「生憎と岱は留守なんでな」

己の中に芽生えた感情に馬超は戸惑いながらも、それを隠すようにそっけなく言う。

少なくとも自分はこの人物に対して良い感情など持っていないはず。何も失った事もないに

もかかわらず、全てを見透かすかのような顔を見るだけでも嫌だと思っていたはずだ。

にもかかわらず・・・

己の感情から逃れるように、馬超はいつも彼の接待に当たっていた従弟の名前を出す。

「私が訪ねたのは貴方だったと思うのですが?」

かすかに苦笑いを浮かべて言う趙雲に、馬超は眉をひそめる。

「そうだったか・・・いつもは岱と随分話が弾んでいるようなのでな。てっきり最近は奴を訪

ねてきたと思っていた。」

突き放すような物言いに趙雲は苦笑いを浮かべた。

「で・・・この俺に何の様だ?」

「貴方と一度話してみたかったから・・・」

そう言って微笑む趙雲に馬超は不快げに眉をひそめた。

「それは誰の差し金か?劉備か?それとも何を考えているか解らない軍師か?」

「いえ、殿も軍師殿も関係ありません。私自身の意思です。」

「はっ!ならば、いかにも潔癖そうなあんたの事だ。さぞかし今の俺の態度が気に食わないのだ

ろう?もう少し歩み寄ってはどうかと諭しにいらっしゃったという訳か。」

「いえ・・・貴方と一度話をしてみたかっただけです。」

取り付くしまも無い馬超の態度に、趙雲はあくまでもその笑みを絶やさない。

何よりもそれが・・・癪に障った。

「貴方が・・・辛そうに見えたから・・・」

ふいにもれた趙雲の言葉に馬超は眉をひそめる。

「俺に・・・同情でもしているのか・・・」

馬超は俯きながら小さく呟く。

その言葉にハッとして、趙雲は慌てて否定する。

「そんな事は・・・」

ありません・・・と言おうとした言葉は、他ならぬ馬超によって阻まれた。

「帰れ・・・二度と来るな・・・」

「馬超どの・・・」

尚も何かを言おうとする趙雲に対し、馬超は冷たい表情で言い放つ。

「俺は・・・お前の様な者が、この世で一番嫌いだ・・・」

あからさまな物言いに、趙雲の顔から笑みが消える。

その瞳がまるで泣きそうに見えた。

趙雲はそれ以上何を言う事も無く、馬超に対し頭を下げると

「また来ます・・・」

と言い残して去っていった。

そんな趙雲の後姿を見送りながら、馬超は壁にその拳をたたきつけた。

 

 

 

 

 

 

馬超の屋敷を後にして趙雲は静かにため息を付く。

蜀へと着て以来誰にも心を開こうとしない彼の姿を何となく放っては置けず、こうして幾度と

なく彼の元へと尋ねた。

彼の姿を見ていると、どうしても思い出さずにはいられない人物がいる。

別に容姿が似ているという訳ではない。

性格も・・・正反対といえるだろう。

それでも、あれほどに頑なに全てを拒絶する姿が、その人物を思い起こさせるのだ。

馬超にはけっして彼と同じ道を歩んで欲しくは無かった。

そしてそのために、同じように苦しむ人間がいることに気付いて欲しいと思った。

馬超の従弟である馬岱は、彼のことを心から心配し思いやっている。

もし馬超が復讐を願う余りに曹操の元へと走り、死ぬようなことになったら、彼はどれほどに

苦しむのだろうか。

だがそれ以上に、大切なものに置き去りにされた馬超の姿を見ている事が出来なかった。

決して同情ではない。

「伯珪様・・・」

趙雲は小さく呟く。

公孫讃伯珪―

彼が死んだときのことを趙雲は未だに忘れることが出来ない。

あの時趙雲は何一つ出来なかった。

彼の死に様を見た訳ではなかったが、彼の死を聞いた時の感覚は思い返しても震えが止まらない。

もちろん彼の死も悲しかった。

だがそれ以上に、その時失ったものの大きさに趙雲は胸がつぶれそうになる。

「   」

そして更に小さな声で別の名前を呟いた。

あの日も、今日のように澄み渡った青空だった。

 

 

 

 

 

 

