良寛修行の寺
圓 通 寺
郷土史講座、新春の歴史探訪に参加し、良寛さんが青年時代に修行した名刹圓通寺を訪れた。
今は、補陀洛山・圓通寺(倉敷市玉島柏島)と称されているが、もとは天平の昔から観音霊場の信仰の地であった。 ここに観音堂を建て聖観音(別名「星浦観音」)を祀ったことに始まり、近郷の人々の篤い信仰を集めていた。
連綿として続いた信仰の灯も江戸中期の頃には寂れ、観音堂は荒廃し雨露にさらされて見る影もない有様であったが、加賀・金沢の大乗寺の住職を退いた高僧徳翁良高和尚を開山として迎え、元禄11年(1698)曹洞宗・補陀洛山圓通庵が開創された。その後、寺門隆盛し、寺格は高まり正徳4年(1714)圓通寺と改称された。爾来300年余経て現在に至っている。
10世住職大忍国仙和尚の代には、越後生まれの良寛が22歳から十数年間当山で修行し、その後全国を行脚し聖僧と慕われるようになった。(参考:圓通寺発行「圓通寺縁起」、圓通寺パンフレット)
訪れた日は新春に相応しく良く晴れた日であった。本堂前の梅は蕾が膨らみ、今にも童と遊ぶ良寛さんの笑い声が聞こえてくるような景色である。
「 “霞たつ 永き春日を子供らと 手まりつきつつ この日くらしつ” 良寛 」
尚、良寛晩年の恋物語(貞心尼との恋)、俗世のしがらみを全て捨て去った良寛さんも胸のうちには熱い血が流れていました。
(詳しくは、冊子「郷土史紀行」VOL47、郷土史講座米田講師が執筆されています、一読をお勧めします)
境内には葦吹屋根の本堂・良寛堂(学僧寮)、巨岩の上に建造された高方丈、白雲閣、友松亭、良寛記念館などの建造物が並び、良寛碑中最大の碑とされる良寛詩碑を始めとする多くの句碑が点在している。また、巨岩と植え込みの調和が取れた石庭が目を引く。
葦吹屋根の良寛堂
良寛坐像(良寛記念館)
良寛遺墨「天地」(良寛記念館)
良寛詩碑(良寛碑中最大)
良寛が鍋蓋に書いたとされる「心月輪」
この写真は、圓通寺写しで「蕎麦こね鉢」に書かれている
巨岩と植え込みの調和する石庭
蕾が膨らんでいる本堂前の梅