あたりは暗い闇に包まれていた。 一筋の光すら射さぬその闇の中に、天戒は一人立ち尽くす。 どれほど当たりを見回そうが、そこには人一人見当たらない。 この暗闇に耐え切れず、その出口を探そうと歩き出す。 しかし、どれほど歩こうとも、出口らしきものは見当たらなかった。 チリン・・・ かすかに聞こえる鈴の音。 「天戒・・・」 天戒ははじかれたように振り替える。聞き違えるはずも無いその声。 彼はただじっと天戒を見つめていた。 その瞳には感情と言うものが全く感じられなかった。 彼はそのまま天戒を見ようともせずに歩き出す。 「待て・・・」 すれ違いざまに思わず呼び止められる。その声に彼は振り返る。 「龍・・・」 天戒は呆然と呟く。 振り返った龍斗は、相変わらず全くの無表情で天戒を見つめる。 ただじっと・・・ |
弐章
「まさかこの俺達が、ここに赴くことになるとはな・・・」 目の前にある巨大な城を見上げて天戒が呟いた。 九桐はそんな主の顔を酷く複雑な顔で見つめた。 彼の表情には驚くほど何の感情も浮かんではいないように見える。 彼から全てを奪った幕府。 その中心ともいえるこの江戸城に、彼はいったいどれほどの思い出訪れたのだろう。 天戒達は当初、円空からの書状を突っぱねるつもりでいた。 幕府は愚か、龍閃組とも手を組むつもりなど全く無い自分達が、江戸城に赴くなど何の 意味も成さないと思った。 柳生宗嵩は何よりも倒すべき敵であるとは思うが、そのために敵である龍閃組と手を組 むつもりなど全く無いのだ。 ならば自分達が江戸城へ行って、龍閃組と話すことなど何の意味も無いように思えた。 例えば、もしも彼がここにいたのならば・・・ もしかしたら江戸城へ行っていたのかもしれないと、天戒は思う。 天戒は、あの後比良坂から全ての真実を聞かされた。 だが、自分達が時間を戻すことなど、恐らくは決してできないことなのだ。 それと同様に、彼が自分達の下に戻ってくることなど決して無いのだ。 彼のことを思うと今でも激しく心が痛むが、過ぎたことをどれほどに悔やんでも、亡く したものは二度とは戻らないのだ。 そして、彼がここにいない以上、もしも龍斗が生きてここにいたら、などと思うのは荒 唐無稽のように思えた。 「俺はどんなことがあっても、龍閃組と・・・幕府などと手を組むつもりは無い。」 取り付くしまも無いとはこういう事をいうのだろうか。しかし、そんな天戒の言葉に 反対するものは無い。 鬼道衆にとっては、幕府と言うのは憎んでも憎みきれない存在なのだから。 結局は円空よりの書状に対して、無視を決め込む事が決まりかけたその時、意外なと ころからその声はあがった。 「本当にそれで良いのでしょうか?」 言葉の主は嵐王だった。 天戒達は嵐王を怪訝な顔で見つめる。 「今更、儂がいえた義理ではないかもしれません。しかし、この数日間これ程奔走し ても、柳生の事は何一つ分からなかった。ならば幕府を利用するのも一つの手ではな いのですか。」 誰も嵐王の言葉に答えない。まだ考えあぐねているようだった。 そんな彼らの様子を仮面の下から静かに見据え、言葉を続けた。 「それに・・・“彼”が、あそこでどのように生きたのか、貴方達は知るべきではな いのですか?」 それが誰を指すのか、天戒達はよく理解している。 常に自分と共にあった彼が、自分達の知らない所で一体どのように生きていたのか。 彼の苦しみを思えば、自分がその信念を曲げ、敵の陣中へと赴くことなどなんでも ないように思えた。 「虎穴に入らずんば虎子を得ずというだろう。何より、奴らの懐に入り込むことで、 龍閃組の心中も知れようというもの。」 どこか自嘲気味に呟かれた天戒の言葉に、誰もが一瞬言葉を失った。 「いずれにしろ、鬼道衆が徳川に下る事は無い。奴らが我らに下るなら考えないこ とも無いがな。」 しかし天戒の決めたことと、誰もが反論することも無く、後日彼らは数名のみを率 いて江戸城へと訪れたのであった。 * ―江戸城― どこまでも荘厳なこの場所は、重苦しい雰囲気に満ち溢れていた。 龍閃組と鬼道衆。 