壱
「大体あいつは新参者のくせに生意気なんだ。」 聞きなれた陰口に趙雲は思わず足を止めた。そこには何人かの趙雲にとっては見慣れた兵士達の姿。 「西涼の錦馬超だかなんだか知らないけど、一体何様のつもりかって言うんだよ。」 「名門の出って言うだけで俺たちを見下してやがる。大体名門だろうがなんだろうが、既に滅んだ一 族だろうが。」 彼らは恐らく話すことに夢中で、趙雲の存在には気付いていないのであろう。 戦場であればそれが命取りにもなるだろうが、今は幸いにも平和な時であるのだ。趙雲はそれを咎め ようとは思わず、そのまま見ぬフリをしてその場を去ろうと思ったが彼らの陰口は留まる事を知らな い。しかも場所が場所だけにこの場所を誰が通るかもしれないのだ。 「いけませんよ。他者をその様に貶める発言は。」 どこか穏やかな笑みを浮かべて、突然現れた(実は暫く前からいたのだが)趙雲の姿に、兵士たちは 心底驚いていた。 そんな彼らの様に苦笑いを浮かべ、彼らの行動をやんわりと宥める。 「でも趙将軍・・・」 尚も不満げな彼ら。 「彼はまだこの地へと来られて日が浅い。なれない環境に戸惑っているのでしょう。」 不承不承と言った顔で兵士たちは頷いた。 「それから私は随分と前からここにいましたよ。もし、ここが戦場であれば貴方達は既に殺されている。 今は何時戦がおこっても仕方が無い時代なのです。少し気を引き締めなさい。」 先ほどよりもやや厳しい口調で言う趙雲に、兵士たちは背筋を思わずのばす。 「申し訳・・・」 「ですが、余り張り詰めてばかりいては気も休まらないし。たまにはそう言う時間も必要なのかもしれ ませんね。」 そう言って笑う趙雲に兵士達もまた穏やかに笑った。 趙雲は長い回廊を歩きながら、小さくため息をついた。 ここ暫くの間目立った戦も起こらず、どこか穏やかな日が続いていた。 趙雲自身は、そう言った空気が嫌いではない・・・というよりはむしろ好きであったが、血気盛んな者達 等は、そんな緩やかに流れる時間が不安であるのか、特に張飛などは「体がなまって仕方が無い」などと ぼやいていた。 庭に目を向けると兵たちが己が武器を取り訓練している様が目に入る。 そんな様子をほほえましく見つめながら、趙雲はふいに先ほどの事を思い出し、再び小さくため息をつい た。 馬超が蜀へと降ってからすでに半年近くが経とうとしていた。 玄徳より五虎大将とう晴れがましい地位を賜ったにも関わらず、自身はあくまでも客将という立場を貫い ていた。 玄徳も馬超を、ことさら咎めるでもなく・・・ そんな馬超を周囲がよく思わないのは当然で、先ほどの兵士達に限らず、「新参者のくせに・・・」など という陰口を趙雲は幾度も耳にしていた。 特に玄徳に仕えて長いもの達などは、廊下ですれ違っても、言葉を交わすどころか挨拶さえもしないよう な彼の態度を不満に思わないはずが無く。 張飛や、関羽ですらも彼の態度には顔をしかめているのだった。 * それは馬超が降ってきてすぐ、彼の歓迎の為とささやかに催された宴での出来事であった。 「俺は確かにこの国に降ったが、それは貴公らの主君に心酔し降った訳ではない。あくまで魏を討つ為に すぎない。それを忘れないでいただこう。」 あからさまな拒絶の言葉に、それまでにぎわっていたその場が一貴意静まり返る。 そんな彼らを一瞥すると、これ以上は用がないとばかりに馬超はその場を後にする。 それに習うように馬超の従兄の馬岱が彼の後に続く。馬岱はさすがに気が咎めたのか、退出際に一礼をし て、しかし他のものには目もくれずにその場を去る。 後に残されたもの達はあっけにとられ、彼が去った方を見つめていた。 趙雲はいても立ってもいられず、立ち上がると馬超を追った。 「馬超殿!」 小走りで追ってくる趙雲の姿を見止め、馬超は迷惑そうな顔を隠す事もせずに、しかしその歩みを止めた。 「何か御用か?」 冷めた瞳で問われ、趙雲は自分か何の考えも成しに追ってきた事を今更ながらに思い出す。 「あの・・・」 何かを言おうと必死に考えるが、何を言うべきなのか全く考えが浮かばない。 そんな趙雲にじれたように、馬超は口を開く。 「用が無いのならこれで失礼させていただこうか。」 「お待ちください!」 何も言おうとはしない趙雲に、自分からは何も言う事はないとばかりにその場から早々に立ち去ろうとする 馬超を再び呼び止める。 そんな趙雲に明らかな侮蔑の表情を浮かべ、しかしふいに思いついたように趙雲に問い掛けた。 「お主・・・本当にあの趙子龍か?」 一瞬何を問われたのか、趙雲には理解が出来なかった。 