□再びのプロローグ  悪夢

 

 

 

『ナスティ、ナスティ。腹減った。夕飯まだ?』

『ナスティ、この間の資料のことなんだけど―――』

『何か手伝うことはあるか?』

 

バタバタと騒々しく駆けて来る少年たち。

それは不思議な縁で結ばれた、あたしの可愛い弟たち。

 

『ごめん、ナスティ、ボタン取れちまった』

『わぁーっ、ナスティ、救急箱、早くっ!』

 

はいはいはいはいはい。判った。

全部まとめて面倒見てあげようじゃないの。

何と言ってもあたしはあなたたちの保護者なんですもの。

頼りになるお姉さん、なんですもの。

 

 

ところが、だ。

 

 

『違うよ。ナスティ』

 

小憎らしいガキ共は、見る見るうちに立派に育っていき、見目麗しき青年へと姿を変えていく。

 

『僕たちが君を守るんだよ』

 

まるで姫君に傅く騎士のように恭しく礼を取る彼らに囲まれながら、

 

『何の心配も要らないから』

 

極上の微笑みをむけられても、

 

『安心してすべてを』

 

あたしの気持ちは晴れない。

 

『わたしたちに委ねれば良い』

 

揃いも揃って「ちょー」と形容詞のつく美形に育った、頼もしき青年たちから差し伸べられる手。

けれど、あたしはその手を取ることができない。

だって―――

 

  『だって、今や君は僕たちの大事な妹<ひめぎみ>なんだからね』

 

  ―――だ、なんてっ。

冗談じゃないわ!

なんでなんでなんで!

あなたたちがあたしより年上になんなきゃならないのよっ。

あたしの方が「妹」ですってっっ。

そんなの嘘よっっっ。

嘘に決まってるわっっっっ。

あたしはただ、悪い夢を見ているだけなのよっっっっっ。

 

だから、

 

「夢なら早く醒めてちょうだいっっっっっっ!」

 

その叫びが届いたのか、あたしはハッとしてベッドから飛び起きた。

ゼエゼエ、ハァハァと胸をついて出て来る荒い息を鎮めながら、あたしは辺りを見回す。

そこは見も知らぬ神殿などではなく、馴染み親しんだあたしの部屋だった。

今、あたしが寝ていたベッドだって、固い石造りの祭壇などではなく、適度な固さのスプリングが心地良い、

愛用のフランス製のベッドだ。

一瞬、呆けてしまったあとで、あたしは大きく息をつき、そして笑い出す。

「なぁ〜〜〜〜〜んだ。やっぱり夢だったんじゃない」

焦って損しちゃったわ。

そうよね。よく考えたら、あんなバカなこと、現実であるわけないじゃない。

 

ひとしきり笑った後、あたしは大きくのびをした。昨夜、騒ぎ過ぎた余韻が身体に残っているようで、少しだ

るい。

あれしきの酒で参るなんて、あたしも歳取っちゃったのかしら。

―――なんて思っていると、コンコンと控えめなノックの音が響く。続いて聞こえてくる声。

「ナスティ、起きてる?」

  この声は伸だ。

  デリカシーというものを弁えている彼は、無断で乙女の部屋に踏み込むような真似はせず、ドア越しに声をかけ

てくる。

「あ、はぁーい、起きてるわ」

ごめんなさい、寝坊しちゃって。

「いいって。それより朝食の用意はもう出来てるから、支度が終わったら降りてきてよね」

それに「ありがとう」と返事を返したあたしは、さくさく支度を整えにかかる。

  そして手早く支度を整えて、リビングへと続く階段を軽やかに降りていったあたしの脚は、階段を全部降り切ら

ないうちに硬直して止まってしまった。

 

「あ、ナスティ、おはよ。よく眠れた?」

 

そこには悪夢の続きが待っていたのだ………

 

「気分はどうだい?」

「今日の朝食はナスティの好きなチーズトーストにふわふわのプレーンオムレツだよ」

 

  口々に挨拶を投げ掛けるのは、それぞれ見目麗しい青年たち。

  思い思いの場所で寛ぐ彼らの姿を見ながら、あたしは先刻までの清々しい気持ちが、荷物を纏めてトンズラこい

たことを感じていた。

 

 

『―――夢…じゃなかったんだわ………』

 

 

あたしは再び意識が現実を拒否して逃げ出しそうになるのを必死で持ちこたえつつ、目の前に広がる、悪夢と

しか言い様の無い光景を、ただただ見つめる。

 

 

  その日から、5人の美青年たちとあたしの奇妙な共同生活は始まったのだった。

 

 

 

  眠 り 姫 の 憂 鬱

 

 

