六章
「たーさんの兄だって・・・」 桔梗が目を見開いたまま呆然と呟いた。 「まあ母親は違うがな・・・可愛い弟だったよ。とても不器用で、感情を余り表に出すことも出来ない奴だったが。 俺にとっては何よりも大切な弟だ。」 先ほどまでとはうって変わって穏やかな口調で男は、緋勇天斗はいった。 「馬鹿な。龍は家族はいないと・・・皆、遠い昔に死んだと・・・」 そう聞かされたのは遠い昔、間違いなく彼の口から。 あの時の彼が嘘を語っていたとは思えない。 「そうか・・・あいつは俺は死んだと思っていたのか・・・まあ実際に俺も生きていられるとは思わなかったからな。」 天斗は遠くを見るように語る。 「俺達の一族が滅びたのは、随分前の話だ。俺自身もその時深い傷を受けた。そして自分は死ぬだろうと思った。 幼い弟を残して死ぬのは心残りだったが、あいつを守る事が出来るならば悪くは無いと思った。しかし俺は死なな かった。目が覚めたとき、俺はまずあいつの躯を探した。しかし数え切れぬその死骸のなかにはあいつはいなかっ た。生きて何処かに逃げ延びてくれたのかもしれないと・・・俺は何よりそれが嬉しかった。この数年の間生きて いるかもしれない、弟を必死で探した。」 そう言った天斗の瞳には優しさが見える。それは当然といえばそうなのだが、龍斗に似ていると誰もが思った。 しかし次の瞬間にはその瞳から、穏やかな光が消える。 「だが、ようやく探し出した弟は既に死んでいた。お前達に殺されていた。」 途端に彼から発せられる憎悪に、その場にいた者は凍りつく。幕府によって家族を奪われた鬼道衆ですら、これ 程の憎悪を身に纏ってはいなかったと思えるほどの憎しみ。 「それを知ったときの俺の絶望が解るか?」 むしろその口調は穏やかといっても良いだろう。だからこそ一層その憎しみが際立って感じる。 何よりも、天戒たち鬼道衆にその心情は理解できる気がした。 自分達もそうやって大切な物を奪われ、その憎しみを幕府に向け、滅ぼす為に立ち上がったのだ。 「でも、緋勇さんは・・・貴方の弟さんは、復讐なんて望んではいないと思います。きっとこの町が平和であるこ とを望んでいるはずです!!それに復讐したってあの人はかえっては来ない。」 美里は必死で訴えかけた。 「馬鹿かお前・・・」 そんな美里の言葉を、心底軽蔑したように天斗は吐き捨てる。美里は思わず言葉に詰まる。 「お前らが死ねば、俺の気が済むんだよ。俺の唯一人の大切な者を奪ったお前らが死ねばな・・・」 「な・・・」 誰もが驚愕を隠せない。 自分達の知る緋勇龍斗という人物は、何処までも穏やかで、おおよそ憎しみなどとは、全く縁遠い人間に見えた。 だが、彼と同じ血を持つ天斗という人物の、このあからさまな憎しみの念は、あまりにも龍斗とはかけ離れている。 ただ、一つだけ言葉に於いて彼を止める術を、自分達は持たないのだという事だけが理解できた。 「せいぜい束の間の生を楽しむがいい。お前達の命は柳生に奪われるまでも無い。俺の手によって終わる。」 そういい残し、天斗はその場から消え去った。 * 夜半過ぎ・・・ 龍泉寺は、重苦しい雰囲気に満ち溢れていた。 とりあえずは、諍いをやめてこれからの事を話すべきだろうという、美里の言葉に誰もが逆らう事は出来なかった。 昼に集まる事が出来なかった仲間たちも、天斗によって傷を負わされた支奴以外は全て集まった。 「嵐王は表立って前線に立ったことは無いとはいえ、かなりの力の持ち主だ。・・・それがこうもあっさりと・・・ 恐らくは奴の顔に驚いて対応が遅れたせいもあるだろうが・・・緋勇天斗が、恐るべき力を持っているのは間違い ないだろう。何よりも、あの緋勇殿の兄に当たるのだ。」 眉間にしわを寄せたままに雄慶は言う。 「なんとか・・・あの人を止める事は出来ないんでしょうか・・・」 辛そうに言う美里の言葉に、桔梗が嘲るように言う。 「本当にアマちゃんだね。あんたは・・・」 言われた美里よりも、小鈴が気分を害したような表情を見せる。 しかし彼女が言葉を発するよりも先に桔梗は言葉を続けた。 「あの男の言葉をあんたは聞いていたんだろう。あいつは言った。あたし達が死ねばそれで自分の気が済むんだと。 その殺意を隠す事すらせずに。あの男にとっちゃ、この江戸が柳生に滅ぼされようが、この国が消えようが関係な いんだよ。あたし達を殺す事が出来ればそれで満足なのさ。」 そう、それは誰の目から見ても明らかで・・・ 少なくとも龍斗の死に関与する自分達では、彼の復讐を止める事が出来ないのだろう。 