日本通訳士協会広島県支部設立記念講演のご報告
日本手話通訳士協会広島県支部設立を記念して、去る1月17日(土)18日(日)に日本手話通訳士協会会長 小椋英子さんをお招きし記念講演会を開催しました。
まず、17日には、設立総会の後「職能集団としての役割〜支部活動に期待するもの」としてお話しを伺いました。
開口一番の言葉は「私たち手話通訳士は、必要があって手話通訳士になった。士資格は、聴覚障害者が長い間望んできたもので、社会制度の中で唯一国の認めたものです。」つまり、歴史的背景があるということだ。
広島県支部は、支部として今日生まれたばかりの赤ちゃんと同じ。5年先、10年先には、手話通訳士がきちんと組織化するであろう。そして、それが聴覚障害者の福祉に繋がる。公益なのだ。
通訳集団には、「士協会」と「全通研」の2つがある。しかし、私たち「士協会」は専門性、「全通研」は、大衆性・専門性を追求する団体である。それらがどちらか一つということでなく協合して聴覚障害者の福祉に取り組むということが大切。今後、懸念されることとして「士協会」にも「通研」にも属さない人が増えてくるのではないか。決して一人では成長はない。
職能集団として、自らの専門技術を高める。
研修の充実・・・集団で検証することで自己検証が出来る。
研修の材料は、日ごろ行っている通訳にある。また、それに気付くことが大切である。気付いたことを研修で行う。それが出来るということが専門性である。
また、研修の動機付けも必要である。何のために研修会を開催するのか。
どんどん出てくる新しい「言葉」それは、学習をしていないと情報提供としては出てこない。
実践の通訳と研修は一体化である。
研修には企画力が必要。研修内容をたくさん与えてしまうと失敗する。
例えば、どこかで研修を受けて来たことを伝達する。学んだことを伝達するということで、役割を持って研修に参加できる。緻密な研修の積み重ねが大切である。
相手の人権も大切であるが、まず自らの人権を守ることが大切である。
社会の中で「手話通訳士」の資格としての認知度は低い。例えば、市長村で設置通訳者を募集する際に条件として「手話通訳士」であること。と謳っていても派遣事業の中では「奉仕員・手話通訳者・手話通訳士」と並列され行政がちゃんと理解をしていない。
通訳の技術の問題ではないことが問題となることがある。
文の構造は抽象概念であり、これが「9歳の壁」といわれるものである。「文の構造を理解しないと通じない」ということが私たちには、わからない。これは守秘義務を意識しながら研修を行う必要がある。
社会制度の中で手話通訳の領域が広がっている。聴覚障害者があらゆる場に参加していくということは、そこに手話通訳も行くということ。
位置付けを求められる一方で身分が明確でないというデコボコ状態が現状である。
医学生支援のときは、技術は担保としてあるので「場をわきまえた通訳者」が求められた。それは、手話通訳士の基本的な人間力が求められたということ。
手話通訳とは別に「語る」学習も必要。これは「喋る」とは違う。
「語る」とは、1 材料が必要 2 語る相手が必要 3 語る方法が必要
これらは「日本語のトレーニングである。
学習会、研修会に参加すれば「学ぶ」ことは出来るが、これを「語る」ことで自分の身に付く。形の違う研修会に参加すると「受講する」気持ちが見えてくる。
翌18日(日)には「手話と私〜手話を学ぶひとたちへ」と題しお話しを伺いました。
「手話は長く続けてくださいね」と始まり、家庭の事情、体、仕事の都合などで休んでも、止めないで長くやってくださいね。」この一言で緊張していた参加者の表情も和み瞬く間に「小椋ワールド」に入り込みました。
手話は続けているうちに変わってくる。自分の内面が出てくる。誰でも初めは同じ。まず自分の言いたいことを伝えられるように!
そうして、成長に伴って手話が変わってくる。次に自分の中にテーマ(課題)を持って学習して欲しい。 学習の取り組み方として、「前に同じテーマのお話しを聞いたからもういいわ」ではなく、以前と今とは「自分」が違っているので受け止め方が違うはず。
いろんな人に出会い、いろんな手話に出会う。うぬぼれや生意気ではなく、自分が成長したと思えると良い。いろんな経験の中で自分が成長する。
自分達が豊かになるということは、聞こえない人達も豊かになる。
尊敬する人からしか学べない大切なものがある。
それは、目には見えない「意識」「心構え」表面に表れている技術ではない部分。
先輩やサークル内の動きなどテキストにはない。目の前に起こっている経験から学ぶ。学び取るところを間違えないように(それぞれ個性があるので良いところをブレンドして)
また、関係の良くないところからは学べない。学びあう人間関係が大切である。
学集会を企画するとき、メンバーの関係性の影響力が大きいということを頭に入れておく。それが学ぶ力を付け学び上手になる。
手話を学ぶことで自分が豊かになるのは、手話が言語であるから。人間との交わりを通さなければ、自分は広がっていかない。自分が学ぶというスタンスを持つこと。その過程でろうあ運動に参加するなどの意味が分かるようになる。
自分が学びながら、受け継いで欲しい理想、理念、意識等が出てくる。後輩に引き継ぎたい!と思うことをたくさん持って欲しい。それがテキストにないことを学ぶということに繋がる。
手話が上達するには、手話は「言葉」なので、手話が上手になったら聞こえない人と話しをしよう。と思っているうちは上手くならない。多少間違っても伝えたいという勢いで伝わることもある。 手話の魅力は聞こえない人の魅力である。
人間がいてコミュニケーションがあり、手話がある。
印象に残った手話は単語だけ切り取るのでなく、場面ごと、表情周りの反応も一緒に記憶と記録をしておく。
そして、自分だけのものにせず共有していく。
お話の後、手話の魅力再発見として、小椋会長の自分史に残る手話ベスト4まで披露していただいた。 のんびりお話を聞いて…なんて思っていたらとんでもありませんでした。
特に「職能集団」…ん?ナンダ?…程度の知識しかない私は、メモを取りながらお話について行くのに必死でした(笑)
研修の大切さを何度も口にされ研修担当の方もいらっしゃるでしょう。なんて笑顔で言われても…冷や汗 f -_-;
その上、会長から「報告と感想お願いね」なんて、まさか「伝達も大切ですよ」と聞いたあと、お断りする術もなく…ちゃんとみなさんにお伝えできるかどうか…
ご披露いただいた魅力的な手話は、とても文字には変換できませんのでご勘弁を!
また、休憩時間はちょっとした撮影会が繰り広げられていました。
内容の濃い、またいろんなことをしっかり考えなければと気持ちを新たにした2日間でした。
学んだことを使ってみる!という教えを守り地元のろうの男性に小椋さんの表された表現をしたところ、あらびっくり…「そうそう、使う使う!」といわれ改めて自分の学習はまだまだ「学ぶ力」が足りないと痛感しました。
高浜 理加