その日の午後から、あたしは新しい環境に馴染むためのお勉強をうけることになった。

10年も経てば、世間の様子は随分と変わっている。そこいらへんをしっかりレクチャーして貰わないと、あた

しはこの世界でうまく立ち回ることができないと言う訳だ。

「もっとも、何も知らなくてもここで俺たちとだけ暮らすのなら、何も問題はないんだけどね」

なんてことを言うのは、先生役を引き受けた当麻だ。

「でも、ナスティの性格上、ずっと山奥に引っ込んでいられるわけないしな」

当麻の言うことは尤もだった。

ちなみに現在あたしたちが暮らしているのは、思い出のぎっしり詰まった、懐かしの小田原の山荘だったりす

る。

人通りの少ない(と言うか、まったく無いというか)静かな環境は、落ち着いてのんびり静養するのには持っ

てこいだが、ここでずぅっと暮らすとなると少々不便なのよね。

ショッピングにも何にも行けない生活なんて、冗談じゃないわ。

そんな訳で、あたしは当麻を先生として、現在の世界について知らなければならないのだ。

それがどんなに不本意な事であろうとも。

でもって、何故、当麻が先生役なのかというと、彼自身が作り出したプログラムに沿って教育が行なわれると

いうのもあるけれど、一番の理由は五人の中では当麻が一番暇だから、ということらしい。

かつては一五歳だった彼らも、今では立派な社会人なわけで、皆それぞれに職業というものを持っている。

いつもとっても美味しい朝食を用意してくれる伸は、母親の跡を継いで陶芸家になって、萩の海を護りつつ静

かに暮らすのが夢だとか言ってたのに、それが今や世界を又にかけて活躍する某大手貿易会社の若き重役で、社内

でもかなりの切れ者との評判らしい。

このままいけば次期社長も夢じゃないという伸はなかなかに多忙を極めていて、出来る限りの時間を割いて、

皆と―――と言うか、あたしと共に過ごそうとしているんだけど、そうも言ってられなくて、すんごく美人な秘書

さんが時々迎えに来るのに、渋々、それはそれは本当に残念そうに山荘を後にしていくのよ。

横浜の中華料理店の息子で、将来は武道の修行をしながら世界中を渡り歩くのだと言っていた秀は、何時の間

にやら、アジアを拠点に国際的な活躍を見せる華僑財閥の総帥になっていて、謎の中国人といった怪しさを大爆発

させている。おまけにとびっきり可愛い奥さん―――アイリーンさんというのだそうだ―――まで貰っていて、一

児の父だって言うじゃない。びっくりしてしまったわ。

なんでも、総帥の座に就く条件というのが、一族の用意した花嫁を迎えることだったそうで、それで仕方なく

結婚したんだって、本人は言ってたけど。

でもって、相変わらずの童顔で、可愛い感じが抜けないながらも、どこか精悍さを兼ね備えた顔つきの青年へ

と成長した遼の職業は、これまた驚きのロックシンガー!  若者にカリスマ的人気を誇る彼は、国内ばかりでなく

世界中から注目を浴びているアーティストなんですって。年間、50本ものコンサートをこなすって言うから、体

力不足で倒れてばかりいたのしか知らないあたしとしては、未だに信じられないというのが正直な感想なのよね。

そして征士。立派な剣道家として身を立てているのだろうとか考えてたんだけど、そのくせ髪を長く伸ばして

たりするから、キレーな外見を生かしてモデルでもやっているのかと思えば、彼はなんとお医者様なのだそうだ。

最初にそう聞いた時、あれっ?と思っちゃったけど、よくよく考えてみると堅実な征士らしい選択と言えるのかも

しれないわ。

ちなみに征士の髪の毛が黄金の光を失ってしまった理由は、なんとあたしだったのだ。彼はあたしを蘇らせる

ために、一番多くの霊力―――光輪の場合は光の力―――をあたしに分け与えたのだという。それこそ、髪の一筋

に宿る光までを。

征士の金色の髪をとても羨ましく思い、そしてとっても気に入っていたあたしとしては、あのキレイな金色の

光が失われてしまったことを凄く残念に思ってしまったのだけど、理由が理由なだけに、あたしには何も言う権利

はないのよね。ちょっと悔しいわ。

そして最後に、五人の中では一番暇そうにしている当麻。あたしの覚醒に合わせて長期のオフを取ったという

遼はともかくとして、毎日家でごろごろしていて、あたしの教育係を勤めているほかは何ら仕事しているようには

見えない。そのくせ、お金だけはたくさん稼いでるみたいなのよね。

何か悪いことにでも手を染めているんじゃないかしら………なんて心配したら、本人は明るく笑って、「この

天才的な頭脳を活用して世界の安定に努めている」んだなんて言ってたけど。

一応、他の四人から聞いた話を総合すると、或る時は秀家の財閥の経営コンサルタント、また或る時はパソコ

ンソフトの天才プログラマー、そしてまた或る時は遼の音楽活動の一切を統括する名プロデューサーだったりと、

幅広く且つ無節操な仕事をしているらしい。(このあたりを秀に言わせると「悪知恵だけで世界を手玉に取ってる

悪党」なんだそうだ)