「もし・・・天斗とやらを止める事が出来るとすれば・・・それは龍だけだ」 天戒の言葉に誰も反論する事は出来ない。そんな皆の顔を見て天戒は自嘲気味に笑う。 「だが、龍はもういない。いや・・・例え生きていたとしても、俺達を救おうとはしてくれないだろうな・・・」 天戒の言葉に誰もが思わず俯いた。 「だからって手を拱いてる訳にはいかないよ!ボク達はこの江戸を救わなきゃいけないんだよ!ボクは嫌だ。 この町が無くなるなんて・・・大切な人たちが死んでしまうなんて!!時諏佐先生だって・・・」 「そういや・・・風祭。お前、師匠と同郷なのか・・・?」 突然話を振られて、風祭は驚いて顔を上げる。しかし気まずげに顔を逸らした。 そんな様子が、それが事実であると言う事を肯定しているようにも見えた。 「坊や。あんたそんな事今まで一度だって・・・あぁ、どうりでたーさんの名前を初めて聞いた時、驚いていた訳だ。」 どこか咎めているようにも感じられる桔梗の言葉だった。 思わずムッとしたように風祭は桔梗をにらみ返した。 しかしすぐに目を逸らし、ポツリと語り始めた。 * 「多分・・・天斗が一番殺したがってるのは俺だよ。」 どこか苦しげな言葉だと誰もが思った。 「何せ風祭は、一族を捨てて逃げ出したんだからな・・・俺の死んだ親父はいつも言ってた。何故自分達だけが 陰で在り続けなければならないんだって・・・持つべき力は同じ筈なのにってさ。陰陽の龍。表裏の龍。でもど っちにしたって、自分達が日の目を見る事はないんだ。それで一族を捨てたんだよ。護るべき立場にありながら。 そう、多分俺達の一族が、里を捨てたりさえしなければ、誰にも知られなかった里の場所が知られ、滅びる事な んて無かったはずだ。・・・そして、あいつが外の世界に出る事だって無かったはずだ。全て俺達のせいで・・・ 多分俺が死ねば、天斗は少しは満足するだろうよ・・・」 その拳を強く握り締め、風祭は呟く。 「俺さぁ・・・昔は、たんたんとよく遊んだ。あいつ、昔はすっげぇ笑う奴だった。俺と一緒に里中を走り回っ て、イタズラしては天兄ぃに怒られた。」 遠い記憶を懐かしむような風祭の表情だった。 「・・・でも、あいつの親父さんが死んでから、あいつは笑わなくなった。笑えなくなったんだ。・・・あいつ の親父さんが死んだ時・・・あいつ、血まみれの親父さんの首を抱きしめて、無表情に血の海の中で座ってた。 何があったかなんて知らない。けど、あの場面だけは、絶対に忘れられない。そして、それから笑う事も怒る事 も泣く事も無くなった。親父さんが死んだってのに・・・涙一つ流せなかった。その直後に俺達は里を出たから さ、そのあとの事はよくしらねぇけど・・・」 何時しか風祭の双眸からは涙が溢れ出していた。 「俺さ、天兄ぃのこと、すっげぇ好きだったんだ。なんていうか、小さい頃から俺の憧れだった。いつか、あん な風になりたかった。・・・小さい頃、よくたんたんと遊んだけど、そこに天兄ぃが現れるたび、すっげぇ嬉し くて・・・なんで、こんな事になっちまったんだろうな・・・」 溢れる涙を拭いもせずに、風祭はそのまま俯いた。俯いたまま、声を殺して泣き続けた。 「・・・悪かったよ、坊や・・・」 思わず詫びる桔梗に「俺を坊やと呼ぶんじゃねぇ・・・」とだけ言い返した。 「澳継よ・・・一つだけ言っておく。一人で死にに行こうなどとは決して考えるな。緋勇天斗が憎むとすれば、 それは俺たち全員なのだろう。だからこそ、俺達は全員で、奴を止めなければならないのだ・・・」 それは、今までとは明らかに違う天戒の言葉だった。 思わず美里はハッとする。 「九角さん・・・」 「やっと・・・解った。俺達は今は共に戦うべきなのだと。わだかまりを完全に拭い去る事は出来ないだろう。 だが、一時だけでもいいのだ。それを忘れて闘うべきなのだと。」 「それが若の出した答えなら・・・鬼道衆は従うまでです。」 あくまで飄々として九桐が言った。そして、龍閃組に向き直る。 「で、お前達はどうするんだ?」 最初に答えたのは京梧だった。 「まぁ・・・別に、俺たちだって・・・手を組む事はかまわねぇさ。今はまずやるべき事があるんだからな。」 視線を逸らし、どこかぶっきらぼうに言う京梧の言葉に、美里が心底嬉しそうに笑った。 まだ、何一つ解決してはいないが、少しだけ前に進んだと、美里は思った。
|
|
五へ | 七へ |
風祭との関係は随分昔から考えていました。
外法帖をやった時に、彼の反応がきになったんですが・・・
まあ血風禄ではなんか理由が明らか(?)になってしまってましたが。