高山寺の地蔵菩薩立像、他



 真言宗別格本山の高山寺(井原市高屋町)は市の西南にある経ヶ丸山の中腹にある。開山は天平勝宝年間(749〜756)と伝えられている古刹である。 当時は七堂伽藍を備えた大寺であったが、天保8年(1837)の火災で仁王門など一部を残し、殆どの堂宇は焼失したとされている。現在は、その後改築された仁王門、本堂、霊宝館、茶寮などが建っている(参考:市川俊介著「岡山の神社仏閣)
 地蔵菩薩立像、他3躯は仁王門をくぐり右手の霊宝館に安置されている。


仁王門(写真:上原氏提供)

本堂(写真:富永氏提供)


 地蔵菩薩立像 像高150.9pの一木造。左手に宝珠を持ち、右手で錫杖を持つ。腹部から裳裾にかけて麻の葉、万字つなぎ、籠目、網目などの戴金(きりがね)文様の衣を着けて蓮華座に直立している。
 首から肩、胸にかけての量感は一見弘仁貞観仏を思わせるが、目は玉眼であり(少なくとも外見上は)また、当寺住職の説明では昭和29年(1954)の解体修理の際、体内より宝永4年(1707)の近畿、中国、四国を襲った大地震の状況の銘文、並びに宝永山噴火の記録が発見されたとのこと。 これらの事から本像の造像時期は江戸中期と思われる。
 尚、本像は国重文に指定されているが、江戸期の仏像では稀である、細密な戴金文様の評価?


衣の戴金文様
(クリック拡大)

胸部の量感
(クリック拡大)



 不動明王坐像 像高82.7pの寄木造。頭頂に莎髻(しゃけい)を戴くが弁髪は無く、目は正眼で額に2本の皺を刻み、上歯で下唇を噛み左右に下向きの牙を出しているが全体的に穏やかな忿怒の表情である。 左肩から右脇に条帛(じょうはく)を着け、左右の腕に臂釧(ひせん)腕釧(わんせん)を付けている。
左手に羂索(欠失)、右手に宝剣を持ち、胸飾、瓔珞で身を飾り結跏趺坐で岩座に座る。
 当寺住職の説明によれば、昭和29年(1954)の解体修理の際、嘉吉2年(1442)の墨書銘が発見されたとの事で室町初期の造像である。
         

忿怒の表情と胸飾、瓔珞
(クリック拡大)

十一面観音立像 像高120pの一木造。頭上に十一の小面を戴き(本面と合わせ十二面)、煌びやかな宝冠を付けている。左手に蓮華を挿した宝瓶を持ち、右手は垂下して錫杖を持ち、胸飾から下がる瓔珞は膝前まで垂らしている。天衣は膝前で湾曲させ両体側に垂らして、蓮華座に立つ。
 浅い衣文の彫りは藤原時代の造像を示す。

※頭上の小面は、十面(本面と合わせて十一面)のものと十一面(本面と合わすと十二面)のものがある

小面と宝冠
(クリック拡大)



宝冠阿弥陀如来坐像  像高56pの寄木造(?)。頭上に煌びやかな宝冠を戴き、納衣を通肩に着けて、上品上生の印を結び、蓮華座に結跏趺坐している。 本像のように阿弥陀如来で宝冠を戴いているのは、かなり珍しいものである。如来像は悟りを開いた釈迦の姿が基本形で、大日如来を除き体には一枚の衣(納衣)を着けるだけで、持物も持たない(薬師如来の持つ薬壷を除き)のが普通である。 このように宝冠を戴く如来像は密教(金剛界大日如来・胎蔵界大日如来)の影響を受けたものである。(釈迦如来にも宝冠を戴いた像がある)

煌びやかな宝冠
(クリック拡大)

尚、当寺には、木彫界の最高峰として名高い平櫛田中作の弘法大師坐像(原型及び本体)が安置されている、また、室町時代の梵鐘も保管されている。その他本尊の愛染明王坐像を含め多くの貴重な仏像が安置されている。


次のペ−ジへ

トップペ−ジへ戻る