兎にも角にも、何をやってんだか得体の知れない当麻が、五人の中では時間を一番自由にできるってことのよ

うだ。

そんな訳で、当麻があたしの専任講師を引き受けているわけだけど、当麻のことだから、さぞやハイペースの

厳しい講義が待っているのだろうと思っていたら、実際のところは全然違っていた。

あたしは毎日、当麻大先生の講義をありがたく拝聴しているわけではなく、お勉強は一種の催眠療法を利用し

て行われたのだ。

 

 

 

「じゃ、ナスティ、目を瞑って。ゆっくり呼吸しながら数を数えて………」

当麻の言う通りに素直に従えば、ゆるゆると睡魔が忍び寄り、あたしの意識は眠りへと落ちていく。

眠っている間に、ここ10年間の出来事を少しずつ脳に記憶させるんだとか何とか言ってたわ。

それをこの夏の終わる頃まで、毎日繰り返すんですって。

そんなまだるっこしい事なんてせずに、一度に終わらせてくれれば良いのに。

そう提案したら、「ダメ」の一言で却下されてしまった。

一度にたくさんの記憶を移してしまったら、記憶が混乱して、受け止める側の精神が不安定になってしまうの

だそうだ。つまりは脳がオーバーフローしてしまうって事らしい。

せっかく生き返ったのに、廃人になってしまうってのはいただけないわ。

そこで仕方なく毎日の「お勉強」を受けることにしたんだけど、全部終わるまで外出禁止っていうのは辛いか

も。

「だって仕方ないでしょ。これもナスティのためを思ってのことなんだぜ」

必然的に当麻のアシスタントを務めることとなった遼が、思わず膨れっ面になってしまったあたしを慰めてく

れる。

外の世界は結構変化が激しいらしく、ある程度のお勉強が終わらなければ、刺激が強すぎるのだそうだ。

それは判らないでもないけど、でもまだ納得がいかないあたしに対して、

「お勉強が全部終わったら、俺が楽しいトコロいっぱい案内してあげるからさ」

ナスティの好きなもの全部買ってあげるよ、なんて、遼ってば嬉しいこと言ってくれるじゃない。

だけど当麻の反応はまた違っていた。

「ばぁか、お前が女連れで街をウロウロしたら芸能レポーターの格好の餌食になっちまうだろ」

お前が面倒事に巻き込まれるのは一向に構わんが、ナスティまで巻き添えにすることは断じて許さんと、それ

はそれは厳しい表情で言ったものだ。

それを聞きながら、あたしは「そうなのよね」と遼がいまや人気絶頂のアイドル以上の存在であることを改め

て思い起こす。

このあいだ最新のツアーのライブビデオっていうものを見せてもらったんだけど、ステージ上をパワフルに走

り回る遼の姿は物凄く格好良くって、確かに人気が出るのも頷けるってもんだったわ。歌も上手かったし、結構あ

たしのツボにはまってて、これがあの遼じゃなかったら、間違いなくあたしもミーハーしてたに違いないわ。

だけど、あたしの心は複雑なの。

昔とのギャップが大きすぎて、戸惑ってばかりいる。

それは遼に対してだけじゃない。他の4人にしたってそう。

ここでにこやかに談笑している時の彼らの雰囲気は、多少、育ちきってしまった外見を除けば、あたしの記憶

の中と同じ雰囲気を保っている。(或いはそれは、彼らが極力努めてそうしているのかもしれないけど)

だけど、話の合間に時折覗かせる大人の表情が、あたしに時の流れというものを思い知らせるのだ。

それは、携帯電話で呼び出されて一企業家の姿に戻った時であったり、止む無くここで仕事の打ち合わせを行

なった時や、或いは他愛の無い噂話の最中であったりする。

そこにはあたしがまったく知らない青年がいて、まったく知らない世界の話をしている。

そんな時、あたしは堪らなく寂しくなる。

あたしひとりを置いて、さっさと「大人」になってしまった少年たち。

今やあたしの「保護者」を任じている、かつての「弟」たち。

あたしの知らない10年間を過ごしてきた彼ら。

あたしひとりだけが「過去」に取り残されてしまっているような、そんな感じ。

すっかり逆転してしまった立場を思い知らされるたび、あたしの心の中にはもやもやとしたものが凝っていく。

 

 

 

そしてそれが爆発してしまうまでには、たいした時間はかからなかったのだ。

 

 

 

          To Be Continued Next Stage.⇒

          Back To TOP ⇒