雲樹寺の釈迦如来坐像(拈華の釈迦)
雲樹寺(安来市清井町)
南北朝の姿を今に残す臨済宗の古刹雲樹寺は伯太川(安来市伯太町)を遡ったところにある。
元亨2年(1322)孤峰覚明三光国師(後醍醐天皇の師)の創建。松並木の参道にある唐様の四脚門(国重文)を過ぎ、境内に入ると大きな山門がある。説明板によれば、元禄8年(1695)の再建で、掲げられている勅額は後醍醐天皇の御親筆とのこと、仏殿、方丈、開山堂などがある。尚、同寺には、四脚門、日本最古の朝鮮鐘など多くの文化財が保有されている。
拈華釈迦坐像
仏殿に祀られている釈迦如来坐像は室町時代以降の作と思われますが、「拈華の釈迦」と呼ばれ、あまり見ることの出来ない珍しい釈迦如来で、その姿は左手に蕾の蓮華を持った珍しい釈迦像です。「拈華の釈迦」とは、「拈華微笑」という故事に基ずきその様子を表したものとされています。
「拈華微笑」・・・釈迦が霊鷲山で弟子たちに仏法を説いているとき黙って金色の蓮の花を捻って見せると摩訶迦葉(大迦葉)だけがその意味を悟って微笑したので釈迦は彼だけに仏法の真理を授けたと言う故事。(四字熟語デ−タバンクより)
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安芸国分寺の薬師如来坐像
聖武天皇の勅令で天平13年(741)に各国毎に建立された国分寺の一つで、創建当時は七堂伽藍35を備えた大道場であった。その後、王朝衰微、2度の兵火で数々の秘録を遺し、芸藩主浅野家の祈祷所として代官の直支配下あった。(設置の看板を参考にしました)
現在は真言宗御室派安芸国分寺(東広島市西条町)として、県重文の木造薬師如来坐像他、市重要文化財の仁王門、護摩堂、薬師如来坐像(国分寺の本尊)などがある。
木造薬師如来坐像
藤原時代の作で、像高127.6pの寄木造。右手に施無畏印を結び、左手は薬壺を持つ。衲衣を通肩に着け、蓮華座に結跏趺坐している。体躯に比べ顔が大きく、大粒の螺髪を切り込みにしている。目は彫眼で、口元を引き締めた厳しい表情は貞観仏を思わせる。
本像は度重なる火災による損傷が激しかったので、平成18年に滋賀県大津市の楽浪文化財修理所に保存修理が依頼され、このたび修理完成公開の運びとなったもの。報告書によれば、従来一木造とされていたものが、寄木造と判明した。また、明和5年(1768)に光背、台座を新造したことが判明した。
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