古保利薬師の仏たち



蒼とした木々から木漏れ日の射す参道を行き、時代の経過を感じさせる石段を上がると、古保利薬師の仁王門がある。
仁王門をくぐると正面に収蔵庫(元、薬師堂のあった場所で、現在薬師堂は無い)、右手におさすり菩薩堂、講堂、阿弥陀堂、左手には資料館がある。

古保利薬師の前身福光寺(現・廃寺)の創建はよくわからないが、境内の説明板によれば「寡ってこの地の郡衛の郡司を努めていた豪族
(おおし)氏の菩提寺として9世紀に建立された」とある。最盛期には49もの塔頭を有する当地の有力大寺院で当地の文化の中心であった思われます。収蔵庫に保存・安置されている仏像群の何躯かは、当時のものと思われます。
 
                                                             

薬師如来坐像

像高122pの一木造で貞観時代の作。螺髪は全て欠失しているが、それ故に高く盛り上がった肉髻がより際立って見える。鋭い目つき、ぼってりとした厚い唇など厳しい表情である。強く張った肩、分厚い胸、アンバランスなほど太い右手の指(後補と云われているが)、太い腰と盛り上がった腿など圧倒的な量感です。偏袒右肩に衲衣を着け、右手に施無畏印を結び、左手掌に薬壺を乗せ結跏趺坐(吉祥坐)している。









日光菩薩立像(右)  月光菩薩立像(左)

【日光菩薩立像】像高143pの一木造で貞観時代の作。ふくよかで丸顔のこの像は、宝髻を高く結い上げ、天冠台を付けて、正面に化仏を戴く。垂髪を両肩に垂らして条帛を着け、腰を僅かに左に振って立っている。尚、裙の前面に刻まれた(せん)転文(てんもん)(渦巻き状の衣文)と裙下部の(※)翻波式衣文はこの時代の造像を顕著に表している。

【月光菩薩立像】像高134pで日光菩薩より僅かに低いが同じ貞観時代の作。宝髻を結い上げているが頂部は破損している、垂髪を両肩に長く垂らし、天衣を肩から前に湾曲させて立っている。薬師如来の脇侍として、日光菩薩と一具のものとして造られたものと思われるが、
臂釧(ひせん)の彫り、条帛(じょうはく)(くん)などの衣文の処理に相違があり、各々別の仏師によって造られたものか。

(※)翻波式衣文・・・衣の皺を彫るとき、大きく丸い波と小さい角の波を交互に表す衣文。

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千手観音立像
像高178pの一木造で貞観時代の作。両肩から脇手の一部が上に向って立ち上げっており、この像が体躯から脇手にいたるまで一木で彫られていることがよくわかる。多くの千手観音は一木造でも脇手は別木で造られる場合が多いが、このように脇手にいたるまで一木で造られるのは珍しく貴重な仏像と云えます。腹前で組まれた2本の手以外は殆ど欠損しているが、きりっとした目、突き出た口元、厚い胸、太い腰など圧倒的な量感は、見る者を圧倒して迫るものがあります。









 吉祥天立像


像高164pの一木造で貞観時代の作。宝珠を持っていたと思われる左手は肘から先が欠損し、また与願印を結んでいたと思われる右手も肘から先が欠損している。厚い唇と二重顎で下膨れした頬と豊満な体躯を、中国の貴婦人が着ける唐服で纏って立っている。







尚、このほかに収蔵庫には十一面観音立像3躯、四天王立像4躯、十二神将11躯、菩薩立像1躯などが保管安置されている。

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