WASLIのめざすものとして、過去、現在、未来についてお話しをされました。
まず、1950年代に旧ソ連で多数のろうあ者が働いていた。
ソビエト評議会に於いて手話通訳を雇わなければいけないとの声明が出された。
つまり、「手話通訳者」は「ろう者」のためにだはなく「聞こえる者」のために採用されたわけです。
当たり前のことではありますが、一国の評議会に於いて声明を出すということに驚きました。リズさんは続けて「本来手話通訳はろう者とコミュニケーションの取れない人のためで、今始まったものではない」と言われました。
1975年アメリカに於いてWFD設立。65カ国にアンケートを送り内29カ国に手話通訳が居るとの回答を得たそうです。
1981年オーストリアで通訳者の団代を立ち上げるための話し合いが始まりました。
オーストラリア、アメリカ、カナダと話し合いは繰り返されましたが、今のようにインターネットも、Fax もないときです。コミュニケーションが一番の問題だったそうです。
そんな中、2003年ようやく世界ろう連からの要望があったように私たち『手話通訳者』も協会設立に合意したのです。
第一回の会議には、世界各国の手話通訳者に会いたいとの一心でバスなどを乗り継ぎ3日もかけて来た通訳者もいたそうです。
リズさんは、手話通訳者はろう者の協会と一緒に活動することによって手話通訳の位置付けが確立すると思っている。透明感のあるコミュニケーションが大切と話されました。
その様な過去を経て現在の様子や未来について次のように語られました。
未だ多くの国で手話通訳の仕事について評価をされていない。しかし、2010年は大切な年だと思う。 国連が障害者権利条約を採択し、その批准の影響が各国で調査されることでしょう。
一方では、ユネスコが文化の友好関係の樹立の年であると宣言しています。
文化の多様化が認められべきで国を超えそれは急速に進んでいくことでしょう。
多くの国は貧しく、手話通訳の協会を持っていない。
日本手話通訳士協会は、多くの経験、専門性を世界に共有することができる。
また、健康面についても手話通訳の健康調査を行ったのは、日本が初めてです。
国によっては、手話通訳者が主導権を持つと考えている国もありますが、私たち(WASLI)はWDFと共に国連の障害者権利条約の再考に関する調査をしています。
手話通訳が大学で教養を受け「学位」や「修士」を受けるが実情とのギャップがある場合もあります。また、反対に20年程前まで社会奉仕・社会的サービス(ろう者を助けてあげなくてはいけない)との思いの国もありました。
手話通訳というものが社会からどう見られているのか? 他の音声通訳と同じであるという認識がないのではないでしょうか?
私たちはWFDと協力して障害者権利条約にきちんと手話通訳を盛り込むことが大切です。
専門職とは、ある程度の期間きちんと訓練を受け評価され、そしてきちんと理解している手話通訳のことだと話されました。
今回の記念講演は通訳慣れしているはずなのに、もどかしくて日ごろろうの方がこんな気持ちでいらっしゃるのかなぁなんて全く別のことが頭に浮かびました。
そして、リズ会長の一言一言に重さを感じ改めて「手話通訳」としてのバトンの重大さを感じずにはいられませんでした。
(高浜 理加)
2010年5月4日、帝京平成大学(東京)にて「第8回日本手話通訳士研究大会(第1回手話通訳学会)及び日本手話通訳士協会創立20周年記念行事」が開かれました。