四章

 

 

江戸城での出来事から数日。

美里はあの時のことを思い出すたびに、ため息を付く。

龍斗は少なくとも、お互いが歩み寄る事を望んでいたと、そう思う。

だからこそ自分が・・・自分達が今すべき事は、そのわだかまりを捨て、共に江戸を護るべき為に戦うこと。

「緋勇さん・・・せめて貴方がここにいてくれたら・・・」

この数日の間何度も思ったことを、美里は思わず口に出す。

その時美里は背後に気配を感じる。

思わず振り返りそこにいた人物の姿に目を見開いた。

「お久しぶりです・・・」

支奴は穏やかな笑みを浮かべた。

そんな支奴にどういう表情を返すべきなのか、美里は一瞬戸惑う。

そんな彼女の様子に気付いたのか、支奴は酷く複雑な笑みを浮かべた。

「随分と苦労されたみたいですね。」

支奴の表情はどこもでも穏やかだ。しかしその瞳がかげるのを美里は見逃さなかった。

「・・・あれからあちきも、若達を何度も説得したんですが、駄目でした。」

どこか悲しげな瞳だった。

「支奴さんも、九角さん達を説得しようとしてくださっていたんですか・・・?」

美里が嬉しそうに言う。

そんな美里に支奴は「自分が出来る事といえばそれくらいしかないですから」と少し悲しげに言う。

「龍さんはきっとあちき達が共に闘う事を望んでいる・・・あちきはそう思います。でも、お互い

のわだかまりを完全に拭い去るには余りにも時間がなさ過ぎる・・・ほんの僅か前まで、敵として

対峙していたんですから」

「そうですね・・・」

美里は小さくため息をついた。

「あなた方は・・・いえ、龍閃組も鬼道衆も、あの人の死を自分達のせいだと責め続けている。

でもね、それは違うんですよ。」

支奴の言葉に、美里は首をかしげた。

「あの人が死んだのは・・・あちきの責任です。あちきの弱さが・・・仲間を、大切な人たちを

信じ切ることが出来ず、全ての人を欺き続けたあちきの存在がなければ、少なくともあの人が時

をさかのぼり運命を変えようとする必要もなかったんです。」

「そんな事・・・」

支奴の後悔に満ちた言葉に美里は、反論しようとする。

そんな彼女の様子に、少しだけ笑みを浮かべた支奴は、小さく首を振り言葉を続けた。

「あんたは優しい人ですね。でもそれは事実なんですよ。でもね、だからこそ後悔に歩みを止め

るよりも、共に戦うために自分が何かをしなければならいと。そしてこの江戸を救わなければな

らないと、そう思うんです。それがあちきにできる唯一の償いなのだと。」

そうではありませんか?と笑みを浮かべる支奴に、美里も頷きながら微笑んだ。

「とりあえずは、お互い皆を説得しなければいけませんね。恐らくは、誰もが手を組むべきだと

言う事は解っている筈なんです。ただ、きっかけがつかめないだけで。」

「そうですね。まずはそのきっかけを見つけなければ・・・」

美里の言葉は最期まで続かなかった。目の前で支奴が怪訝な顔をする。

「どうかしましたか?」

支奴の問いかけに、美里は我に返る。

「いえ・・・なんでも無いです。きっと気のせいですから・・・」

そんな美里の言葉に、どこか釈然としないものの、支奴は村へと戻るべく、その場を立ち去った。

後に残された美里は、先ほど見たものの事を忘れる事が出来なかった。

決して見間違うはずも無いその姿。

「そんな筈は無いわ・・・きっと気にしすぎているから幻が見えたのね。」

しかし、ふと胸を過ぎる不安に駆り立てられるように、龍泉寺に向かう足を止め、美里は別の方向

に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

一方支奴は村へ戻る為に急ぎ足で歩いていた。

何故だか嫌な予感がした。

早く村に戻らなければ・・・

そう思い、さらに歩調を速めようとした時、その気配を感じた。

支奴はその歩みを止め、気配のする方向にその視線を向けた。

すさまじいまでの殺気だと思った。今までこれ程までの殺気を感じた事は無い。

そしてそれが自分に向けらていると言う事も理解できた。

「だれですか?」

あくまで平静を保ちつつ、支奴は声を上げた。

そんな言葉に答えるように、その殺気の主は支奴の前に姿をあらわす。

その人物は、余りにも奇妙ないでたちをしていた。

頭から頭巾をかぶっている為か、その顔を伺う事は出来なかったが、何よりもその男が―気配

からして恐らくそうなのであろう―持つ気配に、驚きを隠せなかった。

支奴は似た気配を確かに知っている。

しかし、それ以上も彼から感じるこれ程までの圧迫感。

少しでも気を抜けば、男の気に飲まれてしまいそうだった。

恐らく唯人であれば気を失っているだろう。

そんな支奴の様子に気付いているのか、男は薄く笑ったように見えた。

そしてゆっくりと頭巾を取る。次の瞬間支奴の瞳は驚愕に見開いた。

「バカな・・・」

かすれた声でようやくそれだけが口から出てくる。

それ以上は言葉にはならなかった。

いや、支奴の口は次の言葉を紡ぎ出そうとしていたが、言葉にする事が出来なかったのだ。

支奴はふと腹部に衝撃を感じる。その視線をそこに向ける。

