追憶の章 其の参
「わざわざありがとうございます。良仁先生」 忙しい診療の合間を縫って訪れてくれた、なじみの診療所の医師にむかって、美里は深々と頭 を下げた。 良仁はしわの深いその顔に、柔和な笑みを浮かべる。 「いや、藍ちゃんにはいつも世話になってるからね。これくらいはどうってことはない。それ より・・・」 ふいのその笑みが消え良仁は真面目な顔つきで言う。 「これは言うべきかどうか悩んだが・・・」 その良仁の言葉に美里は驚きの表情を浮かべる。 「あ、藍。良仁先生帰ったんだ。」 聞きなれた親友の声に、美里は振り返る。 そんな美里の表情を見た途端、小鈴が怪訝そうな顔をする。 「どうかした、藍?」 しかし、美里は何でも無いと静かに首を振った。 「そういえば、緋勇クンの様子は・・・?」 美里の様子をすぐに察したのか、即座に質問を変える親友の心遣いに感謝しながら、それでも 悲しげに呟いた。 「とりあえずは、熱が下がれば大丈夫みたい。ただ、あまり食事とかも取っていなかったみた いだし・・・かなり体力が落ちているみたいだから。」 「そっか・・・」 小鈴はそう言って目を伏せる。 「私・・・彼の様子をみてくるから、小鈴ちゃんは先に戻っていて。」 そんな美里の言葉に、小鈴は小さく頷きそのまま駆け出した。 その後姿を見送り、美里は再び龍斗の元へと向かう。 ゆっくりと歩きながら、先ほどの良仁の言葉を思い出す。 『あの子は恐らくもう長くは無いだろう・・・』 その時ふと美里の脳裏に甦る記憶があった。 以前にも同じようなことを聞いた記憶がある気がしたのだ。 それと同時に心に過ぎる記憶。 「あれは一体いつのことだったの・・・一体誰にそれを問われたの・・・?」 美里は小さく呟いた。 そして鬼道衆に囚われた時のことを思い出す。 美里はその時の事をただの一度も仲間たちに言った事は無かった。 そして、あの村にいる時にも同じようにふと過ぎった記憶があった。 どれほど思い起こしても、あれがいつのことだったのか・・・それどころか、本当にあったこ となのかすら解らなかったが。 「彼なら・・・その答えがわかるのだろうか・・・」 その向かう先に眠るその人のことを思い、美里は呟く。 『悲しみは人を殺すこともある。けれど・・・憎しみは時として、それを生かす術にもなりう る事を・・・そうする事でしか生きる術を持たないものもいることを・・・あなた達は知っ ていますか・・・?』 美里は龍斗の言葉の意味を考えようとする。 「でも、緋勇さん。私はやっぱり復讐なんて嫌です・・・」 美里はもう一度小さく呟いた。 * 「どうしてあなた達は人の命を奪うの?」 囚われの身でありながらも、美里は龍斗に訴えかける。 「復讐なんてしたとしても・・・同じ痛みを誰かに与えたとしても、それで癒される傷なんて 無い・・・。それは結局新たな悲しみを生むだけだわ!それでもあなた達は・・・それがあ なたの正義だとでも言うのですか!?」 穏やかな物腰を持つ彼女とは思えぬ、強い口調で美里は言う。 確かにそうなのかもしれない・・・ と龍斗は思う。恐らくは彼女の言う事は正しいのかもしれない。それが理想なのだ。誰もが憎 む事無く許しあうことが出来たなら・・・ しかし、龍斗はどうしてもそれに頷く事は出来なかった。鬼道衆の・・・この村に住まう者た ちの痛みを龍斗は知っている。 もちろん、鬼道衆がやっていること全てが正しいとも言い切れないのだが。 恐らくそんな龍斗の沈黙を、先ほどの問いの否定ととったのだろうか。 美里は、先ほどと違い穏やかな口調で再び龍斗に問う。 「あなたは何故戦うの?どうして彼らの復讐に手を貸してしまっているの?」 「何故そう思うのですか?」 「あなたの瞳が・・・悲しそうだったから・・・ここにいることが辛そうに見えました。」 「・・・・・・」 美里はどこかいたわる様に龍斗を見た。 「私達は・・・理解しあうことは出来ないの?」 恐らくは真実それを望んでいるのだろう。彼女は龍閃組に身をおいてはいても、戦うことを望 んではいないのだ。 「出来ますよ。きっと・・・」 そんな龍斗の答えに、美里は嬉しそうに顔を上げる。しかし・・・ 「でも、少なくとも今はまだ無理だと思います。貴女達は、彼らのことを余りにも知らなさ過 ぎる・・・」 「え?」 