筑紫戒壇院
どことなく気品があり、奥ゆかしさを漂わす小さな総門と、その左右に続く赤土の塀、この風情に惹かれて数度訪れたこの古刹ですが、8月の郷土史講座のバス旅行で九州国立博物館を訪れた際、もう一度訪れたくなり、時おり雨の降る中を訪れた。
筑紫戒壇院(太宰府市観音寺)の起源は、天平宝字5年(761)聖武天皇の勅願により、開山は唐僧鑑真で観世音寺の一角に建てられた。そして、大和(奈良)の東大寺(中央戒壇)、下野(栃木県下野市)の薬師寺(東戒壇…平安時代に廃寺となり今は六角堂が建てられている)、と共に「天下の三戒壇」と呼ばれた。近世に入って、博多聖福寺の末寺として今に至っている。
尚、現在の本堂は延宝8年(1680)に再建されたものである。(参考資料;九州歴史資料館編「筑前太宰府戒壇院」、Wikipedia)
尚、本堂には高さ50p程の石戒壇が作られており、日本で3躯しか無い毘廬舎那如来の1躯が安置されている。