既にそこは真っ赤に染まっていた。

それを自覚した途端、猛烈な痛みが襲ってくる。

いや、それは痛みではなかったのかもしれない。

「な・・・ぜ・・・・・・」

意識を失いそうになりながらも、支奴はようやくそれだけ口にした。

目の前の男は笑っただけだった。

そして男が口を開くより先に、支奴の意識は暗い闇の底へと落ちていった。

その様子を、男はただじっと見つめていた。

その顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。

今しがた自分が手を下した男の血の海の中で、しかし次の瞬間には男の顔から一切の感情が消えうせていた。

代わりに浮かぶのは、激しい憎悪。

「これで終わりではない。これは始まりだ。」

男はそれだけ呟くと、その場から風のように消え去った。

 

 

 

 

 

 

その日龍泉寺は只ならぬ気配に満ち溢れていた。そこには竜閃組だけでなく鬼道衆の姿もある。支奴―彼らにとっては嵐王が何者かに襲われたと言う知らせに、急ぎ駆けつけたのだ。

「一体何があったというのだ・・・」

険しい気配のまま、雄慶が言った。

「解りません・・・」

蒼ざめた表情の美里の言葉だった。

「私が彼を見つけたときは既に意識を失った支奴さんの姿しかありませんでした。

敵の気配すら感じ取る事が出来ませんでした・・・」

美里が悔やむように唇をかみ締めた。

「だけど、嵐王ほどのてだれが、こうもあっさりとやられるなんて・・・」

「まさか・・・柳生・・・」

桔梗の疑問に、小鈴が思わず口にする。途端にその場にいる者たちの表情が変わる。

「確かに、それしか考えられん」

「で・・・嵐王の様子はどうなのだ?」

落ち着き払った声で問う天戒の言葉に、美里が小さく答えた。

「幸い急所がかすかにずれていたようで・・・一命は取り留めました。しかし意識は未だ・・・」

そんな美里の言葉に桔梗は疑問に思っていたことを口に出す。

「ずっと気になっていたんだ。嵐王が受けた傷は、余りにも見事だった。恐らくは何の抵抗も出来

ぬままに攻撃を受けたのだと思う。急所を僅かとはいえずれていたのは、とっさにその攻撃から身

を守ろうとしたのだと思ったんだけど・・・あの傷はわざと急所を外しているようにも見えたんだ。」

「果たしてそれが何者仕業によるものなのか・・・支奴だけを狙ったのか、鬼道衆を狙ったのか、

あるいは鬼道衆と龍閃組、双方を狙ったものなのか。そして何を目的にしているのか。どちらにし

ろ余りにも情報が不足している・・・今の段階で、これが柳生の仕業なのか、それともそれ以外の

何かなのか判断が出来ん・・・」

険しい顔のまま言う天戒の言葉に、誰もが顔色を失った。

「そうえば・・・蓬莱寺の奴・・・遅いな・・・」

雄慶が険しい気配を身に帯びたまま不安げに言う。

「バカ京梧!!こんなときに何やってんだ!」

小鈴の言葉は、言葉とは裏腹に不安に満ち溢れていた。

「あの・・・探しに行った方がいいんじゃないでしょうか?」

胸に湧き上がる不安を隠せないままの美里の言葉は、かすかに震えていた。

その時・・・

「あ・・・蓬莱寺さん・・・」

京梧の姿を見て、美里が安堵の笑みをうかべる。

「なんで、こんな処に鬼道衆がいるんだよ・・・」

どこかあっけらかんとした京梧の言葉に誰もが大きくため息をついた。

 

 

 

 

 

 

「なるほどな・・・そんなことが・・・」

雄慶から事情を聞いた京梧は、険しい顔で呟いた。

「まあ、今回の事件は龍閃組と鬼道衆双方を狙ったものと考えるのが妥当だろう。そして、

われわれ双方を狙う敵というのは一つしか考えられない」

「柳生宗嵩・・・」

その時、京梧達は自分達に向けられる殺気を感じた。

柳生と闘ったときですら、これ程までの殺気を感じた事は無かった。

間違いなく自分達に向けられているであろうその殺気と憎悪。

京梧達は急ぎ外に駆け出した。そしてその気配の先に視線を向けた。

そこにいる男の姿に、思わず京梧達は顔をしかめた。

深く頭巾をかぶった男の顔を確認する事はできない。

しかし、その殺気の主がその人物であると言う事は理解できる。

「お前が、あの三人をやったのか!!」

京梧の言葉は怒りに満ち溢れている。

「貴様、柳生の手のものか!?」

天戒もまたその言葉に怒りを含ませて問い掛けた。

男はその言葉には答えず、顔を隠していた頭巾をそっと外した。

次の瞬間、その場にいた誰もが言葉を失った。

「嘘だろ・・・」

京梧が呆然と呟いた。

そこにいたのは、かつて共に戦い、そして自身が殺した筈の男。

「た・・・つ・・・」

天戒もまた呆然と呟くしかなかった。

彼らが見上げた視線の先。龍閃寺の寺の屋根に彼は立っていた。

そこにいたのは死んだはずの緋勇龍斗その人だった。

そして、その瞳には激しいまでの憎悪が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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