬のような表情を浮かべ、まるで不実な恋人を責めるかのように、あたしを見上げ

る大きな黒い瞳をうるうるに潤ませた。

「ナスティの薄情者ぉ〜〜〜。俺たち、ナスティのためにあんなに苦労したのにぃ〜〜〜〜〜」

だぁ〜〜〜。

かぁ〜〜〜。

らぁ〜〜〜。

そんな目で見つめられても知らないものは知らないのよっ。だいたいね、面食いのあたしがあんたみたいなイイオ

トコ、一度見たら絶対に忘れるはずがないじゃない。さっきも言ったとおり、あたしはちゃんと面食いだって自覚

があるんだからっっ。

…と、その時、

「こらこら、いい加減にしないか、リョウ」

困っているあたしを助けるかのように声がかかった。

「ナスティはまだ目覚めたばかりで、何も判っちゃいないんだからな」

声の主はひょろりと背の高い売れない小説家(と決め付けてる)の青年で、彼が組んでいた腕をほどいてこちらへ

歩み寄ってくるのと同時に、謎の中国人がその逞しい腕を伸ばし、

「ほら、いつまでも子供みたいにひっついてんじゃねぇぜ」

と、いまだあたしに縋り付いたままの青年の首根っこを掴むと、ひょいと軽く引き剥がしていった。

「まったく、君はいつだって先走りが過ぎるんだから」

「せっかちなところは10年だっても変わらないな、リョウ」

残るふたりも口々にたしなめるような言葉を発する。どうやらここにいる五人が五人ともお互いをよく知っていて、

あたしのことも知っているらしいけど………けど、そんなことより、いま、あなたたち何て言ったの?

「リョウ………ですって―――――?」

彼らの会話の中に思いがけない固有名詞を見つけて、あたしは本当に仔犬みたいに首根っこを押さえ付けられたま

まの青年の貌をまじまじと見つめた。

くせの強そうな黒い髪。零れ落ちそうなくらいに大きな黒い瞳。良いようにあしらわれてプゥと頬を膨らませた表

情が記憶の中の誰かと重なって、あたしは思わず「あっ」と声を上げた。

「…リョウ、って、もしかして、負けん気が強くてカッと頭に血が昇りやすく熱くなると後先のことなんてまった

く考えずに先走ったうえ自分の限界もわきまえず暴れまくった挙げ句いきなりぶっ倒れてみんなに迷惑かけまくっ

ていた、あの〈遼〉なの?」

あたしは頭に浮かんだ恐ろしい考えを息つくことさえ忘れて一気にまくしたてた。

認めたくは無いけど、たしかに面影は残っている。それに考えたくもないけど、記憶の中の遼が成長したら、きっ

とこんなふうに育っているに違いないとも思う。

でも。

でもでもでもでもでもでも、でもっ。

まさかっっ!