「あのかどうかは解りかねますが、私が趙子龍です。」 かすかに首をかしげながらも、趙雲が答える。 そんな彼に対し、馬超は鼻で笑い 「悪い冗談だ」 とだけ言い残し、後は趙雲の静止も聞かずそのままその場から去っていった。 馬鹿にされたのだと言う事に気付くのに、しばしの時間を要した。 ようやくそれに気付いた時には、すでに馬超はその場を後にしていた。 趙雲はそんな馬超の後姿をただ黙って見送る事しか出来なかった。 趙雲はその時ののことを思い出して、三度ため息をつく。 曹操に親兄弟は愚か、妻子までもを殺され、信じた者にすら裏切られた彼にとっては、曹操への憎しみだ けが生きていく術なのかもしれない。 もちろんそれが悪い事だとは趙雲は思わない。 だからと言って全てを拒絶しているかのような馬超の姿は趙雲には、痛々しく映る。 「せめて、この国が貴方にとって心休まる場所となりますように・・・」 趙雲は祈らずにはいられなかった。 * 趙雲が馬超の私邸を訪ねたのはそれからしばらくたってからの事だった。 先日の宴での出来事も原因の一つでは在るのだが、気が向かなければ軍議にすら参加しない馬超に対し、 回りのもの達が彼に対する不満を抱くのは当然のことで、彼が蜀へと降ってからまだ数日だというのに、 馬超との亀裂は益々大きくなっているように見えた。 だが、趙雲には周りのものが言うほどに馬超が悪い人物にはどうしても思えなかった。 むしろ・・・ 馬超の屋敷へとたどり着くと、趙雲は家人に馬超への取次ぎを頼んだ。 しばしお待ちを、という家人の言葉に素直に頷き、趙雲はその場で馬超が現れるのを待った。 どれほどの時間が経ったのだろうか。 時間にしては、もしかしたら大した時は過ぎていないのかもしれない。 しかし趙雲にとってはその時間がとてつもなく長く感じられた。 ふいに思い出したように趙雲は空を見上げる。 雲ひとつ無く晴れ渡った空は、どこまでも澄み渡っている。 恐らく、このように澄んだ空を十人に問えば十人が好きだと答えるであろう。 しかし趙雲はどうしてもこの美しいほどに澄み渡った空を好きになる事は出来なかった。 「 」 趙雲は小さくその名を呟いた。 「それはどなたのお名前ですか?」 何時のまに現れたのか、そこには馬超の従弟である馬岱の姿がある。 「大変お待たせいたしたようで・・・申し訳ありません。」 心のこもっていない詫びの言葉に、趙雲は思わず苦笑いを浮かべる。 もしかすると自分が感じた以上に時間が経過しているのかもしれない。しかし、馬岱はそれを、さして気 にも留めていないように感じた。 むしろ、厄介な客が訪れたとすら思っているのかもしれない。 「兄はただ今留守にしておりまして。何分突然の訪問でしたので・・・よろしければ私が用件を賜りますが。」 言外にいきなり尋ねた事に対する嫌味を含ませて馬岱が言う。 しかし趙雲はそれにあえて気付かないフリをする。 「いえ、用というほどの事は無いのです。ただ、一度馬超殿とはゆっくりとお話してみたいと思い、ふと 思いついて立ち寄ってみただけなのです。」 そう言って馬岱に対して笑みを浮かべた。 「馬超殿は今は私にお会いしたくは無いようですので、今日はこれで失礼します。中の馬超どのによろし くお伝えください。」 そんな趙雲の言葉に馬岱はかすかに目を見開いた。 実を言えば馬超は実は家にいたのだ。 家人より趙雲が来た事を告げられた時、真っ先に居留守を使う事を決め、しかし家人には暫く放っておけ ば諦めて帰るだろうと、そのまま無視を決め込んだのだ。 しかし、意外にも趙雲は立ち去ろうとはしなかった為に、馬岱が出たという訳だったのだ。 まるでそれを見透かされているかのようで、馬岱は正直驚きを隠す事が出来なかった。 そんな馬岱の戸惑いに気付いているのかいないのか、趙雲は彼に対してそっと頭を下げるとそのまま立ち 去ろうとする。 「あの!」 思わず趙雲を呼び止めて、馬岱はしまったと思う。 そんな馬岱を趙雲は不思議そうな顔で見つめている。 「先ほど呟かれていたお名前は・・・貴方の思い人ですか?」 何を言うべきか思いつくことができず、とっさに先ほど聞いた名前を思い出し、それを尋ねた。 「大切な・・・人でした。」 そう言って趙雲は優しくどこか悲しげに微笑んだ。 それは馬岱が見たどんな笑いよりも、美しく澄んだ笑みだった。 |
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馬超最低・・・しかも何気に子龍性格悪い・・・
挙句の果てに序とつながりが無い・・・
どうか石を投げないでやってください・・・(汗)