江戸城へと訪れたのは、双方共に組織の中においての主要たる面子だけで、しかし、 御互いに気まずげに目を逸らしたまま誰一人として口を開こうとはしなかった。 そんな彼らの様子をどこか飄々と見つめながら、円空は柔和な笑みを浮かべる。 柳生宗嵩という強大な敵。 この敵を倒す為には、龍閃組だけだけでも、そして鬼道衆だけでも駄目なのだと円 空は思っている。 しかし、今目の前にいる彼らの様子からも、彼らがそんなつもりなど毛頭無いと言 う事など目に見えていた。 だが、今のままでは何も変わらない。 少なくとも今の自分が何か切欠を与えなければ、彼らが歩み寄ることなど無いのだ。 『彼らはきっと・・・共に戦えると思うから・・・』 円空の脳裏にふいに甦る言葉。 小さく息をつくと、円空はあくまで笑みを浮かべたままで口を開いた。 「皆・・・此度はご苦労であった。」 円空は当たりを一度見回すと、言葉を続ける。 「龍閃組と鬼道衆。異なった志をもつその方らが集まったのは、同じ目的の下、こ の国を愛する者たちだと儂は思っておる。異論はないな?」 円空の言葉に答える声は無い。半ば予想できたことではあったが、円空はあえてそ れを肯定と取る。 「答えが無いと言う事は、異論が無いという事でよいな?」 円空の言葉に、一同の顔にはじめて感情が宿ったように見えた。 それは決して好意的な感情ではないことが、円空にははっきりと見て取れた。 しかし彼らならきっと共に戦い、そしてこの街を救えると円空ははっきりと感じ取 っていた。 彼がそれを願ったように円空もまた、そう願わずに入られなかった。 * 「ちょっと待てよ。」 京梧が不快そうに言う。 「俺達はこいつらと手を組むつもりなんて無いぜ。俺たちはこいつらのやってきた こと全部を許せる訳じゃねぇんだからな。」 「確かに、俺達は鬼道衆の今までやってきたことを、肯定はできぬ。人を鬼に変え る所業が柳生の仕業であったとしても、鬼道衆がやった禍々しき外法は到底許され るものではない。」 雄慶の言葉に桔梗は眉をひそめる。 「禍々しいねぇ。あんたたちの仲間だって異端とされる法を使うものがいたと思っ たけど。それをあたし達だけ禍々しいだの言われてもねぇ・・・」 不快感を隠そうともしない桔梗の言葉に、京梧は声をあげる。 「だが、俺達は無関係な人を傷つけたりはしねぇ!死んだ人間を甦らせて、利用す るようなことなんてな!!あれが禍々しくなくてなんだっていうんだよ!!」 お葉のことをいっているのだと言う事は誰の目にも明らかだった。 桔梗自身、あの時のことに後悔が無い訳ではない。 しかしそれをここで認める事ははばかられた。 「例えあたしがあそこで力を貸したせいだとしても、少なくともお葉の心に憎しみ なんてものが全く無ければ、お葉は甦ったりはしなかったよ。あたしのやった事は お葉の心の闇にほんの僅かな力を与えただけ。それを決めたのは、お葉自身さ。」 ―最も、お葉は最後の最後で自分の過ちに気付いたけどね。だからこそ、あんなに 穏やかな顔で逝ったんだから― と言う言葉はあえて心にしまいこむ。 「ふざけんな!!」 「蓬莱寺さん!」 桔梗につかみかかろうとする京梧に、美里が悲痛な声をあげる。 「やはりこのような会談などしても無意味なことであったな・・・」 先ほどから一言も言葉を発することの無かった天戒がふいに口を開く。 「もとより俺達が龍閃組と手を組むつもりなど全く無い。・・・徳川に力を貸すこと などあるはずも無いことなのだ。」 「でも、お互いの会話から《崑崙山》を探す糸口が見つかれば・・・!」 美里の言葉に、天戒は自嘲する。 「俺達とて、柳生を探しだし打ち倒さねばならぬのは解っている。だからと言って、 お互いの親睦を深める必要など全く無い。第一今まで敵であったものと手を組む必 要がどこにある。あくまで鬼道衆は鬼道衆でやる。お前達もそう思っているのでは ないのか?」 「九角さん!」 美里の瞳がかすかに光っている。それに誰かの顔が重なる気がした。 かすかな罪悪感を感じるが、天戒は会えてそれを無視する。 ただその胸だけが、とても傷んだ。 |
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