否定して欲しい、なんて思っていたあたしのかすかな望みは、だけどすぐに、その場にいるひとり――言わずと知

れた遼である――を除く残り四人の「ぴんぽーん!」という明るい台詞の合唱によって儚くも打ち砕かれてしまっ

た。

「う、嘘でしょ―――――」

今日、二度目の絶句。背中を冷たいものが駆け下りていく。

「………ナスティってばひどぉーい。何もそんな言い方しなくても―――――」

明るい四人とは対照的に遼が脱力して床に懐きつつボヤいている。だけとあたしはもうそんなことには構っていら

れなかった。

この黒髪の青年があの〈遼〉なのだとしたら、そこから導き出される結論はひとつ。

「―――それじゃ………」

もつれる舌を宥めすかして、なんとか言葉を綴ったあたしの声が少々うわずってしまうのは仕方のないことだろう。

「…この謎の中国人はちょっと単細胞でドジなところもあるけど、何事にもどっしりと構えたおおらかな性格で頼

り甲斐のある秀?」

「謎の中国人ってのはちょっといただけないけど、そーだぜ」

「ひょろりとして売れない作家みたいなのは呆れるほど寝起きが悪くて信じられないほど食べるくせにちっとも太

らない体質が乙女の嫉妬をかってた当麻?」

「稀代の大天才と言って欲しかったんだけどね、俺は…」

「…で、そっちの良いとこのボンボンは気が利いてて家の中のことも色々と手伝ってくれるけど毒舌が玉にキズの

伸?」

「相変わらず歯に物着せない言い方するんだね、ナスティ」

ひとりひとり指差して確認を求めるあたしに、皆それぞれ苦笑――だけどとても嬉しそうな――を浮かべて頷く。

その対応の仕方や、ちょっとした仕草のひとつひとつに確かに彼ららしいものを感じて、信じ難いことだけど、こ

れは確かな事実らしいなんて考えているもうひとりの自分の存在を認めながら、あたしは残るひとりへ震える指を

向けた。

「ねぇ、それじゃ、髪の色や瞳の色も違うけど、あの一見モデルか何かと見間違うほどキレーなお兄さんは、ひょ

っとしたら、真面目で一途な性格と言えば聞こえは良いけど本当は単に頑固で融通がきかないだけの、あの征士な

の?」

その青年が征士の一番の特徴であった羨ましいほど綺麗な金の髪を持っていないことが多少引っかかるけど、消去

法から言えば彼に間違いないはず。

果たして、そのキレーなお兄さんはニッコリと笑顔を浮かべると、

「いかにも」

と、短く応えて頷いて見せたのだった。

ガァ〜〜〜〜〜ン

その瞬間、派手な効果音付きの衝撃が改めてあたしに襲いかかってきた。

ここにいる五人。五人が五人とも、あたしが良く知っている――いや、知っていたと言うべきかしら――あの子た

ちだってことは、認めたくないけど、どうやら事実らしい。

だけど、あたしの記憶にあるのはまだまだ伸び盛りにあるやんちゃなガキ共の姿なわけで。

ちょうど背伸びしたい年頃なだけに気取って見せたりもするけど、所詮は少年の域から抜け出せず、時には勢い余

って限度ってものを知らずに羽目を外すこともある彼らを、物分かりの良い姉として、或いは厳しい保護者として、

温かい眼差しで見守り、諌める。

それがあたしの日常だった。

少なくとも昨日まではそうだったはず。

そうよ、昨日まではみんなまだ一六かそこらの少年だったはずよ。

なのに、なのになのになのに、なのにっ。

どーして、みんな、そんなに立派に育ちきっちゃってんのよぉ〜〜〜?

「いったい、ぜんたい、どーゆーことなのっ?  説明してちょうだいっっ」

パニくって喚き散らしながらも、次の瞬間、聡明なあたしの頭脳は恐ろしい可能性に気付いて、顔面蒼白になる。

みんなどう見たって、あれから10年は育っているみたいじゃないの。―――と、いうことは、だ。あたしも彼ら

と同じように歳を取っていると考えられるじゃないのっ。

つまり、何らかの理由で、あたしは眠ったまま10年の時を過ごしてしまったということになる。

冗談じゃないわっ。目が覚めたら29のオバンになってた、だなんて!

あたしの青春は何処へいったのっ?

思わず両手を頬へ添え、お肌の衰え具合を確認しながらわなわなと震えていたあたしへ、

「大丈夫だよ、ナスティ」

優しい声とともに肩にガウンが掛けられる。

「僕らはこんなになっちゃったけどね、ナスティは若く美しいままだから」

言いながらてきぱきと動いた伸は、あたしの背にクッションをあてがい、何処からかワインを注いだグラスを取り

出し、差し出す。

「これ飲んで少し落ち着いて」

にっこり笑顔とともに差し出されたグラスを受け取り、芳醇な香りを楽しんだ後、あたしはそれをひとくち口に含

んだ。

程よい酸味とまろやかな舌触り。うん、流石は伸。あたしの好みをバッチリ判っているじゃないの。嬉しくなった

あたしは思わず笑みを浮かべた。

確かに少しだけ気分が落ち着いてきたわ。

「―――じゃ、詳しいことは当麻が説明するから」

タイミングを計りつつ一歩前へ出てきた当麻へ、あたしは視線を移す。

「何から話せば良いかな………」

真打として登場してきた割には言葉に迷いながら口を開いた当麻の話に、あたしは神経を集中して耳を傾けた。

 

 

「―――つまり、あなたたちを救けるためにあたしは一度死んでしまったのね?」

長い長い話を冷静に聞き終えたあと、あたしは頭痛に悩まされながらも、なんとか現実を受け止めようと努めてい

た。

「つーか、正確には限りなく死に近い状態に陥った、というわけなんだけどね」

「そう、生きてた。でも、放っとけば間違いなく死んでしまう」

「君を救うためにはわたしたちの霊力を高め―――」

「ナスティに分け与えなくちゃならなかった」

けれどその時の彼らには、あたしを蘇らせるために必要なだけの十分な霊力がなかった。修行を積んで霊力を高め

るにしても長い時間が必要で、そんなことをしてたら間に合わない。彼らの霊力が高まる前に確実にあたしは弱っ

て、今度こそ本当に死んでしまうだろう。そこで彼らは妖邪界と人界の時間差を利用することを思いついたのだ。

人界の10年も妖邪界ではほんの一ヶ月余り。それくらいなら、迦遊羅たち妖邪界側の面々の霊力であたしの生命

を繋ぐことができる。

そうして彼らは人界へ戻ったのだ。眠るあたしを妖邪界へ残して。

「―――で、結局、あたしを目覚めさせるまでに随分と時間がかかってしまったわけね」

思わず深いため息があたしの口から漏れた。

あたしがこっちで一ヶ月もの惰眠を貪っている間に、人界では10年もの月日が流れ、生意気ざかりのお子様たち

は、何とも立派な王子様へと変容してしまったというわけだ。

何ともはや、みんな、揃いも揃って「イイオトコ」に育っちゃって、もう。

あたしは喜んでいいのか、哀しむべきなのか判らなくて困ってしまった。

だって、いきなり逆転した立場に置かれてしまったのだもの。今だってまだ信じたくないって気持ちの方が強い。

でも、本当に、これが現実なのだ。当麻の話だけなら信じなかったかもしれないけど、何より征士の言葉が、決し

て嘘を語らない光輪の言葉が、あたしにこれが疑う余地のない事実なのだと知らしめている。

あぁ、でも、でもでもでも、でもっ。

本当の本当の本当は、信じたくはないのよっ。こんな突拍子もない事なんてっっ!

