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モノポリー(Monopoly)とは?

モノポリーの歴史

モノポリーは、1930年代に大恐慌時代のアメリカ合衆国でチャールズ・B・ダロウによって発明されました。
モノポリーの原型になったゲームはそれ以前にも存在していたようですが、チャールズ・B・ダロウによって初めて商品としてこの世に誕生したのです。
発明された当初、チャールズ・B・ダロウの手によって
手作りで制作されていたのですが、単純ながら奥が深いモノポリーの魅力に多くの人がとりつかれて、次第に生産が追いつかなくなりました。
その後、1935年にチャールズ・B・ダロウはアメリカのゲームメーカーであるパーカー・ブラザーズにモノポリーの版権を売却しました。
以降、全世界においてモノポリーは驚異的な売上を上げ、2013年現在でおよそ6億人の人がモノポリーをプレイしたといわれています。

モノポリーのルール

詳しくは日本モノポリー協会 モノポリーのルールをご覧ください。
各地のモノポリークラブではこのルールに基づいてプレイされております。
各地のモノポリーサークルへご参加される際は、
必ず御覧いただきますようにお願いします。
なお、2018年現在、モノポリー日本選手権で適用されているルールでは通常のルールと異なる点が幾つかあります。
1)スタート順の決定後、権利書をシャッフルして各プレイヤーに2枚配布し、各プレイヤーはそれぞれの権利書を定価で購入する。ただし、
A・シャッフルしてできた2枚セットの中に同じカラーグループの権利書があったときは、山に戻して再度シャッフルして再度2枚セットを作る。
B・権利書の選択は一番最後にスタートするプレイヤーから始めてスタート順の逆の順序で権利書を選択する。スタート順と逆の順序になる。
2)ゲームでは最初にプレイヤーの誰かがGOマスを通過するまで一切の交渉・家・ホテルの建設は行えない。(GOマスにちょうど止まっていてもダメ)
3)制限時間は75分。
4)大会システムがモノポリー勝ちを優先しているため、モノポリー勝ちをしていると資産で勝っている人より有利なポイントが与えられる。
2018年現在運用されている大会ルールの詳細につきましては、
日本モノポリー協会大会案内のルールをご参照ください。

日本におけるモノポリーについて

日本では、昭和40年代にモノポリーが日本で発売されるようになりました。
以来、現在にいたるまでモノポリーは日本において細々と発売されてきました。
その間、日本における販売権は各会社を渡り歩き、2018年現在ハズブロが日本におけるモノポリーの販売権を所有しております。
周知のように、日本ではまだメジャーなボードゲームと言われる状態ではありませんが、モノポリーの競技レベルは世界でもトップクラスであり、2018年現在モノポリー世界選手権において2名の世界チャンピオンを輩出しています。
また、日本におけるモノポリーの統括団体として日本モノポリー協会があり、日本モノポリー協会の主催によるモノポリー日本選手権が毎年開催されております。
モノポリー日本選手権の優勝者は、約4年に一度開催されるモノポリー世界選手権の日本代表の選考会に出場でき、選考会で優勝いたしますと日本代表としてモノポリー世界選手権に派遣されます。

日本におけるモノポリーの現状


現時点では、モノポリーの活動は関東地方での活動が最も盛んです。
以前は、全国各地でもモノポリーのサークルが活動していましたが、近年アクティブに活動しているサークルは大幅に減少しているのが現状です。
特に、近畿を含む西日本(近畿・中国・四国・九州地方)では、最近一年の活動を行っていない、あるいは活動を休止・終了したところが多いのが現状です。
また、日本モノポリー協会が主催する「モノポリーナイト」「モノポリーライト」が関東と関西で不定期で開催されていて、モノポリープレイヤーの憩いの場およびモノポリー普及のための場となっております。
かつては、サークル主催大会でも、優勝者にモノポリー日本選手権全国大会へのシード権が与えられた大会がいくつかありましたが、2013年の時点で日本モノポリー協会主催大会のみが、モノポリー日本選手権全国大会への出場権を獲得できる唯一の大会となりました。
ここ数年、日本でも各地域版およびキャラクターバージョンのモノポリーが発売されるようになりました。各地域版では、2018年6月現在「秋田県版」「大阪版」「横浜版」「大河ドラマ50のご当地版」「会津版」「大阪環状線版」が発売されています。