一瞬美里には、その言葉を理解することが出来なかった。 「美里さん。あなたは例えここで無残に殺されても、その相手を許すことが出来る人なのだと 思います。でも・・・」 美里はただ、黙って龍斗の言葉を聞いている。 「もし俺が、貴女の大切な人たちを・・・全く罪の無い幼い子供を、抵抗も出来ぬ人を無残に 殺めたとしたら・・・貴女は俺を許せますか?」 「!!!」 美里は答えることが出来なかった。 「その答えを・・・いつか聞かせて欲しいものです。願わくば、俺が納得できる答えであって 欲しいと思います・・・」 それだけ言うと、龍斗は軽く頭を下げ、彼女の部屋を後にした。 後に残された美里は、ただその後姿を見つめ続けていた。 * 両親の墓標に向かって静かに語りかける男は、龍斗の気配に気付いたのか、その視線を彼に向 けた。 「龍か」 笑みを浮かべたまま男、九角天戒が言う。 龍斗は何も答えず、ただじっと天戒を見つめている。 そんな龍斗の様子に天戒は苦笑いを浮かべる。 「藍の様子はどうだった。おとなしくしていたか?」 自分では怖がらせてしまうから、代わりに美里藍の様子を見に行ってはくれないかと頼まれた のはほんの数刻前の話。 龍斗は再び静かに頷いた。 「そうか・・・」 そんな天戒の顔に安堵の色が浮かんだように見えた。 恐らく彼にとって美里の存在は特別なものなのだろう。恐らくは菩薩眼というだけではない 想い。 兄弟というものは不思議なものだと、少し寂しげに語る天戒の言葉に、ふと過ぎる考え。 しかしそれをあえて口には出さず、龍斗は天戒の言葉に耳を傾けるだけにとどめた。 「お前には兄弟はいるか?」 唐突にかけられた問いに、龍斗は思わず天戒の顔を見つめた。 「何・・・深く考えずとも良い。」 苦笑い交じりに言う天戒の言葉に、龍斗はそっと目を伏せた。 「兄がいました・・・」 そんな龍斗の言葉に何かを感じたのだろう。。 「すまぬ事を聞いたな・・・だが、その者はお前にとってかけがえの無い存在なのだろうな」 心底すまなさそうに詫びながらも、天戒は言う。 「優しい人でした。時に厳しく・・・両親の無い俺にとっては、父のようでもあり、母のよう でもあった。俺はあの人から多くを教わりました。」 「そうか・・・」 そして龍斗はかすかに目を伏せる。 「母は俺を産んですぐに亡くなったそうです。だから母の事は全く覚えていません。父が亡く なったのも、幼いときでしたから・・・父の顔もほとんど覚えてはいません。ですが父が亡 くなった時の事はよく覚えている。あの時は、悲しみよりも、ただ恐ろしかった・・・。も し、あの時兄がいなければ、俺は生きてはいなかったかもしれません。」 「では、俺はその者に感謝せねばなるまいな。」 どこか優しい口調で天戒が言う。しかし龍斗の表情がかげるのを天戒は見逃さなかった。 「だから、兄が死んだときは・・・本当に悲しくて・・・なのに俺は涙一つ流すことが出来な くて。まるで心臓を鷲づかみにされたように苦しいのに・・・どうしても泣く事が出来なか った。兄を殺した者に対しても、不思議と憎いという感情は浮かんでこなかった。何よりも 自分自身が一番許せなかった。」 そっと目を閉じて、どこか優しい表情で龍斗は言う。 「もしも誰かを憎むことが出来ていたなら、もう少し心が軽くなっていたのでしょうか・・・ でも俺は・・・・」 龍斗はそれきり黙りこみ、それ以上何も言う事は無かった。 天戒もまた何も言う事が出来なかった。 それは、出会ってから初めて聞いた、龍斗の心の声だったのかもしれない。 天戒は龍斗を抱きしめたい衝動に駆られた。 しかし結局は指一つ触れることはせず、変わりに優しい笑みを浮かべる。 「だが、俺は・・・こんな物言いは不謹慎かもしれないが、お前が生きてここにいることに、 俺の前にいてくれる事を・・・とても嬉しく思う。」 そんな天戒の言葉に、龍斗は思わず目を丸くする。 ただ、彼の優しさが何よりも嬉しかった。 * 龍斗は深い眠りの中で、夢を見ていた。 幾度同じ夢を見たのだろうか。 決して戻れぬと解ってはいても・・・いや、戻れぬからこそ・・・ 『ごめんなさい・・・』 その心の中で、誰にとも無く龍斗は詫びる。 『俺の・・・罪は・・・許されますか?』 遠き記憶に思い馳せながら、龍斗はここにはいない誰かに問い掛けた。 追憶の章 其の参 泪月 完 |