龍蔵寺の仏たち


吉敷山峡にある古刹龍蔵寺(山口市吉敷)は、役小角(えんのおづぬ)が当地で修行し、文武2年(698)紀州熊野権現を勧請したと伝えられている。その後天平13年(741)僧行基が訪れ千手観音を彫り、寺を建てて龍蔵寺と名付けたと云われています。
石造仏・物や句碑が両側に置かれた参道の石段を上がって、楼門、受付を過ぎると正面に観音堂(馬頭観音が安置されている)、左手に国の天念記念物である大銀杏が聳え立ち、宝物庫や牡丹園がある。右手には「八百屋お七」の供養塔、そして清瀑「鼓の滝」から流れる清流を挟んで護摩堂、大聖青不動明王像、本坊寺務所などがある。
宝物庫には大日如来坐像(藤原時代)、毘沙門天立像(鎌倉時代)、不動明王立像(鎌倉時代)、その他貴重な文化財が安置保管されている。




大日如来坐像

密教の世界で大日如来は、宇宙の森羅万象を統括し、如来、菩薩、明王、天など、全ての仏の最高位の仏とされています。大日如来は金剛界と胎蔵界という二つの世界を治めていて、それぞれ金剛界大日如来、胎蔵界大日如来と呼ばれています。また、その姿は宝髻(ほうけい)を結い、宝冠を戴き、いろいろな装飾品を身に付けて、他の如来とは大きく異なっている。

龍蔵寺の大日如来は、藤原時代の作で、像高98.8pの一木造です。
唐草透彫りの豪華な宝冠を戴き、
臂釧(ひせん)腕釧(わんせん)瓔珞(ようらく)、で身を飾り、条帛(じょうはく)を着けて、蓮華座に結跏趺坐(けっかふざ)している。口元に多少古風を漂わすが、条帛、(くん)の流麗な衣文とその浅い彫りは藤原時代の様相である。
凡そ850年余も経っているとは思えないほど保存状態が良い仏像です。










             毘沙門天立像(左)、 不動明王立像(右)

毘沙門天は四天王の一人で多聞天のこと、単独で祀られる場合に毘沙門天と呼ばれていて、四天王の中心的な存在です。
龍蔵寺の毘沙門天立像は鎌倉時代の作で、像高106pの寄木造です。左手掌に宝塔を戴き、右手には
(げき)を持つ。大袖の端を結わい、肩甲、胸甲、腹甲、腰甲を着け、腹部には獅噛(しかみ)を付けている。右足で邪鬼の頭部を踏み、左足で邪鬼の腰を踏み、仏法守護の気迫を漂わせている。


不動明王はヒンドゥ−教のシヴァ神が仏教に取り入れられたもので、大日如来の化身とされている。燃え盛る火炎を背負い厳しい表情で全ての悪を焼き尽くし仏教を信仰する衆生を擁護している。日本では「お不動さん」の愛称で人々に信仰されている。
龍蔵寺の不動明王立像は鎌倉時代の作で、像高103pの寄木造。弁髪を左肩に垂らし、頭上に頂蓮を戴き、2筋の波形皺を額に刻み、左右の目は天と地を同時に見るという天地眼である。下牙で右上唇を噛み、上牙で左下唇を噛む厳しい忿怒の表情である。右手に剣を持ち、左手に検索を持って、胸飾、瓔珞を身に付け岩座に立ってい


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