―――と、その時。

 

 

 

「ナスティお姉ちゃんはもう目覚めちゃったの?」

冗談じゃないわっ、と喚き散らしている内面の葛藤を懸命に抑えつつ、なんとか現実を受け入れるべく虚しい努力

を続けていたあたしの耳に、何やら慌ただしい気配が届いたと同時に、新たな人物が現れた。

それは綺麗にひとつにまとめた長い髪を持つ、セーラー服姿も初々しい清楚な美少女と、五人の青年たちよりは幾

らか年若い男性の二人連れだった。

「天空殿。遅くなりました」

当麻に向かってそう挨拶しているところを見ると、どうやらセーラー服の美少女は迦遊羅らしい。けど、別れたと

きはまだ幼女の面影を残していた彼女も、今ではすっかり大人びた、グラビアモデルでもできるんじゃないかとい

うくらいに美しい少女に変身していた(これは後日、当麻が説明してくれたところによると、迦遊羅は彼らと連絡

を取り合うため、はたまた人界の事を学ぶためにしばしば人界を訪れており、現在は女子高に通っているのだそう

だ。それで彼女だけがみんなと成長の度合いがズレているのも納得できる)。

それではもうひとりの、寝台の端に両肘をついてあたしを見上げてくるこの男性は誰だろう。歳の頃は20歳くら

い。品の良いアイビールックに身を包んだ、気の良さそうな、如何にも大学生って感じの彼もまた、まだまだ成長

途中ながら「イイオトコ」の部類に入るのではなかろうか。

あたしは必死になって10年前(あたしにとっては一ヶ月前だが)の関係者を洗いざらい思い出していた。いま二

十歳ぐらいということは、当時10歳がそこらの年齢で、あの事件の関係者。

「やだなぁ、ナスティお姉ちゃん。僕のこと忘れちゃったの?」

そして、このあたしを「お姉ちゃん」と呼ぶ人物と言えば………

「純……? もしかして、純なの?」

「そうだよ。ナスティお姉ちゃん。嬉しいな、ちゃんと憶えててくれてて」

恐る恐る問い掛ければ、記憶とはかけ離れた野太い声が喜びの言葉を返してくる。

嘘ぉ〜〜〜〜〜っ

満面の笑みを浮かべて見上げてくる純の姿に、あたしは思わず声を上げていた。

遼たち五人が立派な青年になっていたのも驚きだったけれども、それはまだなんとか耐えられた。まだ許容範囲内

だったわ。

けれど小学生だった純が、本当に歳の離れた弟ぐらいにしか思っていなかった純が、今やこんな立派な大学生だな

んてっ! おまけにすっかり声変わりしちゃってて(それは当たり前のことだけど)、昔の面影なんて微塵も残っ

てはいない。

これはようやく立ち直りかけていたあたしに、重大なインパクトを与えた。

そのうえに、だ。彼はあたしに更に衝撃の事実を明らかにする。

「…けど、ナスティお姉ちゃん―――あ、もう『お姉ちゃん』って呼べないんだった。だって僕の方が先輩になっ

ちゃったんだもんね」

信じられないよね、と言ってにこやかに笑う純を尻目に、あたしは目の前が真っ暗になるのを感じていた。

嘘だ、嘘だと喚き続ける感情の裏で、聡明なあたしの頭脳は冷静に事実関係を計算している。

人界で10年が過ぎ去っているのなら、当時10歳だった純も現在は20歳の大学二回生。そして歳を取っていな

いあたしは、19歳の大学一回生のまんま。

認めたくはないが、確かにそうだ。純の言うとおり、彼はあたしの『先輩』になってしまうのだ。

これには流石のあたしも参ってしまった。

「嘘よ。冗談じゃないわっ」

気丈にも数々の衝撃に耐え抜いてきたあたしも、遂にブチ切れてしまった。

「こんなの嘘に決まってるわっっ!」

「ナスティっ!」

「落ち着いてよ、ナスティ!」

「お姉ちゃんっ」

「これはきっと夢よ。そうよ、あたしはただ悪い夢を見ているだけなんだわっ」

悪夢なら早く醒めてちょうだい。

周囲の取り成す声など耳も貸さず喚き散らしたあたしは、感情の勧めに従ってその意識を手放した。

 

これは悪い夢なのよ。

夢から醒めたらきっと、いつもの日常があたしを待っているはずよ。

あぁ、だから早く夢から醒めなくちゃ。

 

 

 

目が醒めたら、悪夢が終わっていますように。

深く暗い意識の底に沈んでいきながら、あたしはただそれだけを祈っていた―――――

 

 

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