「子龍」

玄徳は長い回廊を静かに歩く趙雲の姿を見つけ呼び止めた。

趙雲はすぐさまその場に跪き臣下の礼をとる。

「その様な事をする必要は無い」

かすかに苦笑いを浮かべ言う玄徳に、趙雲は立ち上がる。

「馬超のところへ行っておったのか?」

「はい・・・」

その瞬間趙雲の顔が曇るのを玄徳は見逃さなかった。

「あまり・・・気に病むことは無い。馬超にもいつかそなたの気持ちは伝わるであろう」

慈しむかのような笑みを浮かべる玄徳に、趙雲は静かに微笑んだ。

そしてポツリと語り始めた。

「馬超殿を見ていると伯珪様を思い出します。」

そう言って目を伏せる趙雲の姿に、玄徳はかすかに胸が痛むのを感じた。

「伯珪様も最期は、誰一人信じようともせず、頑なに全てを拒絶しておられました。あの方を

敬愛し信じていた者たちの誰一人信じようともせずに。あんなにもお優しい方だったのに・・・」

「そうか・・・」

どこか泣きそうな趙雲の姿に玄徳の心は痛んだ。

公孫讃が袁昭に滅ぼされた時の事を玄徳は未だ忘れることが出来ない。

趙雲がその時どれほどのものを失ったかも玄徳は良く知っている。

「そういえば・・・明日だったな。」

「はい・・・」

「明日から十日ほど暇をやる・・・アレのところに行ってやれ。お前が行けばきっと喜ぶだろう。」

「殿・・・」

「昔のようには・・・儂を呼んでくれぬのだな・・・」

「・・・」

玄徳の言葉に趙雲は思わず目を伏せる。

そしてそのまま一礼すると、そのまま玄徳の傍を辞した。

そんな趙雲を見送りながら、玄徳は小さく呟く。

「もうそんなに経つのだな、子龍・・・美霞・・・」

その声に答える者は無かったが、玄徳は懐かしむように澄み渡った空を静かに見上げた。

 

 

 

 

 

 

玄徳はふいに昔の事を思い出す。

まだ関羽や張飛にすら出会っていなかった頃。

生きるのに精一杯で、大義すら持っていなかった頃。

しかし、もしかしたらあの頃が自分にとって一番幸せな頃だったのかもしれない。

もちろん今が幸せでないと言う事ではない。

大切な義兄弟を得て、変えがたい部下達を得て・・・長年の悲願であった蜀という国も得た。

だが、玄徳にとってあの頃の事はとても大切な時間だったのだ。

あの時出会った少女。

その少女の存在は、玄徳の心の中の一番大切な場所に今も大事にしまってある。

「あ・・・」

その時、玄徳はその人物を見つけ思わず立ち止まった。

その人物もまた玄徳の姿を見止め立ち止まる。

そのまま礼をとる彼のところへと玄徳は静かに近づいていった。

「この国には・・・慣れたか、馬岱?」

「はい・・・大分。幸い皆様方・・・特に趙将軍がよく我々を気にかけてくださいますので。」

玄徳の言葉に礼をとったまま、馬岱は答える。

「それは良かった」

そう言って笑う玄徳の姿に、馬岱は思わず目を見開く。

少なくとも従兄である馬超の行動は玄徳にとって面白いものではないだろう。にもかかわらず

このように笑ってくれるこの劉備という人物は、なんと器の大きい事かと思わずにいられない。

馬岱は唇をかみ締めた。

「申し訳・・・ありません・・・」

搾り出すように言う馬岱に玄徳は思わず目を丸くする。

「従兄の無礼な態度・・・どのようにお詫びして良いか・・・従兄は昔はあのようではなかった

のです。曹操に家族を殺されるまでは・・・だからと言って従兄の態度が許されるものではない

とは解っています。従兄に代わって心からお詫びを申し上げます。」

そう言って地面に頭をこすり付けんばかりに頭を下げる馬岱に、玄徳は優しく声をかける。

「頭を上げよ。・・・全てを失った馬超の気持ち・・・解らぬでもない。そなたにも馬超にも

非は無い。」

そんな玄徳を見上げ、馬岱はこぼれそうになる涙を必死に抑える。

「儂の方こそ・・・せめて儂が彼に信頼されるに足る君主であれば・・・彼の心を癒す事が出来

る存在であればと思わずにはいられない。彼からすれば、曹操に及ばぬ力量しかない儂が、さぞ

かし頼りないだろう」

「その様な事は・・・」

「せめてこの国が、お主らにとって心安らげる場所となればよいと思うのだが・・」

「劉備殿・・・」

感極まるとはこう言うことを言うのだろうか。馬岱は劉備の言葉に、胸が痛むのを感じる。

「最も・・・今の言葉は儂の言葉ではなく子龍・・・趙雲が言っていたのだがな。」

そう言って笑う玄徳に、馬岱は先ほどよりも穏やかな顔になる。

「良い御仁ですね、趙将軍は」

「儂の自慢の部下の一人だからな」

「そうですね・・・」

馬岱はそう言って笑う。

それはこの国に来てからはじめての、心からの笑みだった。

そして自分にとっても従兄にとっても蜀に降ってきて本当に良かったと馬岱はその日初めて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弐へ 四へ


当初の予定から話が離れていく・・・
久しぶりの更新がこれかい!?
個人的には岱クンとても好きなんですよね。
っていうか先が見えない・・・(汗)