光明坊の阿弥陀如来坐像


仙容山光明寺(広島・瀬戸田町御寺)は縁起によれば天平年間(729〜749)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基創建したと伝えられる瀬戸内の古刹(真言宗)である。
承元4年(1210)後白河法皇より光明三昧院の勅額を下賜され、祈願所としての寺領の寄進をうける。その後、元和元年(1615)全山焼失、元和8年(1622)本堂再建、その後逐次堂塔再建される。
宝物殿には阿弥陀如来坐像(国重文)他、県指定文化財の紺紙金銀泥写経四巻、銅製懸仏などの貴重な文化財が保存されている。また、境内には十三重石塔(国重文)、五輪塔4基、石槽、イブキビャクシン(常緑針葉樹の巨木・県天然記念物)などの文化財があります。


                                   阿弥陀如来坐像(国重文)
国の重要文化財である阿弥陀如来坐像は同寺の宝物館に安置されている。鎌倉時代の作で、像高83pの玉眼入り寄木造漆箔の像。納衣(のうえ)偏袒右肩(へんたんうけん)に着け、下品上生(げほんじょうしょう)上品下生(じょうほんげしょう)と言う説もある)の印を結び、蓮華座に吉祥坐で結跏趺坐している。
幾分ふっくらとした丸顔となだらかな肩の線、そして流麗な衣文の流れなど一見、藤原仏を思わせるが、バランスよく整った体躯、玉眼、流麗ななかにも比較的力強く彫られた衣文などは鎌倉時代のものである。尚、蓮華座形の台座も鎌倉時代の作である。
光背は後補であるが、台座を含めた坐像全体は造像されてから凡そ800年前後も経っているとは思えないほど保存状態の良い像である。

秋晴れの日に、予約も無く突然訪れ、拝観をお願いしたところ大変快く応じていただき、保存状態の良さを含め、お寺さんの姿勢に深謝。






写真・左から十三重石塔、五輪塔(松虫・鈴虫の墓碑)、イブキビャクシン、石槽、五輪塔(法然上人・如念尼公の墓碑)
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